伝承
ぁ………ぁぁ………うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!
どれだけ叫んでも、もう彼女は居ない。
どれだけ声が響いても、彼女の存在は消えた侭だ。
私が知る中で、一番残酷で美麗な光景だった。
何故?
彼女は、消えなければならなかった。
どうして?
目の前で、奪われた。
貴様たちは、私を恐れているが………
貴様たちの所業のほうが、残酷だ。
「………光………」
同じ種族の癖に何故、貴様らは殺した?
眩いばかりの光だった。
それなのに………
貴様たちのしたことを忘れはしない。
報復など、柄ではないが………
さぁ、血を振りまけ。
泣け、叫べ、貴様たちがしたように………
私が、再現してやろう。
世界の最後の光景を。
彼女が居なくても、世界には朝が来る。
忌々しい太陽の光こそ、彼女に似合うはずの何者かだった。
「ごめんね………」
「私なら大丈夫だ」
白々しい嘘を吐く。
二度と戻らない、手に入ったはずの光を奪ったのは、同じ種族。
許せるだろうか?
許せるはずもない。
それならば―――如何する?
狩りつくすのみだ。
さぁ、死ね。
さぁ………喚け。
懺悔など必要はない。
貴様たちが、何をしたか。
その躯でしかと覚えるがいい。
そのココロで感じるがいい。
恐怖と絶望を見せ付けてやろう。
闇に生きるしか術のないものが、光を纏うことすら罪か。
光を纏うものが、闇に生きる術を見出した罰が………之か。
何をしても虚しいと、永らえることの苦痛を知っているこの身なら………
死ぬこともできず、生きている訳でもない。
この身を滅ぼす事ができるのは、同属だけだ。
人間など、食料。
取るに足りない、血の生産者。
贄を差し出すしか能のない脆弱な者共。
「痴れ者がぁ!!!」
貴様たちの下らない思考の所為で奪われた。
まだ永らえることのできるはずだったのに。
これから先、私より希望が満ち溢れていたはずなのに。
許しはしない。
決して―――
決して、赦せると思うな。
「レイラ………赦せ」
そして今、最も憎むべきことをしている私を許せ。
自分の無力さを感じる。
この私が、何もできない人間相手に無力感とは笑わせる。
力ならば、有り余るほどあるだろう。
この手を翳せば、瞬く間に消せるだろう。
だというのに………
ただ人間と言う一人の存在が、塵に還っただけだというのに。
何故、之ほどまでに虚しいのだろうか。
「レイラ………すまない」
戻らない者が、人間だというのに何故愛おしく感じるのだろうか。
貴様たちの所為だ。
貴様たちの………
そして、私が異種族だったことが。
「コーシュライ」
貴方の声で呼ばれる自分の名前が、高貴なものに感じている。
それは、有り得るはずの無いことだった。
「………コーシュライ?」
「月が優美だ」
「貴方の方が、綺麗だわ。こんな綺麗な人………見たことないもの」
それは、穏やか過ぎるあの日の出来事。
全て奪われ、虚無になる前の一瞬の幸福。
貴方は、美しい。
その心が―――
その体が―――
そして、その血が………
「私は、人などではない」
そう在るはずも無い。
私は、闇にしか生きる術を持たない。
貴方とは、違う。
同種族では、人間など下等なだけの存在という。
私もその一人だった。
「ヴァンパイアなのよね。貴方は、皆が恐れる」
貴方だけは、私を怖がらなかった。
怪我をしている私を介抱し、その微笑を向けた。
「狼にでも、襲われたのですか?」
「いや………」
人間に襲われたのだ。
第一、狼如きにヴァンパイアの私が負ける訳も無い。
其れに月の出ぬ日に、狼が襲うはずも無い。
暗闇が、人間から私の姿を隠し………
私は助かった。
無様なものだ、人間如きに傷を負わされるとは。
「暫く、ここに居てくださいね。せめて、傷が癒えるまで」
傷など、直ぐに癒える。
何故ならば、私はこの世界の全ての有機物が跪くヴァンパイアに他ならないのだから。
一日で、治る傷の何処に介抱の余地があったというのか。
貴方は、如何して私を恐れない。
貴方は、如何して優しい。
「コーシュライ」
