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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第三章
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 俺の指示に従って、AIBV-07FD-0013が忙しく立ち働いていた。リビングのモニターの細やかな設定を複数箇所調整し終えると、ようやっと地下に安置されている記録媒体から件のカメラのデータを呼び出し表示させた。

 映し出された動画は、AIBV-07FD-0013に付属する投影機能を使った場合よりも、ずっと鮮明で現実味に溢れており、それが俺を一層孤独にさせる。

 最初に表示されたのは、現在の様子であった。彫像と化した母親が、暗闇の中で穏やかに微笑んでいた。

 だがそれも一瞬のことで、俺の意識を読んだモニターにより、以前の映像へと切り替えられた。代わりに映ったのは、誰も居ない部屋。

 右下に表示される撮影日は五月。表示される日は、軽快にその数値を大きくしていく。実際よりも何倍も早い速度で、モニターの中では時間が経過しているのだ。

 窓からは初夏の強烈な太陽が差し込み、次に闇が満ちた。時折ひっそりとした薄暗い昼があり、暗い夜がある。そして明るい日昼があり、暗い夜があった。その様が延々と繰り返される。

 俺はモニターの前に座り込み、その映像を見つめ続けた。子供の頃のように、膝を抱き込んで。少し伸び過ぎてしまった爪が、ジーンズの上からでも皮膚を刺す。

 思い返すのは、警察署の前に立ち尽くしていた女性の彫像だ。触れたそれには温度がなく、ただただ硬かった。中に閉じ込めた人間を守るように、そして隠蔽するかのように輝く結晶。理路整然と整列した分子が形成する塊は、その美しさで俺を否定していた。

 今となっては、あの日の出来事が酷く遠い過去に思えた。実際にはまだ、一週間すら経過してはいないのに。

 俺は知らぬ間に、唇を強く噛みしめていた。歯が柔らかな唇を傷つける。鉄さびの味が口の中に広がった。

 俺は未だに、己の手で傷つけられるほどに弱い組織に、包まれているのだ。結晶に包まれ微笑む他の人間たちとは、違う。俺だけが違う。

 モニター上では何度目か数えるのも馬鹿らしいほどの昼と夜が繰り返された末に、初めて動きがあった。部屋に動くものが複数、入って来た。映像に記された日付は六月一七日。

 俺がわざわざ指示せずとも、その意思を読み取ったモニターは、自動で再生速度を一倍にまで落とした。

 モニターが表示しているカメラの撮影範囲に入ってきたのは、父と母、それから今、俺の隣に居るAIBV-07FD-0013だった。

 使用目的の不明な空き部屋に入った両親は、周囲を何度も何度も見渡した。その様は、どこか寂しそうであった。それはまるで、かつてこの部屋にあった何か大切なものを失ってしまったかのようだ。もういない何者かを惜しむかのように見える。

 だが、それが何なのか、俺には分からない。

 俺は重要なものを忘れてしまっているのだろうか。そんなはずはない、と思う。それに例え、俺が忘れてしまっても、AIを備えた全能なる存在ならば覚えているはずだ。

 皮肉に傾いた俺の思考を拾った左腕の端末が鳴いた。「該当するデータは存在しません。より具体的な指示をお願いします」との素っ気ない文字が表面に躍る。同時にAIBV-07FD-0013も答えた。あれはただの空き部屋です、と。今も昔も変わらずに。

 断言されたのにもかかわらず、俺はその回答たちに違和感を覚えていた。広いクローゼット、バルコニー。それらが無目的に作られたはずはない。モニターに映る両親の表情は、それを雄弁に物語っている。

 モニターの中の両親がこちらを見た。違う、彼らはカメラを見ているのだ。これはカメラの映像なのだから。だが、その眼差しはカメラの向こうの、モニターのこちら側の俺を見つめているように思えた。懐かしい二人の姿。俺の記憶よりも老いている。

