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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第三章
12/26

 惜しむように殊更ゆっくりと運転された自動車は、それでも俺の目的地である実家に到着した。車を降りた俺の上に、傾き始めた太陽の、力を失いつつある光が落ちた。

 同時に恐れとも畏れとも判然としない感情が、脳内に広がっていく。その理由が分からない。自分がどうしてここに戻って来たのかも、未だに理解出来ないままだ。

 見上げた家は記憶よりも小さく、古かった。背後に広がる空はまだ青い。雲一つ無いそれは、けれども夏とは色合いを異にしている。

 俺を送ってくれた自動車オペレーションシステムCAQR-02TW-5879-1158-Pは、俺の端末に無理矢理に己の個体識別記号を記憶させた。次に自動車が必要な時には必ず自分を呼ぶように、と営業法に引っかかるのではないかと思われるほどの勢いで、何度も何度も繰り返し念を押して、それから名残惜しそうにようやっとゆるゆると去って行った。

 しかも角を曲がる時にクラクションを鳴らして別れを惜しんでみせるという、何とも時代錯誤な気合いの入りっぷりで。



 どこか憎めないCAQR-02TW-5879-1158-Pを見送った後に、俺は勇気を出して門柱に手を掛けた。あちこちに設置されているカメラの一つが、俺の帰宅を認知したのだろう。お入りよと手招きするかのように、門が自動的に開いた。

 現代のカメラは、犯罪抑止もしくは犯行現場を記録するために存在しているのではない。それは今や人間たちをモニターし、個々が身につけている端末からの情報と合わせて、個人がどういう状態にあるか、何を欲しているかを探るために用いられているのだ。

 門をくぐったものの、玄関へと続く石畳には足を載せることが出来なかった。心臓が痛い。何をそんなに怯える必要があるのか、俺自身にも分かりはしない。

 勇気の無い俺は石畳を外れ、飛び石に沿って南側の庭へと足を向けることにした。

 広がるのは田舎特有の無駄に広い庭。周囲を囲むように植えられているのは、サクラの花だ。かつてこの国で奇妙な人気を誇った木。今は色の変わった美しい葉を数枚見せてくれている。もっと寒くなれば、全ての葉が紅葉するだろう。

 漫然と見ているだけで、子供の頃の夏のある一日が鮮明に蘇った。

 この木々はかつてはもっと大きく見えたものだった。俺が蝉を捕まえたのは、その中でも一番背の高い木だ。近づいて見上げる。

 茶色と灰色の混じったような、不思議な表皮に覆われた幹。だが最も上の枝の表面だけが、黒く色味を落としてしまっていた。

 ああ、と俺は思い出していた。いつかあの黒色部分の高さからの景色が見たくて、この木をよじ登ったことがあった。

「危ないよ」

 過去からの声が響いた。だが、一体誰の声だったのだろう? 捉えようとすれば、直ぐに四散してしまう霧のように朧気な音。

「あそこまで行くことに、何の意味があるの?」

 いつからか子供の背丈に戻った俺が、木をよじ登っていた。下からは俺よりも小さな影が、そのちっぽけな手を広げて俺の行動を必死に制止しようとしているようだった。

 良く見ようとすればするほど、その影は空気に溶けて消えていく。代わりに声が聞こえた。

「この木の高さは一八メートルだよ!」

 違う、それはもはや影でもなければ声でもなかった。ただの俺の妄想。もしくは幻想。今やもう形すら伴わず、ただ俺に印象だけを与えていた。

 それは重ねて俺に告げる。

「その高さからの景色が見たいなら、モニターに表示させれば良いでしょう。データなら、いくらだってある」

 「違う」と過去の俺は、今や影も形も持ち得ない何者かに向かって叫んだ。

 そんな紛い物は要らない。俺は、この手で、この目で、見たいのだ。地上一八メートルからの光景を。それは誰のものでもない、俺だけのものになる。例え全く同じ景色がモニター上に表示出来るとしても、それとこれは違うのだ。

 そんな俺の主張に、空気と一体化しつつある誰かは、理解出来ないと言わんばかりに溜め息を吐いた。

「そんなことのために危険を冒すなんて、信じられない!」

 途端に強烈な頭痛が俺を襲った。鼻から水を吸い込んだかのように、目の間が痛んだ。視界が白に塗りつぶされる。

 俺は確かに馬鹿だ。あの高さまで登ろうだなんて狂気の沙汰だ。落ちればただでは済まない。彼女の言う通りだ。

 そこまで思ってハッとした。「彼女」とは誰だ。俺は両親との三人家族なのだ。過疎化と少子化が進む現在の世相を反映して、周囲には遊び友達となり得るような同じ年頃の子供はいなかった。俺よりも年下の子供も、年上の子供も、つまりは子供自体が、皆無だった。