「………呼び難いだろう。我が名は………」
「私は、貴方が名前を言ってくれたことだけで満足しているわ」
「貴方だけに名乗らせておくのは、違うだろう」
「変に律儀ね」
貴方の微笑こそ、私が求めていたものだったのかもしれない。
長い間、生きることを余儀なくされ死ぬことも許されず私は独りだ。
長い旅路の中で、人に襲われることも数多にあった。
介抱しようなどと言う人間は、皆無だった。
当たり前だ。
人間の唯一の敵と目されるヴァンパイアを助ける意味などは、ない。
それに、我らとて人間に助けられたとあっては末代までの恥になる。
「人間で言うところの貴族の地位を持っているのでな。礼儀には、煩い」
「凄いわね、私はただの街人。貴族を見たことなんてないわ」
貴方の世界を汚すこの魔物を、貴方は如何して受け入れたんだ。
私を………今私を殺せば、ヴァンパイアの一固体は確実に滅すると言うのに。
貴方は、ただ私の側で微笑み傷に薬を塗っている。
(人とは、不可思議な生き物だ)
私は、人間に対する認識を改めたほうがいいのではないかとすら思っていた。
貴方は、私が知っているどの人間ですら当てはまらない。
「傷が、癒えるのが早いですね」
「人間では、無いから………口惜しいことにな」
「私は、憧れます」
貴方は、決まってそう言った。
私に憧れているのだと、否違う。
私の種族に憧れていると、貴方は笑う。
いっそ全てを清めるように清々しい笑顔で。
「笑っていたほうが、美しい」
「貴方ほど、美しい人はこの世には居ないから。その他は、美しくないわ」
「私は、禍々しく醜い存在だ。この世に有っては、成らぬ者」
「この世界には、何が有っても良いと思うの。私は………」
貴方の考え方に、頷きそうな私が居る。
離したくないのだろうか、あの小さな手を。
美しい、あの小さな手を。
誰にも渡したくないのだろうか。
(阿呆め………何れ、私は此処から離れなければいけない)
流浪する。
歳を同じように歩む訳ではない私は、流浪するだけだ。
今も、之からも。
一処に留まりたいなどと、其れこそ同属が嘲るだろう。
決して知られてはならぬのだ。
「歳を取らないことは、幸せですか?」
「何時までも、若くあると言う唯一点に置いてのみその言葉は有効だ」
貴方が、若し我らと同属ならば………
其れは、美しき魅惑の者であっただろうに。
口惜しいことに、貴方は人。
口惜しいことに、私は痴れ者。
「如何足掻いても、私たちは別々の個体なのだ」
「………1つに成れたらいいのに………」
貴方が、人間であることの意味。
私が、ヴァンパイアであることの意味。
「別の個体に産まれて来たからこそ、私たちは出遭うことが出来た」
「確かにそうだけど」
悲しむ必要など、何処にもない。
貴方は、何れ私のことなど忘れ去り・・・
人間として、同じ種族と共に歩むことを優先させるだろう。
「真実、自分が哀れな痴れ者であることを正に気付いたか………」
貴方が、通ってくることはもう2度と無いだろう。
私は、これから貴方に牙を向け。
私を貴方の記憶から消すのだから。
「如何して?」
疑うことの無い眼差しが、初めて疑いを知ったかのように見やる。
「所詮、ヴァンパイアだと言うことだ」
勤めて冷徹に出す声が、震えていることに気取られてはならぬ。
貴方の血が、貴方の躯が、美味しそうに見える。
否、判っているのだ。
貴方の血こそ、この世に2つと無い馳走であることを。
「貴方は、こんなことしないと思っていた」
戯れを。
所詮は、人間に仇成すことを義務付けられたヴァンパイア。
痛みを与えるつもりは無い、ただ貴方の中から私の存在を消すだけだ。
そう、貴方が忘れても私は覚えている。
「でも、貴方が望むなら」
之で、いいのだ。
貴方の躯に傷を付けるのは本望ではない。
然し、そうでもしなければ私は貴方を忘れられないのだ。
貴方が、私を忘れてくれるのならば二度と私は貴方に近付かないだろう。
「美味しい?」
首筋に牙を立て、其れを埋める感覚は幾度味わっても慣れるものではない。
まして、一度限りの人の身であれば直のこと。
だのに、何故、貴方は笑うのだ。
何故………?
