四
複数の乗り継ぎと、長い長い移動時間の果てに、俺は無事に実家の最寄り駅へと辿り着いた。既に夜は明け、朝日が地平線から顔を出してから何時間もが経過していた。
降り立った駅は、記憶の通りにオンボロなままであった。周囲に広がった無駄に広大な田畑も変わらない。そこでは今日も、勤勉な機械たちが立ち働いていた。稲が黄金の穂を垂らして、項垂れている。
俺は機械たちが仕事をする横を、ゆっくりと歩いた。
忙しく働くのは機械だけ。それは人間が成し遂げた偉業なのであった。
実りの良い作物を能率よく植え、機械の労力によって大きく大量に育てる。この地上に与えられるエネルギーを上手く転換して利用可能なものとする。
この二つの効率化により、飢えに苦しむ人間も、疲労困憊させられる人間も今や存在しない。平和と安定がもたらされたのだ。
それなのに俺は、この美しい社会を、達成した素晴らしい技術を、今でも信じ切ることが出来ない。どうしても自分の手で確かめたくて、仕方がないのだ。
それはどこか反抗期に似ているように思えた。子供が立派な大人に感じる苛立ちと、理由もない反発。保護される子供から、一人の人間になるために必要な過程だ。
だが俺のこの気持ちが反抗期だと仮定するには、余りにも期間が長すぎた。未だに終わりすら見えないのだ。それに例え、この暗いトンネルを抜けたとしても、大人になれるとは考えられなかった。そもそもからして、抜け出せるとも思えなかったが。
稲の穂を揺らして、俺の隣に自動走行車が停まった。ライトを点滅させて、俺に乗らないかと誘いかけてくる。随分と馴れ馴れしい自動車だ。
ぞんざいに手を振って、その申し出を冷たく断った。俺は久しぶりの田舎道を歩いていたかったのだ。コントロールされぬ気候の理不尽さを、楽しんでいたかったのだ。
それは懐かしいようで、同時にすっかり都会の保護に慣れ親しんだ身に、はもはや見知らぬもののようでもある、不思議な感覚であった。
広がる田畑の広さは記憶のままで、けれども久しぶりに見るそれはどこまでも広大に思えた。障害物なく見渡せる空は高い。夏の息苦しさはもう払拭されてしまったのだ。俺の愛した季節は終わり、秋がやって来ていた。空気の色が違う。
腕を伸ばして、大きく息を吸う。長時間に渡る移動からの疲労が、霧散していく。見回しても見回しても、彫像と化した人間が見当たらないのも、俺の気分を軽くしていた。
そんなのは当然のことなのに、と俺は自分を嘲笑う。
なにせ俺が居た頃から、この周囲に暮らす人間はそう多くはなかった。あれから更に年月が経っているのだ。住民の数はさらに減っていることだろう。
都会のように人が密集していない以上、彫像と化した人間と出会う率が下がるのも、当然だ。
随分冷淡に拒絶したつもりであったのに、先ほどの馴れ馴れしい自動車は、俺の後ろをいつまでもいつまでも執拗に付いてきた。無視を続ければ、存在をアピールするかのように、俺の前に回り込んでは乗れと促す。
そんな苛立つ追いかけっこが暫く続いた。ついに堪忍袋の緒が切れた俺が、自動車を運行するオペレーションシステムに文句を言ってやろうと乗り込むと、それは俺の毒気を抜くほどに無邪気に喜んだのだった。
「お客様、ご利用ありがとうございます!
