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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第四章
18/26

 長いお風呂を終えて、部屋に戻った。私の移動に合わせて、浴室全体に展開していたモニターから、部屋の壁に設置されているものに映像が転送される。

 映し出されるのは、変わらずに端末の一つであるIDSR-25PE-6598-7786-Iがほぼリアルタイムで撮影しているものだ。

 濡れた髪を放置している私に、壁に設置されていた換気口が親切にも、乾燥した風を吹き付けてくれた。同時に、異なる方向からも微かな音がした。

 視線を向けた先に転がっていたのは、両親から届いた記録媒体だった。過去に固執した両親らしく、とても古いタイプだった。風の向きの問題なのか、棚の上に放置していたのが落下したようだ。

 いつ届いたのかすら記憶から消え失せていたが、即座に家庭用ロボットLQHJ-69CQ-9762-7379-Dが教えてくれた。去年の九月四日に送られて来ていたそうだ。

 言われて見れば、受け取って即座に棚に置き去りにした気もする。送り主が両親だということすら知らなかった。けれど、彼らからだとするには、余りにも遅すぎる。

 動かない私の視線を拾って、LQHJ-69CQ-9762-7379-Dが記録媒体を取り上げた。そのまま体に挿入するとデータの読み取りを始めた。ぐるりと向きを変えたLQHJ-69CQ-9762-7379-Dがその内容を、モニターの横に立体的に投影し始めた。

 別に見たいわけでもなかったのだが、まぁ仕方がない。

 その中に収められていたのは、僅かに七時間ばかりの映像データであった。刻印されている書き込みを行った日時に、思わず眉を顰めた。そんなはずはないのに。もうその頃には、彼らは私のことを忘れていたはずなのに。

 問題の映像の中身は、カメラを睨み付けるかのように立ち尽くす両親の姿から始まっていた。私は恐怖に固まる。慌てて右下に表示されている日付を再度確認した。八月だ。

 その日付に思わず恐慌に駆られそうになったが、その寸前でなんとか私は踏みとどまった。大きく息を吐いて、剥き出しの自分の両腕を見下ろした。

 だって私は今も、こうして結晶化せずに柔らかな体組織に包まれているのだ。それを考えれば、彼らが私に害を成さないのは明白だ。全ては取り越し苦労だったのだ。

 彼らはこの映像の時点で確かに、私のことを忘れているのだろう。この恐ろしい贈りものは、深すぎる執着の最後の残像に違いない。恐らくは処理される前に、彼らは映像の取得と私への送付を自動化させておいたのだ。

 なんと恐ろしいまでに深い執着だろう。処理されなくとも、私のことなんて忘れてくれて構わなかったのに。彼らが見るべきは私などではなくて、弟の方だったのに。

 記録された映像の中で、雷鳴が轟いた。その地が気象コントロールとは無縁な田舎であることを、今更ながらに思い出す。

 そう言えば、弟と雷の光と音の到達する時間の差から、音速を求めたことがあった。わざわざ計測せずとも、既に結果は広く公表されているのに。弟がやってみたいと言い出したから、私はお付き合いしたのだ。

 投影された立体映像は、通常よりもずっと早い速度で再生されて行く。最初に体に異変を生じたのは、父の方だった。動きがぎこちなく、ゆっくりになり、そして次第に関節が強ばり、動けなくなる。顔にこの現象に特有の、穏やかな笑みが広がっていく。

 微笑、それは人間が集団生活を営むために作り上げた仮面だ。もはや集団での生活を必要としなくなったはずの人間は、その種の終わりに於いて、今となっては不必要となったはずのその仮面を被って生を終えるのであった。

 それは人間が、結局は集団生活から抜け出せなかったことの証のようであった。或いはそれは、社会的な生き物である人間の、生物としての最後の矜持のようでもあった。

 内側から零れ出すように、父の表面に結晶が吹き出していた。一度析出してしまえば、それらは互いに速やかに結びつき、人間の表面全てを結晶で包み込んでしまう。その全行程は、父の場合、一時間ほどで完結した。先ほどまで、草臥れた中年でしかなかった父親が、映像の中で美しい彫像にも似た姿と化す。

 父の結晶化が開始されてから暫くして、母の方にも同じ現象が始まった。この「結晶化現象」と通常呼ばれるものは、人間の意識の流れと全く同じ経路を通じて起こることが、判明している。

 現象は体の中心部から始まり、関節の筋肉を結晶化させ、そして遂には皮膚の上に輝かしい結晶体を析出させる。だがそれだけでは終わらない。最後には肉体という楔を超えて、他者へと伝染していくのだ。