未だ流浪の中で、答えは出ないで居る。
私は、あの時の選択を未だ過ちだと確信しては居ない。
「舞い戻るつもりなど、無かったのに」
不覚にも、あの時と同じような状況に陥ってしまった。
暗闇の中に紛れ、私ほど人間と争う者も少ないだろう。
好きで争うわけでもなく。
争いごとは、何時も向こうからやってくる。
「未だ2年しかたっていないというのに」
貴方懐かしさに舞い戻ってきたわけではない。
私は、私にそう言い聞かせ………
貴方が、私を匿ってくれたあの家へ赴いた。
「誰?」
「近くで傷を負った、悪いが少し休ませてくれ」
暗闇で何も見えぬと人間は嘆くだろうが、私にとっては眩しすぎるほどの闇だ。
「………」
顔が見えたときの驚愕に見開いた瞳は、確かに昔見た懐かしい顔だった。
そうか。
此処は、貴方の気に入っていた処。
「どうぞ、何も無い所ですが休むには十分でしょう」
貴方が、私を覚えていると言うことは決してないはずなのに之ほど心が乱れる。
貴方が、其処に居ると知ってしまった瞬間から貴方に触れたいと願ってしまう。
2年と言う月日は、私の記憶から貴方消す時間にするには余りにも短すぎた。
(貴方は、何一つ昔と変わってはいない)
少しだけ、歳を取ったようにも見える。
そう、本の少しだけ。
「あ、貴方」
気づかれたかと、慌てるがそれでも貴方に殺されるのならば本望だった。
私の願いは、あの時から何一つとして変わってなどいない。
「コーシュライ。私は、そう呼ばれております」
「コーシュライ。其れが、貴方の名前なの?」
あぁ、もう一度貴方の声で我が名が聞ける日が来るとは思わなかった。
例え、其れが確認の声音として発せられた言葉であっても・・・
「我が名は、コーシュライ。以後お見知りおきを、美しきお嬢様」
恭しく頭を下げ、得たり顔で貴族を演じてみせる。
此の侭、何も知らなくていいのだ。
傷が癒えれば、私は二度とこの街には現れないのだから。
危険を冒してまで、貴方と会う必要など微塵もなかったというのに。
「それでも」
一目見ただけで、之ほどまでに心が乱れ気が狂いそうになる。
そう其れは………
血を欲し、其れでも血を啜れないことの苦痛とも同じ。
然し、目の前の貴方はとても馳走であり無防備だった。
世界など貴方を守るためだけに存在すればよかった。
貴方の存在が、消えた時私の世界もまた………消失するのだから。
幸せだと、その微笑を他の誰かに向けていたとしても………
貴方が、この世界で存在するのならば私も存在しよう。
禍々しき、人間の敵として。
「大丈夫ですか?」
「はい」
人間では、致命傷なほど血を流しながら何故笑うことができるのだろう。
私は………
そう、ヴァンパイアなのだ。
所詮、闇に生きるしか術は無く。
貴方の世界に不必要な痴れ者だ。
「私、貴方に会ったことがあるかもしれないわ」
だから。戻る気など無かったのだ。
何かの切欠で、貴方が若し私を思い出したとしたら。
其れは、私の幸福でこそあれ貴方の不幸なのだから。
「人違いでしょう。私は、始めてここに来た」
「そうかしら?でも、貴方とよく似た人を知っている気がするの」
「恋人ですか?」
取り留めの無い会話など、すぐにでも作り上げることができるだろう。
そう、一瞬の出来事。
全ては、痴れ者が仕出かした唯一の恋。
思い出して欲しいと願いながら、思い出して欲しくないと願っている。
矛盾した思い。
裏腹な感情。
わかっているはずだ。
私たちが、惹かれ会った所でお互いに何にも成れないことくらい。
「私は、好きだったのかもしれないわ」
「その人は、今?」
「旅人だったの。怪我をして動けなくなってた。ちょうど今の貴方みたいに」
そうして貴方は語る。
私と貴方が始めて遭ったときの出来事を。
私とは知らずに、話し続ける。
「人じゃなかった。自分でもヴァンパイアだって言ってたくらいだもの。
でも、とても素敵な人だったわ。綺麗な瞳、綺麗な髪の色、そして私を呼ぶ声。
私にとって、全てが特別だったわ。ある日突然居なくなってしまうまでは」
何度も探し続けたと言う、何度も求め続けたと言う。
神に祈り、すぐその後で自ら愚かな行為をしていると確信していた。
「あの人は、神に叛く者。だから、神に祈ったって会える訳が無いのに」
「ヴァンパイアは、神に対する冒涜から産まれた。
存在自体が、痴れ者です。神に祈った所で、神は聞き入れてなどくれませんよ」
「賭けてみたかったの」
貴方は、笑う。
二年前、私を虜にしたその笑みで。
夢を見たと思えば良い。
貴方と共に有りたいと。
人間でありたいなどと。
貴方を慕うようになってから、私は人間の血を啜らなくなった。
絶望的に餓え、渇き、苦しむことに成っても。
其れは、人間などに焦がれた痴れ者の末路だと思えば良い。
「賭け?」
「お祈りして、戻ってくることを願ったの。
其れが、ヴァンパイアとしての儀式だとしても良かったのに」
数多の同胞を喰らい、全てを脅えさせる痴れ者に何故其処まで?