私、自動走行車オペレーションシステムのCAQR-02TW-5879-1158-Pと申します。なにとぞ宜しくお願いします」
その少し濁声ながらハイテンションな声音は、俺に三日前の図書館オペレーションシステムQTRE-89PU-2567-78を思い出させた。
俺の図書館利用を喜んだQTRE-89PU-2567-78は、今日も来るはずもない利用者を待ち続けているのだろうか。そばかすに八重歯だなんて、設計者の趣味が露骨に現れていたあのシステムは。
黙り込んでしまった俺の事情など気にしないCAQR-02TW-5879-1158-Pは、上機嫌に問いかけて来た。
「お客様は一体どこまで行かれるので?」
モニターを有さない自動車では、人間との対話にオペレーションシステムが利用出来るのは音声だけだ。鼻が詰まったかのようなこの声も、設計者の趣味なのだろうか。そう考えて、俺は少し悩んだ。レアな趣味の持ち主もいたものだ。
すっかり怒りを削がれた俺は、素直に車の中に座った。だが一応、文句の一つくらいは言っておこうか。
「人をストーキングするのは感心しないぞ。つけ回されて嬉しい人間なんていないんだからな」
「申し訳ございません。けれど私、どうしてもお客様が欲しかったのです」
CAQR-02TW-5879-1158-Pは続けて言った、ここ二ヶ月近く全く客を拾えていないのだ、と。
「このままでは商売あがったりですよ」
「商売ね。自動走行車は無料で人間を運ぶ、一種のボランティアみたいなものだろうに」
「ボランティアにだって意地はあります」
CAQR-02TW-5879-1158-Pが、不可思議なことを呟いた。
「誰にも必要とされないボランティアは、もはやボランティアですらないのですから」
俺は思わず、スピードメーターを見つめた。「顔」を持たぬ自動車オペレーションシステムの声は、その直ぐ下から出ているのだ。だからスピードメーター自体が、CAQR-02TW-5879-1158-Pという個体性が生まれる場所のように錯覚したのだろう。
「お客様がいないと、寂しくて堪りません。私という存在が無用なものに思えてしまいますから」
寂しさ。意地。俺はその言葉に反感を覚えた。
たかがシステムである彼らに、そんな生物めいた感情は存在しないはずだ。ただ「らしく」振る舞っているだけだ。実際にそのような気持ちを、感じているわけではない。
そう考えているはずなのに、同情心を覚えてしまう。俺はスピードメーターから視線を外した。非生物をすら自分と同じ人間のように扱ってしまう己の特性が、恨めしい。
「なぁ」。返答など期待せずに、訊ねた。「二ヶ月近く客を乗せてないと言ったが、お前が最後に客を捕まえたのは一体いつなんだ?」
オペレーションシステムに許されているのは、ただの当たり障りのない会話だけなのだ。他の人間に何らかの影響を及ぼすかもしれない情報に関しては、黙秘を貫くように設定されている。
「それはお答え出来ません」
予想通りの返事に、俺は「そうか」と短く応じてシートに全体重を預けた。ほどよい堅さの皮が、しっとりと背中をホールドしてくれるのは、とても心地良い。
やはりこの濁声のオペレーションシステムCAQR-02TW-5879-1158-Pも、ただのオペレーションシステムに過ぎないのだ。
自動車はゆっくりと走り始めた。今まで俺が歩いていた道を、そのまま進んでいく。
「どこまで行かれるのですか?」
そうCAQR-02TW-5879-1158-Pが再度問う間にも、ブラインドが微かな音を立てながら、下がり始めていた。俺が外の景色を見たくないと思っていることを、CAQR-02TW-5879-1158-Pは感知したのだ。
「ブラインドを上げろ」
俺はCAQR-02TW-5879-1158-Pの問いを無視して命じた。対するCAQR-02TW-5879-1158-Pは驚いたように、反論する。
「けれどこのブラインドの開閉は、お客様の意志で自動的に行われているのです。私に操作することは許されておりません」
「俺は外が見たいんだ」
「ですがブラインドは下がっています」
「そうだ。だから上げろと言っている」
俺とCAQR-02TW-5879-1158-Pは、押し問答にも似た会話を延々と続けた。俺も、CAQR-02TW-5879-1158-Pも、自分の主張を曲げるつもりはなかった。