 恐らくは、結晶化を起こしているのは、肉体そのものではないのだろう。人間の意識そのものこそが、固体と化しているのだ。肉体の変化は、その付属に過ぎないと考えられる。

 両親から送られた映像を見終わった私は、ただ溜め息を吐いた。どうやらこれは二人からの贈り物であったらしい。

 ご丁寧に父は屋外で、母は室内でと、比較出来るように環境に差を付けてある。わざわざ彼らは自分たちを実験台としてまで、私にデータを送ってくれたのだ。この頃には既に、私のことを綺麗さっぱり忘れ去っていただろうに。

 これは想像でしかないが、研究員たちが避難を開始した時に、彼らは何が起こっているのかを知ったのだろう。そしていつか自分たちにも訪れる変化を記録し、私に送ることを六月の地点で決め、家庭用のロボットにその仕込みをしておいたのだ。

 そうでないと、私のことを覚えていない九月時点の彼らから贈り物が届く道理がない。だからこれは、まだ私のことを記憶している六月の両親からのプレゼントなのだ。

 微かな音を立てながら、LQHJ-69CQ-9762-7379-Dが古めかしい記録媒体を吐き出した。床に落ちたそれを、LQHJ-69CQ-9762-7379-Dは踏みつけて綺麗に壊すと、捨てた。

 今更だ、と思う。両親がわざわざ送って来たデータには、何の価値もない。

 結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598の末端たちは、今まで数え切れないほどにその手のデータを記録して来たのだ。上級研究員がせっせと収集したデータたちには、私はいつだってアクセスすることが出来る。古い記録媒体に詰まっていたのは、新しい情報を全く伴わない、ただ退屈なだけの代物だ。

 最初から最後まで、ピント外れの親だったな、と私は嘆息する。彼らはいつだって私に必要のないものをくれた。

 けれど彼らの映像は、一つ私に懐かしさを連れて来た。弟が十月頃に一度、実家に戻っていたことを思い出す。あの時彼に接触したIDSR-25PE-6598の端末は、と私が考えるよりも早く、映像がモニターに映された。代わりに、今までのIDSR-25PE-6598-7786-Iが映している淡い花弁の舞が消え去る。

 目の前に新しく展開される映像を記録した端末は、IDSR-25PE-6598-8571-Gであった。IDSR-25PE-6598-8571-Gは遠くから弟を覗き込むかのようなアングルで撮影を行っている。

 弟の顔には疲労の色が濃い。彼はきっと足掻いているのだろう。なにせ彼は恐らく、人間の結晶化現象の理由を知らない。そのメカニズムを理解していない。

 結晶と化すことも出来ない彼は、この現象を知るために、そして自分だけがどうして取り残されてしまったのかを理解するために、駆けずり回っていることだろう。

 私が見たばかりの両親の結晶化現象を記録したデータを、弟が発見することを願ってやまない。

 あれは明らかに私のために遺されたデータであった。けれど、それを本当に必要としているのは、弟なのだ。

 私にはもう彼にしてやれることは、何一つない。

 彼は私のことを忘れているべきなのだ。決して思い出してはならない。記憶の消去は不可逆的なものであるはずだが、私は僅かな危険性をも冒したくはなかった。私はこれ以上、私のせいで彼に不幸をもたらしたくはないのだ。

 ならばこそ、ただ祈り、彼を監視することだけが、私に許された行為なのだ。

 映像の中の弟が、IDSR-25PE-6598-8571-Gに気が付いたようだった。何事かを話しかけている。映像情報しか収集出来ない端末からは、その音声を得ることは出来ない。実に口惜しい。

 私とて出来るならば、端末に音声記憶装置を取り付けたい。更には端末たちに会話をさせてみたい。

 だが結晶化現象を認識させるために、無理矢理にシステムの変更をしてしまったがために、結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598とその端末たちに細やかな変更を加えることは不可能となってしまったのだった。

 必死にIDSR-25PE-6598-8571-Gに話しかける弟の姿が、愛おしい。私はもう何度見たのかすら分からないその映像を、再度眺めながら微笑んだ。

 驚愕的な密度を持つ結晶化現象の感染経路に、弟が巻き込まれなかったことが嬉しい。私もまたそこから免れたことを、誰かに感謝したい気分だ。私はまだ、こうして苦悩しながらも生きている弟の姿を、見ることが出来るのだから。

 けれども本当は、と私は曖昧な笑みを浮かべた。それは集団生活を旨とする人間が被る微笑の仮面とは相容れないもの。もっと内面的なものが滲み出た、醜い笑顔だ。

 私は感染したかった。弟に感染させて貰いたかった。そして二人で結晶と化したかった。

その希望がどこまでも自己中心的なものであることを理解はしていたが、それでも私の心の奥底では欲望が燃えていた。

 もしも、と私は夢想する。弟から私の記憶を奪わなければ、彼のせいで私は結晶化することが出来たのだろうか?

 私は首を振った。ダメだ。その欲望が実現されるためには、彼が誰かによって感染させられなければならないのだ。そんなのは、絶対に嫌、であった。

 自分のせいで彼を結晶化させることも御免であった。だって彼は、そんなことを望んではいないだろうから。

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