私は、何れ貴方が私を忘れ同胞の人間と幸せに成ることを願っていた。
如何足掻いても、泡沫のように消えてしまうものならば。
あの時、貴方を永延の者としていれば私は幸せだったのだろうか。
「吸血行為自体に意味が有るものではありません」
「え!?」
「あれは、ヴァンパイア独自の想いを伝えるための術」
嘘を言うな。
そんな訳が無いだろう。
例え、人間には過ぎた快楽であろうとも。
我らにとって其れは、食事としてしか意味を成さないものなのだから。
「お詳しいんですね」
私こそが、そのヴァンパイアの一人なのですから。
「私にとって、彼らは敵です。ずっと憾み続けています」
「貴方は?」
さぁ、簡単に作れる御伽噺よりも陳腐な作り話を。
もう、貴方に深入りすることは金輪際無いのだから。
「何もかも奪われ………其処に何が待つというのです?
ヴァンパイアの儀式が、どれ程のものか………貴方は知らない。
其処に在るのは、数多の屍と混乱した人の群れ。
そして、大きな都市一つを一人で壊滅させるヴァンパイア。
多くの男は、ダンピ-ルに似た姿になり光が差す頃、自ら滅び。
女性は、血の生産者として飼い馴らされる。
乙女の血ほど、彼らにとっての馳走は無い」
只、只管に絶望と恐怖を。貴方に。
与えたい訳ではない、与えられたい訳でもない。
其れでも、近づきすぎてしまった以上。
壊れるのは、必定。
成らば、いっそのこと何も知らない顔をして基に戻そう。
貴方が、私に出会う前に………
私が、貴方を知る前に………
貴方の全てを奪いつくすことなど、一度たりとも考えなかった。
貴方に恋焦がれる余りに、私は………
「彼は、その人は、優しいヴァンパイアでした」
貴方の言葉で、救われこそすれ絶望に堕ちることなどできはしないのに。
仕出かした想いの代償は、余りにも果てしないものだった。
私の世界は、只の一度も貴方の世界とは交わらない。
交わることなど、在っては成らない。
「彼は、街の人を一度も襲ったことは無かった。
一月も村に居たのに………普通は、お腹が空くものなのでしょう?」
「………固体によって、違いはあります」
「私はね、信じているの。彼は、世界で一番優しいヴァンパイア」
「優しい顔をしているだけなのかもしれない」
優しい振りをして、貴方に近づいて………
貴方と言う存在に囚われた。
「でも、信じるだけなら良いでしょ?」
信じて、如何する。
信じて、如何なる。
私がヴァンパイアであることは、紛れもない真実なのだ。
私と言う固体が、血を啜るだけの人間だったとしても紛れもなくそうなのだ。
人は、名付けるだろう。
『悪魔の生贄』
私は、私という存在は貴方の前では恥であれこそすれ誇りではないのだ。
「信じれば、救われるのですか?」
貴方は、ヴァンパイアに救済でも求めていたのか?それとも………
こんな下等な私でも愛してくれるというのか。
神などは、信用できないが貴方こそ、唯一絶対に信じられる者。
全てを包み、許してくれる。錯覚だと、心が迷っているのだとわかっているのに。
「信じても、必ず裏切りが待っていますよ」
同じように生活を送れるわけもない。ヴァンパイアは夜に潜むもの。
人間は、昼に生きる者。
正反対の二つが、交わらない事は明確で揺るぎがたい真実なのだ。
ソレは、天と地が壊れても在り得ぬ事なのだ。
「信じられる人もいるわ。私は、信じたいの」
貴方の瞳には、嘘はなかった。
私は、自分という存在が酷く醜く思える。
解っているはずだ。
貴方が人間である以上、私がヴァンパイアである以上。
結ばれる日など、永延に来ないことくらい。
「貴方は、少しお人好し過ぎる」
「人を信じないより、信じ続けた方が良いと思うの」
「彼は、ヴァンパイアだったのでしょう?」
人などではありえない。
私は、貴方の世界を脅かす脅威の存在に他ならないのだから。
「そうね。それでも………信じていたかったの」
何故、其れ程までに?