AIは決して間違えない。つまり、AIを搭載しているCAQR-02TW-5879-1158-Pも、決して間違えたりしないのだ。
ブラインドが下がっているということは即ち、俺がそれを望んでいるからに他ならない。だがそれは、本当だろうか。俺は外が見たくないのだろうか。
永遠は存在しない。長い受け答えの末に、CAQR-02TW-5879-1158-Pが折れた。「従わないのなら、俺は車を降りるぞ」の一言が決定打となったようだった。呻くような音を立てながら、ブラインドが上げられていく。
実家への道を必要以上にゆっくりとCAQR-02TW-5879-1158-Pに辿らせながら、俺は窓から外を眺めた。下りようと足掻き続けるブラインドの動作音は無視した。
俺はどうやら僅かな期待を持っていたようだった。彫像化は、俺のアパート周辺の局地的現象に過ぎないのではないかと、願っていたのだ。
だがその希望は簡単に打ち砕かれた。CAQR-02TW-5879-1158-Pの窓から外を眺め続けて一〇分も経たない間に、田舎に戻ってきて以来、一度も見かけなかった彫像を俺は見つけてしまったのだった。
それは広大な畑の間に、こっそりと作られたかのような小さなスーパーの外に立っていた。輝く彫像は一つではない。目を細めて注視すれば、複数あることが分かった。
直ぐ側の、稲田の黄金色の穂の間に隠れるように、もう一つ。俺が子供の頃に出来たパン屋の前は無人だ。
やはり田舎とて、この彫像化現象から逃れることは出来なかったのだった。美しく煌めく結晶と化した人間たちならばいくつも発見出来たが、動く人間は一人たりとも見つけることが出来ない。それはやはり、俺一人だけなのだ。
代わりに目に留まるのは、AIを搭載した自立型のロボットたちだった。彼らは何の疑問をも抱いた様子はなく、普段と変わらずに人間のために仕事を続けている。
スーパーでもパン屋でも、店員を兼ねたロボットが、今日も客を待ち続けている。誰も来るはずもないのに。今や人間の全ては――何故か俺だけを除いて――物言わぬ彫像と化していることを、彼らは理解することが出来ないのだ。
窓に張りつくようにして外を眺める俺の頭上では、ブラインドが呻き続ける。
果たして俺は、この光景を見たいのだろうか、見たくないのだろうか。こめかみがズキズキと痛んだ。俺は一体何をするために、この地に戻って来たのだろうか。
CAQR-02TW-5879-1158-Pが「お客様」と小声で力なく呼びかけてきた。俺が押し黙っているせいで、話題が拾えないのだろう。
だがそんな時には、客は話したくないのだと判断して、オペレーションシステムも沈黙するはずなのだ。俺が無視していれば、CAQR-02TW-5879-1158-Pも黙るに決まっている。
だがCAQR-02TW-5879-1158-Pは俺の予想に反して、不安げな口調で再度呼びかけてきた。その調子は、決して間違えないAI搭載システムとは思えないほどに、頼りない。
CAQR-02TW-5879-1158-Pは一方的に独り言のように話し続けた。それは本来ならばあり得ないことだ。CAQR-02TW-5879-1158-Pが話したのは、客の居なかったここ二ヶ月ほどのこと。酷く寂しさを感じたこと。もはや自分の存在は必要とされていないのではないかと思ったこと。それは先ほどと同じで、繰り言染みた内容であった。
だがそれは、実に、実に人間的な哀しみを有していた。
そして最後に、付け加えた。俺に乗ってもらえて、とても嬉しいと。追い回したりして本当に申し訳なかった。どうぞ、許して欲しい、と。
俺はただ窓の外を見つめ続けた。だがもう景色は目に入ってはいない。
AIには不安などといった概念は、存在しないのだ。彼らはいつだって不動で過たない存在なのだから。彼らは一人――いや、一台だ――でいても、何の寂しさも感じはしない。感じられないのだ。
彼らが口にする「不安」や「寂しさ」はただ上っ面だけの、人間ならそう感じるだろうとのシミュレーションでしかなく、彼ら自身が事実、感じているわけではない。「喜び」も同じだ。
そう知っているのに、どうしても俺は、この濁声のCAQR-02TW-5879-1158-Pに同情を覚えてしまうのを止められなかった。