 俺の内側から、熱い感情が込み上げてきた。だが俺には、その感情の名が分からない。ただ耳の奥に、今はもう存在しない蝉の声が篭っていた。

 わんわんと反響するその幻聴は、汗の臭いと、頭を撫でてくれた父の大きな手の感触と、母親の夏用ワンピースの袖から伸びる腕の白さを連れて来た。子供時代の、幸福な思い出。

 モニター内の父が、空き部屋の窓を開けた。その傍に走り寄ったAIBV-07FD-0013が、本体から作業用のアームを延ばす。

 彼ら三人、いや、二人と一台の間には全く会話がない。話す必要がないほどに、互いのことを理解しているようだ。だが俺には、彼らの意図が分からない。

 モニターの中と、俺の隣に同時に存在するAIBV-07FD-0013が、俺のために口を開いてくれた。いや、彼らは音声をスピーカーから流すだけなのだから、実際に口を開くことはないのだが。どうしてこの決まり文句を人間と同じように、ロボットにも使ってしまうのだろうか。誤りなのに。

 AIBV-07FD-0013曰く、父はこの空き部屋の外側に取り付けられている西側の庭を見下ろすカメラをAIBV-07FD-0013に修理させたのだった。それは一時期イノシシが庭を荒らしていたがために付けられた監視カメラであり、イノシシたちが居なくなってからは何の価値もなくなり、壊れたままに放置されていたのものだ。

 どうしてそんなカメラを今になって、と思いかけて息を呑んだ。あの空き部屋の下、西側で父は彫像と化していたのだ。このカメラは、そんな父親を丁度捉えることの出来る位置にある。

 俺の思いに反応して、目の前のモニターが二つに分かれた。右側は今までと同じく部屋の中を映しており、反対側は庭を撮影しているものだ。

 そこに一瞬現在の映像が映った。俺の想像した通りに、闇に立ち尽くす父の彫像の姿が現れて、消えた。すぐに切り替わり、右と同じ六月一七日へと戻る。

 俺は混乱していた。母親が手を伸ばして、室内のカメラを綺麗に清掃している様子が見える。

 カメラを修理する。カメラを掃除する。それはまるで、今からこのカメラたちが、決定的な何物かを撮影することを知っているかのようだ。そして事実、この二台のカメラは、両親の彫像化を目撃するのだ。

 もしや、両親は自分たちが彫像と化すことを知っていたのだろうか? そんなことが有り得るだろうか? 結晶に包まれて置物と同じ存在になることを知っていて、それを彼らは静かに受け入れたのだろうか?

 どうして、どうして。疑問が溢れた。……俺は何も知らなかったのに。

 モニターに映し出されている室内の父が、母の肩を抱いた。労わり合う夫婦。これが「正しい」夫婦の有り様なのだろう。そんな概念は遙か昔に絶滅してしまったと思っていたが。

 懐かしい父の声がした。モニターの中の父が、AIBV-07FD-0013に命じていた。この二台のカメラの映像をきちんと保存しておくように、と。そんなことは当然のことで、わざわざ口に出して言う必要などないはずなのに。

 それから二人と一台は、静かに出て行った。再び密やかな昼と夜が繰り返される。

 室内と庭を撮影するためのカメラには、空は直接映し出されはしない。だがそれでも変化を感じることが出来た。季節は初夏から梅雨、そして夏へと移り変わっていく。

 ガラスを透過して室内へと差し込む太陽光線は強烈であり、庭の草木はその光の中でただ暑さに耐えているかのようだ。けれど、夏を知らせる蝉はもういない。

 日付が目まぐるしく変わっていく。文字通り、モニターの中では日々が飛び去っていく。

 そしてまた、映像が一倍速になった。日付は八月三一日。

 俺はその頃、既に研究室から逃げ出し、引き籠もっていた。見上げ続けた天井の染みを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。見続けた数多の悪夢たちを思い返せば、今でも反吐が出る。

 モニターに今度入ってきたのは、母親のみであった。代わりに庭の方に父親が現れた。

 二人は窓を挟んで、互いに視線を交わし合う。それからゆっくりと母は部屋の中を、父は庭を歩いた。それは何気ない動作であり、単に散歩でもしているかのように軽いものであったが、俺の目にはカメラの撮影可能範囲を意識しているように思えた。