「裏切りが怖くないのですか?」
「彼は、私を裏切ったりしない」
その根拠は、何処から湧き上がると言うのだろうか。
私は、貴方を裏切った。
たった一度………私が、貴方を忘れるために。
貴方の身体に、赦し難い傷跡を残した。
「信じる者は、救われる」
「えぇ。でも、神様にじゃないわ」
信じるものしか救わない。裏を返せば、そうとも取れる格言。
「自分が、救われるの」
貴方は、私に救済を求めていたのか。だが、私には人を救う力など在りはしない。
其処に在るのは、唯一絶対の破壊と言う恐れのみ。
「今でも、救われたいと願っていますか?」
「えぇ、彼と共に」
あぁ、忘れていないのだ。
貴方の心の奥底では、私という存在が今もその領域を踏み荒らしているのだ。
「暫くは、此処にいるんですよね?」
「え、えぇ」
一刻も早く立ち去りたいと願いながら。一刻でも長く留まりたいと思い。
貴方が私を思い出すことの恐怖を感じながら。貴方が私を思い出すその瞬間を待っている。
貴方に再び会えたこと。
それだけで良かったというのに、私の欲は何処までも深いのだろうか。
貴方こそ、光。私が、貴方に会うことがなければ生涯知ることの無かった光。
「ずっと」
貴方が何を言おうとしたのかは、わからなかった。ただ、貴方と共に在れること。
今、其れを許されていること。
「無様だな」
己をもそう罵れてしまうほど私は、貴方に関しては面白いように違うものになった。
解っている。何を後にする事が有っても私という存在は其処に許されるべきものではない。
「痴れ者。如何有っても、如何足掻いても穢れた存在」
未だに己の存在を認めることの出来ない私には、貴方との思い出を語る資格すらも無い。
この想いは、何だろう。この想いは、何処に向かうのだろう。
この想いは、誰の為にあるのだろう。あぁ、そうか。全てが、貴方に向かっているのだ。
私の想い付く先に在る全ての思考が、貴方へと繋がることを望んでいるのだ。
「コーシュ」
「如何かしましたか?」
「貴方は、私の傍に何時でも居てくれるのね」
貴方が望む限り。貴方が私を必要だと信じている限り。何時までも、貴方の傍に居よう。
だが、若し………私が貴方の足枷に成るようなことが、瞬間でも訪れた時には・・・
私は、貴方の傍に居る己の存在を消すだろう。
出来るかはわからないが、貴方に触れることの叶わない世界など不必要なのだから。
「何時までも、傍に居る。レイラ、貴方が望むのであれば」
「ありがとう」
人に感謝の言葉を言われたことは皆無だった。
今の私ならば、あの頃を幸福の全てだと絶賛することが出来る。
それでも、その頃の私には貴方の傍に居ることの意義を何も見出しては居なかったのだ。
だが然し、私は貴方の傍に居ることを肯定していたのだ。
どんな時も、どのような場面においても。
「コーシュ」
「レイラ」
互いの名前を呼ぶこと。あの狭い空間では、それさえも特別に感じていた。
寄り添いあって、生きていたのだ。例え、共に光を浴びることは叶わなくとも。
例え、共に闇を纏うことしか叶わなくとも。
「傍に居てくださいね」
「あぁ。君が望む限り」
何時か、貴方は人としての生命を終える日が来るだろう。それまでは、傍に居よう。
貴方の傍らで、こんな私の笑みでも幸福を感じられるという貴方のために。
「約束、ね」
「約束しよう」
人ではないが、人の約束をしよう。
「ありがとう、コーシュライ」
私は、未だ貴方と約束した物の全てを果たせていないのだ。
「見つけたぞ、レイラ」
無粋な男の声。レイラと同じ歳頃だろうか、少し幼い顔立ちの男。
「毎夜毎夜、何処に行くのかと後を付けてみれば。その男は、異端だ。
離れろ、レイラ。お前まで、異端になる前に」
無粋な来訪者により、全ては終わってしまった。
男は、私が何者かを知っており私を殺すつもりで此処に来たのだろう。
「何故、この人と離れなければならないの?」
「決まっているだろう、この男は人間じゃない」
「だから、何?」
平素は、穏やかな口調で何にも怒りをもたない貴方が怒りの口調で紡ぐ。
男は、少し驚いた様子だったが直ぐに持ち直したようだ。
「聞き分けてくれ、レイラ。第一お前には、恋人が居るだろう」