 ならば、今の記憶の声は誰なのだろう? 確かに女の、女の子のものだと思ったのだが。

 けれども、もう何も俺は思い出すことが出来なかった。全ては迅速に溶けて、消え去ってしまったのだ。

 「彼女」だと思った根拠も、一瞬であやふやなものと化す。子供であったという論拠もない。

 今や俺に残されていたのは、昔このサクラの木登りに挑戦したものの、途中で枝が折れて転落し、あわやというところで下で父親に抱き留められたという記憶だけだ。ただそれだけ。

 木登りの最中のことは、もはや何も思い出せはしない。あの日が確かに存在した証拠に、俺がへし折ってしまった枝は、今日もまだその痕跡を留めているのに。

 父はそんな俺を「君は変わった子供だね」と笑ってくれた。

「実に面白い子だ」

 声がした。過去の記憶ではない。確かに今、鼓膜を揺らした。

 俺は慌てて振り返る。カラカラと微かな音が聞こえていた。

 見上げた先には、父の姿。髪はまだ黒い。俺よりもずっと大きな手が頭を撫でてくれた。皮の厚い、硬い手の平の感触。子供の頃の俺はその手が大好きであった。大きくて、強い、父親。

 若い父は、顔に皺を寄せて笑っていた。

「君はいつも私たちの想像外のことばかりする。だけど、それで良いんだ。人と違っても構いやしない。

 君は君の選んだ道をひたすらに歩いていけば良い」

 それは懐かしい台詞。だが。

 「止めろ」。己の耳に届いた俺の声は予想よりも低く、冷たかった。「とっとと止めろ。俺はこんな映像を望んではいない」

 カラカラと羽虫の如き独特の音を立てながら、過去の立体映像は止まった。

 俺の前にいるのは父親ではなく、俺の家の諸事一般を担当する家庭用ロボットAIBV-07FD-0013だ。チープな銅色をした、子供から腕と下半身をもぎ取ったかのようなフォルムの、今や古びた型の機械。

 俺は今や木登りをするような子供ではない。父親の大きな手に安堵していられる年齢でもない。

 父はもう俺よりも小さくなってしまった。父の身長を抜いたのは、確か俺がまだ中学生の頃だった。父は目を細めて、俺を見上げながら言ったのだ。

「きっと君の実の父親は背が高かったのだろうね。君ももっと大きくなるよ」

 だが、父の予言は外れた。俺の成長は中学生で終わってしまったのだった。

 高校生活につきまとった凄まじい成長痛の見返りが得られなかった俺を慰めるように、両親は「男は身長じゃない」と言ってくれた。今思えば酷い話だ。なにせ俺は少なくとも父よりも背が高かったのだから。

 俺の思い出に反応したAIBV-07FD-0013が、新たな映像を準備しようとしていた。AIBV-07FD-0013に付属する映像再生兼投影装置に独特の、羽虫を思わせる動作音が微かに聞こえる。

 俺はAIBV-07FD-0013に首を振ることで、その作業を中断させた。音が止まる。

 だがそれでもなお、強く強く首を降り続けた。そうすることで、過去の記憶を頭から追い出そうとしたのだ。感傷的に過ぎる、と思う。

 久しぶりにこの家に帰ってきたせいだろうか。もう忘れたとばかり思い込んでいた過去の記憶が、後から後から涌いてくる。

 俺の動きに戸惑うかのように、暫く静止していたAIBV-07FD-0013が、ややしてゆっくりと俺に話しかけた。

「お帰りなさいませ」

 歓迎するかのように、目がチカチカと点滅した。いや、それを「目」だと認識するのは、ただの擬人化だ。

 そんなものは、頭部に付属した単なるライトに過ぎない。それはただ、このロボットが正常に俺を認知したという意味しか持たないのだから。

 そこに感情を見いだすのは、人間の欺瞞だ。

 けれども俺には、客がいなくて寂しいと言い、無理やり自分の個体識別記号を押し付けて去って行った自動車オペレーションシステムCAQR-02TW-5879-1158-Pのことが思い出された。利用者の絶滅に己の存在意義の疑問を口にした図書館オペレーションシステムQTRE-89PU-2567-78のことも。