 そして彼らは、カメラの前で生活を始めた。AIBV-07FD-0013の助力を得て、何かを待ち望むかのように、耐えるように、ただひたすらカメラの前に存在し続けた。

 二人がモニターから消えるのは、僅かに風呂とトイレとその他の雑多ながら短期間の間だけであった。黙々とカメラの撮影範囲で暮らし、時折互いに視線を交わし、会話を交換し、そして意味ありげにカメラをじっと見つめた。

 こちらを見上げる二人の顔に浮かぶのは、微笑。それは覚悟を決めた人間にしか持ち得ない、どこか清々しさすら感じさせる笑顔であった。

 俺は今や確信していた。彼らは見せたいのだ。彫像と化すまでの過程を。俺に。

 彼らは、今の俺が知りたいことを、用意して待っていてくれているのだ。その覚悟に、心が震えた。

 対して、と俺は己の不甲斐なさに歯噛みする。

 その頃の俺は何も知らず、いや、何も知ろうともせず、アパートでただただ世間から耳も目も閉ざして、ひたすらに引き籠もっていたのだ。

 何と言う親不孝者だろう。何と言う情けなさだろう。涙すら、出ない。

 映像が三倍速に切り替わった。五倍速、七倍速、と早くなっていく。せこせこと二人は動き、右下に表示される時間は目まぐるしく進み続けた。八月の最終日はあっという間に去り、九月一日が、二日が、そして三日がやって来た。

 九月三日は、朝から雷が鳴り響いていた。人間を対象とするカメラは空を映してはくれないが、昼なのに夜の如き暗さと、雷の猛々しい音は記録されていた。

 その不穏な雰囲気を俺が意識した途端に、映像の再生スピードが落ちた。両親は二人とも空を見上げていた。屋外の父の上には、雨が情け容赦なく降り注ぐ。

 アパートがある都心部とは違い、田舎の家屋は天候から守られていないことを、俺は思い出していた。豪雨どころか落雷の危険すら、まだこの地にはあるのだ。

 俺にある記憶が呼び覚まされた。それは夏特有の夕立。叩きつける雨、その急激な攻撃と唐突な終焉。後に残される湿気。ぬかるんだ裸道。大きな水溜り。

 ブカブカな長靴を履いた俺が、巨大な水溜まりの中央を目指して飛び込んだ。鮮やかな緑の靴に泥が飛び散る。直ぐ後に同じように飛び込んできた黄色い長靴が飛び散らせた泥水が、更にその緑に落ちた。笑う俺。声を合わせて笑うのは。

 俺の脳に強烈な白が走る。確かに、居た。居たはずだ。俺以外の子供が。俺と歳のそう変わらぬ誰かが。俺が思い出す過去の幼い日々には、必ずその影がある。

 だがそれ以上は何も思い出せない。いや、今捕まえたはずの記憶すら、白く塗りつぶされて行く。

 思い出そうと、手に入れようと焦れば焦るほど、早く。無慈悲なまでに一方的に、俺の意識を改変していく、何か。

 途端、耳を劈く轟音が落ちた。俺の体が跳ねる。

 慌てて上げた目に映ったのは、一瞬の閃光と、それからの暗転であった。モニターの中で再生されていた映像の最後の瞬間は九月三日の十時三二分のものだった。この時間に雷が落ちたのだ。

 俺は慌ててモニターに駆け寄った。モニターのすぐ傍に行ったからと言って、何が出来るわけでもないのだが、ついそうしてしまう。人間なんて所詮は、理論的な存在ではないのだ。AIとは違う。

 暗転した画面は暫くして復帰した。右下に表示される日時は九月三日の一七時五四分。

 そしてそこには、既に彫像と化した両親が突っ立っていた。すっかり回復した夏の明るい日光が差し込む中で、一際美しく二人は輝いていた。

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