「恋人なんて居ないわ。貴方が勝手にそう思っているだけでしょう」
貴方には、人間の恋人が居るのだな。幸せで在れるのだろう。
貴方という存在を、その全てを奪える立場にある男。
「今宵は、その刃を収め彼女と共に村に帰ってはくれないか」
「な、何を!?」
男は、私に命令を受けることなど思いもしなかったのだろう。
「私は、旅を続ける。約束しよう、もうこの村には足を踏み入れないと」
「本当か?」
疑い深いのか。まぁ、賢い方だ。
我らなど、約束を破るのを常としているような痴れ者よ。
「コーシュ!!」
「レイラ」
貴方の名前を呼ぶ行為も、之で最後だ。
もう二度と貴方の傍で、その名を呼ぶことも。
我が名を呼んでくれることも、叶わなくなるだろう。
だが、それで良い。
「サヨウナラ」
「………」
別れの言葉だと言う。どんな意味を持つというのだ。
貴方以外の人間の名前と同様に、如何でも良い存在だ。
この言葉も、貴方の傍に居れたこの私も。
「行こう、レイラ」
「………」
無言のまま、貴方は男に連れて行かれた。
華やいでいたこの館も一瞬で、色あせた。
私の瞳には、色などもう映りはしない。
「レイラ、赦せ」
そして、身の回りの少ない荷物を纏め。
月のでない夜に、出立するつもりだった。
「コーシュ、私を連れて行って」
「何故だ」
人間の元に居れば、少なくとも人間である生活が出来るだろう。
私の元にくれば、人間を捨てねばならぬ。
「貴方の傍に居たいから」
「レイラ、お願いだ。人間の下に帰り、人間として生きて欲しい」
貴方を惑わせたのが、私だというのならば甘んじて罰を受けよう。
だが、貴方が人を捨てる道理など何処にもないのだ。
「私、貴方のことを………」
貴方が言いたい言葉は、若しかしたら私の中にある言葉だったのかもしれない。
可哀想に、この痴れ者は何を言われても気が付かない。
「もう、之から先関わりあうことはないのだ」
「嫌」
「聞き分けて欲しい」
「いや………」
私は、何時の間にこんなにも人間の心がわかるようになったのだろうか。
貴方と居たからだ。共に有ることで、分かり合ったような気になっていた所為だ。
「じゃぁ、約束して」
「………」
もう、一度約束を紡ぐのか。護れる道理も最早ないというのに。
「私は、貴方を忘れない。だから、貴方も私を忘れないで」
護りきれないものは嘘、偽りになる。何時かは、この躯が朽ちる瞬間が訪れたとしても。
「………忘れられるわけがない」
この精神が、躯が貴方と居た時の全てを思い起こしてしまうのだから。
「良かった………私、幸せだから………大丈夫」
抱きしめることが叶わない。届かない。
あぁ、私は貴方が幸せだという言葉を鵜呑みにしても良いのだろうか。
「レイラ」
「心配しないで、コーシュ。私、この村が好きだから。離れないわ」
「人間は、良いな」
「え?」
「私は、初めてそう思った。貴方が、羨ましい」
貴方に会わなければ、知る必要も無かった人の性。
「私と一緒ね。私は、貴方が羨ましくて貴方は私が羨ましい」
「あぁ………さぁ、もう帰らなくては」
貴方は頷き、私と共に過ごしたこの館から踵を返した。
そして、その夜。貴方は帰らぬ人になった。
唐突な世界の崩落、まるで全てを奪われたかのような心地になる。
「何故だ、レイラ」
早すぎる死を悼む閑も与えてくれないのは、原因を知っているからだ。
(矢張り、私の所為か。レイラ、遅かったのだな)
関わってしまえば、命を縮めることを判っていたはずなのだ。私は。
そして、貴方をあの日連れて帰った男が此処に来ることも。
「お前に、レイラの名を紡ぐ資格などない」
怒りに任せ、男は刃を私に向けた。あの日と同じように。
「レイラは、貴様を愛していると言った。そして、貴様も同じだと。
そんな訳が、在り得る筈はない。貴様らに、人間らしい感情などあるものか。
如何して、レイラを巻き込んだ。貴様などが、レイラに愛されて良いはずがない」
「あ、い?」
獣の瞳をしていた。殺気を隠そうともせず、私に対峙をしていたのだ。
「あぁ、そうだ。貴様を愛していると。人間の俺よりも、もっと。だから………
レイラを殺した。俺が、愛していたことにも気が付かず人外を愛するからだ」