 彼らは本当に感情を有してはいないのだろうか。寂しさや悲しさを、感じ得ないのだろうか。

 人間の打ち込んだプログラムに従って、ただ「らしく」振舞っているだけだと言い切れるのだろうか。感情とは、一体いつどうやって生まれるものなのだろう。

 俺は思い立ったままに、目の前の家庭用ロボットAIBV-07FD-0013に問いかけた。「どうして俺にあの映像を見せようと思ったのか」、と。

 ロボットは答えて言う。

「あなたが見たいと思っていると感じたからです。間違いでしたか?」

 AIは絶対に間違えない。それなのにAIBV-07FD-0013の口調には、どこか不安さが感じられた。それもまた俺の感傷なのかもしれなかったが。

 果たして彼女は間違えたのだろうか、そう考えかけて俺は笑う。純然たる機械であるロボットを「彼女」と呼ぶのは、錯覚に過ぎない。

 全てがあやふやに思えた。俺は俺の思考の外には出られない。

 己の手を見下ろす。皮膚。外部と俺を隔てる絶対的な境界面だ。俺とは、この皮膚に区切られた領域の中に詰められた肉塊でしかない。それだけが確かな真実だ。

 俺は、俺の境界である皮膚の表面に数多の感覚器官を備え付けて、そうして外部を探っているのだ。俺の持つ感覚器官は覚束なく、それを統括する俺という存在は更に心もとない。破れ易い境界に引き籠もる、孤独で不完全に過ぎる存在なのだ。

 俺は深く溜息を吐いた。その動作にAIBV-07FD-0013が俺を不思議そうに――これも俺の主観に過ぎないが――見上げた。

 「なぁ」と俺は彼女、いや相手は物なのだからソレと言うべきか、に頼んだ。先ほど俺に見せた過去の俺の木登り映像の、もっと前の部分を見せてくれないか、と。それは直ぐに叶えられる。

 AIBV-07FD-0013の目のように見える部分から投影された映像が、木の隣で像を結んだ。カラカラと羽虫の如き音が立つ。

 先刻見せられたものとは違い、俺目線のものではなく、第三者からの視点の映像だ。不思議な気持ちが込み上げる。今確かに存在している木の隣に浮かび上がる、過去の木の姿。実物にはまだ葉があるのに対して、虚像の方は丸坊主だ。

 家の方角から子供の俺が現れた。季節は冬だろうに半ズボンだ。膝には痛々しい大きな擦り傷がある。果たしてどこで転んだものやら、記憶にない。

 俺はサクラの木を見上げると、まっしぐらに登り始めた。何度か下に向かって視線を投げかけてはいるが、そこには誰もいない。当然会話もない。子供の俺はそんな不可思議な動作を何度か繰り返した後に、木から落下した。父親がそれを受け止める。

 映像がゆっくりと止まった。羽虫の如き動作音がまばらになり、ついには静寂が訪れる。

 俺は自嘲じみた笑みを浮かべた。俺がサクラの木に登るのを阻止しようとする誰か。そんな存在はいはしなかったのだ。俺が蝉を虐待するのを止めようとする誰かも、存在しないのだろう。全ては俺の幻想。或いは幻覚。

 俺の記憶はこんなにも、覚束ない。俺の能力はこんなにも、不確かだ。

 それなのに俺は、己の力で考えたいと、他者からの押し付けを排除したいと考えているのだ。なんて傲慢なことだろう。

 俺は視線を家の方へと向ける。確かさを欠いているのは、過去だけではないのだ。

 俺は今の俺そのものも、理解出来てはいない。自分の感情でさえ。

 俺はどうして、この家に帰ろうと思ったのだろう? 答えは出ない。車の中で下りようと呻いていたブラインドの音が甦る。

 俺の視線を読んだAIBV-07FD-0013が声を掛けて来た。「おかえりなさいませ」と繰り返した後に、続ける。

「あなたのお帰りを、ご主人様と奥様はお喜びになるでしょう」

 「なるでしょう」。未来を予知する形をとりながらも、それは確固たる色を持って発せられた。

 俺は即座に否定する。喜ぶわけがない。何故ならば、彼らはもう、数多ある彫像の仲間入りをしているのだろうから。

 こうして俺が庭に突っ立っているのに、迎えに出て来ないことが良い証拠だ。AIBV-07FD-0013が俺の帰宅を感知した以上、彼らにだって分かっているだろうに。



 先ほどは辿り着くことの出来なかった玄関に向かって、俺は勇気を振り絞って足を進めた。

 それが何のためなのか、どうしてこれほどまでに怖いのかすら、分からない。両親の彫像化した姿を目撃するのが恐ろしいのだろうか。今まで散々、彫像を見てきたと言うのに、今更?

 従順な我が家のロボットAIBV-07FD-0013が、俺の世話を焼くべく後ろに付いてきた。このAIBV-07FD-0013も久しぶりに動く人間に出会えて、喜びを感じているのだろうか。

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