五
呆然と竦む俺に、AIBV-07FD-0013が説明を始めた。それを弁明のように感じるのは、俺の勝手な感情なのだろう。
AIBV-07FD-0013は言った。九月三日の十時三二分の落雷によるダメージで、記録媒体の動作が一時狂わされたのだと。そこから復旧はしたものの、その間のデータは全て失われてしまったのだと淡々と付け加えた。
俺は思わずAIBV-07FD-0013を罵った。お前はこの二台のカメラの映像を、きちんと保存しておくように、と厳命されていたのではないのか。どうして映像に欠けが、それも一番大事なところが、ないんだよ、と。
そう責め立てる俺とて、自分の行為が無意味であることくらい、分かっていた。記録に失敗してしまったものを取り戻すことは、不可能なのだ。守ろうにも、最初から対象が存在していないのでは、どうしようもない。
理性はそう囁くものの、俺の激昂は止められない。俺の激怒を受けてのAIBV-07FD-0013が重ねて行う説明も、単に鼓膜を揺らすだけで脳にまで届かない。
俺はただただ単純に、悔しかった。両親が己を実験台にしてまでも俺のために遺そうとしてくれたデータであったのに。それなのに俺は、受け取ることすら出来なかったのだから。
モニターの中では今でもまだ、時間が現実の何倍もの速さで飛び去っていた。
差し込む日光は赤色に、そして夜へと移行していく。それに合わせて両親の結晶も色を変える。昼間は光を反射するかのように、そして夜には内部から溢れるように淡く輝く、二体の彫像。
モニターの中では三日が終わり、四日の朝が訪れようとしていた。俺と両親にとっては激動の三日も、客観的に見れば単に一年三六五日分の一に過ぎない。一日も二日も三日も、等価の価値しかないのだ。
九月四日の平和な、何も変わることのない、朝。変わったのは、俺たちだけだ。
俺の後からも太陽が顔を出した。等倍速でしか進展しない俺の世界にも、朝が訪れたのだった。
振り返った俺の目を、瑞々しい太陽光が刺した。それは生きていた。確かに燃えていた。そして俺も生きていた。確かに動いている。腕に強制的に付けられた端末が、俺の健康状態に再び文句を言い始めていた。
今、俺を包んでいるのは、静やかな朝であった。爽やかな、作り物めいた朝であった。
俺が子供の頃に慣れ親しんだ声高に謳う鳥の声も、打ち合わせ済みであるかのように同時に鳴き始める蝉も、朝の散歩中の人間の囁きも犬の吠え声も、何も、ない。
現在、この周囲で蠢いているのは、作り物の機械たちだけなのだ。それと俺だけ。それでも人間社会は、人間抜きで回っている。
どうして、と俺は呟いた。どうして自分だけが残されてしまったのだろう。何故、俺だけが、今でも人間のままなのか。
微かな駆動音と共に、AIBV-07FD-0013がこちらを見た、いやモニターしているのを感じた。恐らくは不安定な俺の感情に危惧を抱いているのだろう。
途端に込み上げて来たのは、苛立ちだった。一体誰のせいで、俺はここまで揺らいでいるのか、との理不尽な憤り。
もはや自分の力だけでは覆せない圧倒的な状況に押しつぶされそうな俺は、胸に抱いた不安や不満を怒りに変えて暴れなくては、息をすることすら出来なくなっていた。
微かな音を立ててこちらをモニタリングし続けるAIBV-07FD-0013に向かって、俺は拳を振り下ろした。人間を傷つけることを禁止されているそれは、無抵抗に倒れてただ蠢く。ひたすらに、俺に殴られ続ける。何度も何度も。切れた皮膚から血が流れ出した。激しい痛みを、俺の脳がどこか他人事のように認識している。
生きているのだ、俺は。柔らかで傷つきやすい皮膚の下で、上で、そのものとして、生きている。彫像と化した他の人間たちとは、違う。
俺はどうしたいのだろう。このまま弱い皮膚で生きていたいのか、硬い結晶と化してみなの仲間入りをしたいのか。噛みしめた唇からは、鉄さびの味がする。
俺はいつだって、独りぼっちだった。いつだって自分が他者と違うことを、どこかで意識させられていた。それは時には孤独であり、そして時には優越であった。
まとまらない思考。矛盾を孕む感情が容易に皮膚の下で共存する様は不思議で、当然だとも感じられた。
これが生きている、ということなのだろう。この不完全さこそが、俺が決して間違えないAIと異なる存在であることの、つまりは生き物である証拠なのだ。
赤色の液体が、AIBV-07FD-0013の安っぽい銅色の筐体に落ちて広がっていく。殴られているAIBV-07FD-0013は、悲しそうに頭部に取り付けられたライトを弱々しく点滅させていた。
その様はまるで、俺の同情を買うべく哀願しているようだ。違う、これらの人工物に「殴られるのが辛い」などの感情は存在しない。だがそこに、感情を見いだしてしまうことこそが、俺が感情を有する存在である証なのだろう。
一体、感情を持たない彼ら人工物には、俺たち生物はどう見えているのだろうか? とてつもなく愚かに映るのではないだろうか。
そう想像すれば、腹の底から絶叫が込み上げて来た。
だから俺は、ただひたすらに目の前の無生物を殴り続けた。相手が生物ではない以上、心を痛める必要もないはず、だった。