人間は、人間を殺すときの正当化として、その言葉を使いたがる。
ソレは、凶器であり狂気だと言うのに。
「それが、お前の全てか」
何も生み出しはしない不毛な会話。貴方以外の人間は、矢張り下らぬものに相違ない。
「そうだ」
「レイラが、誰を慕おうがレイラの自由」
「違う、レイラはもうすぐ結婚するはずだった伴侶。つまり、俺を慕わなければならない」
私は、自身に降りかかる刃をかわしながら男へと向き直る。
男は、同じ言葉を繰り返しながら私に刃を向ける。
「呪ってやる。貴様の所為で、レイラは俺を見向きもしない。
呪ってやる、次の世も、その次も、お前を見つけ次第、確実に仕留めてやる。
レイラは、俺のものだ。そうでなきゃ、可笑しいだろう!?」
「レイラは、レイラのものだ」
レイラは、お前のものではない。まして、私のものでもない。
レイラは、その魂もカラダもレイラ自身のものだ。
「何を言っていやがる。貴様に何がわかるって言うんだ。
所詮、異端の癖に。所詮、人外の獣の癖に。俺は、お前を許しはしない」
同感だ。
人間などと、意見が合うとは思わなかった。
だけど、お前の意見には同感だよ。
「許しはしない。レイラを奪ったお前を。そして、護りきれなかった私を。
決して、許しはしない。お前たちを、何時の世までも許しはしない。
私の命が、尽きるとも。お前たちを許してなるものか。人間如きが、罪は重いぞ」
どのように時が経ったとしても、確実に、殺してやる。
啼け、喚け、そして、己の愚行を痴れ。お前たちこそが、痴れ者ではないか。
同じ種族を殺し、それを正当化し、当然と考える。
「敵など、貴方は望まないだろうなぁ」
血に塗れ、牙が紅く光り、貴方の最も嫌う格好を私はしている。
「レイラ………不味いなぁ、貴方以外の血は………慣れそうもない」
私が、若し何時か永遠の命を終えるときには貴方の元へと逝けるのだろうか。
そんなはずは、無いのに。願ってしまう。
貴方を想う気持ちこそが、愛と名付けられるべきものだというのなら。
私は、唯………貴方への愛だけで生きていた。
思い出すのは、貴方の最期。
間に合ってしまった皮肉を、誰が詰る訳もない。
「コーシュライ、貴方は、誰よりも優しい、人」
貴方の最期の呟きで、私は貴方の目の前でだけは人であることを許された。
穏やかだった貴方の人生の隅にでも良い。私という存在が、刻めたのなら。
「私は、始めて知りました。貴方を想うこの気持ちこそ愛なのだと」
「幸せでいて、私が居なくなっても。貴方は、幸せで。居て」
幸せとは、何だろうか。
貴方の傍に居ることで感じていたものを幸福だと賞賛するのならば・・・
貴方が消えた世界に、私の幸福などありはしないのだ。
「ねぇ?、コーシュライ。あの時の、私の、血は、美味し、かった?」
「あ、あぁ」
アレほど美味い血が、この世に存在することすら奇跡だと思った。
そして、過ちに気が付いた。
貴方のあの血は、私を貴方に縛り付けて離さないほど、私は、貴方の血に囚われたのだ。
所詮、ヴァンパイア。愛しいと想った者の血すら啜らねば生きてはいけない穢れた痴れ者。
「如何して、私は貴方とは違うのだろうな」
「大、丈夫、貴方は、優しい、から。コー、シュ、ライ」
この優しさなど、偽りの物だと言うのに。
偽善も驚くべき程の偽りで満ちた優しさであると言うのに。
貴方は、人間。私は、化け物。
それでも、貴方を『千年の連れ人』にせずに済んだことを感謝する。
私の貴方に対する想いが、之から先、同属や眷属から何と言われようとも。
「レイラ、今こそ誓おう。私の全てが、貴方だった。と」
先に逝かせてしまうのは口惜しいことでは有るが・・・それでも、貴方と瞬間でも良い。
共に歩めた事。微笑を交わし、生きていく意味を見出し。それだけで、幸せだったのだ。
「嬉、し、い。之、で、やっ、と、貴方に、言える」
最期の微笑を、血に塗れた其の顔を、そして、私に触れようと伸ばした腕を。
「………」
あぁ、之が悲哀と言うものなのだな。
レイラ。レイラ………レイラ………レイ、ラ。
何故、心優しい貴方が死ななければ成らなかった。
「レイラ。せめて安らかに眠れ」
何故、私は泣いているのだ。
泣くなどと言うものは『私』には、在り得るはずの無い物だと言うのに。
もう二度と触れることはないと思っていた。貴方に触れ、少しだけ貴方の血を貰おう。
それだけで、忘れてみせる。忘れてしまえる。
「愛しいと言う感情に気づいた刹那に、此の終焉か」
之から先、喉の渇きを絶望し餓えて満たされぬ欲を押さえ込む。
それだけの生命体になろうとも。
「貴方で、最期だ」
私が、初めて愛しいと言う感情を持った貴方。
「此の次は、平穏な所で産まれてきて欲しい」
貴方の愛して止まないこの街を見下ろせる場所に、貴方を弔おう。
「レイラ、私が人間であればもっと倖で在れたのだろうか」
貴方と私が、人間として出遭って居たならば………今と成っては、其の言葉に意味はない。
そして、私は流浪する。
有り得ないとは知りつつも幾先年の時の流れに、貴方が廻り来ることを想いながら。
あれから幾年が過ぎ去ったのだろうか。
私は、数えることをしなかった。
あの時から、私の刻は止まってしまったのだから。
「レイラ」
貴方の絶望的な死を前に、私は始めて神に縋った。
救いなど、無いことを知りながら。
痴れ者は、何処まで行っても何時まで経っても痴れ者。
神も明後日の方向を向く痴れ者が、神に対し祈ることは冒涜だ。
「喉が、渇いた」
解っている。此の渇きは、どれ程何かを呑んでも癒されはしないのだ。
貴方の血でなければ。最早、何にも癒されはしないのだ。
「………?」
子どもが泣いていた。
「如何した?」
「………」
子どもは、驚いてこちらを見るばかりで言葉を発しようともしない。
「迷子にでもなったか?」
店が立ち並ぶ大通り、大方親と逸れてしまったのだろう。
一人にするには、忍びなく。私は、其の子どもと共に居た。
特に急ぎの用事が有る訳ではない。私は、その幼子の両親が来るまで幼子と共に居た。
「にーちゃ、なまえ?」
漸く言葉を発することを覚えたであろうその幼子は私に問うた。
「我が名は、コーシュライ」
貴方以外の誰かに紡ぐ事などは決してないと思っていた私の名前。
「コーシュ?」
「言い難いだろう、我が名は。所で、お前の名は?」
「レイ」
心臓が、立てる音が不用意に響いた。解っている。
貴方と同じ名前を、似たような名前をもつ人間など五万と居ることを。
それでも、心乱されるのだ。
「そうか、レイか」
「うん、レイ」
幼子の笑顔が、貴方の笑顔とかぶって見える。そんな訳は無い。
貴方はもう、此の世界には欠片たりとも存在しないのだから。
「レイラ」
如何して、再び逢いたいなどと望むのだろうか。
遇うことで、私たちは何を見出せるというのか。
「レイ………ラ」
私は、未だ愚かな痴れ者。貴方は、この世界には最早存在すらもない。
「にーちゃ?」
「ん、大丈夫だ」
幼子は、自分の名前を呼ばれたと思ったのだろう。首を傾げ、私を見やる。
「にーちゃ………どこかいたい?」
貴方に会えぬ世界になど、用はないはずなのに。
私は、未だ命を奪われることを許してはもらえない。
貴方に会えぬ世界など、存在するだけでも苦痛なのに。
私は、未だ此処でこうして生きているのだ。偽りを。
「大丈夫だ」
この幼子は、何時か大切なものに出会いそれを喪うのだろうか。
何時かは、私が貴方に出合い知ったような感情を知るのだろうか。
「レイ」
「ん?」
「大切な者が出来たら、その者を信じるがいい」
幼子は、首を傾げていたが私にはそれでも良かった。
「あ、ママ」
慌てて駆け寄ってくるのは、少し歳のいった女。幼子の言うように母親なのだろう。
何度も、礼を言われた。
「ありがとうございます」
「いや、通りがかっただけだ」
「お名前を」
母親の言葉に反応した幼子が、笑いながら言う。
「コーシュライだったっけ」
「良く覚えていたな」
幼子の頭を撫でると、目を細める。何かにつけて、幼子の仕草が貴方を思い起こさせる。
そして、思い出す。
「救いなど、唯の一度もなかった。貴方に会うまでは………」
救われるはずもない魂だった。救いようのない躯だった。
一度は、救われたはずの魂は救済を求め彷徨っている。この躯と共に。
「何か?」
「いえ、この子どもに似た人と親しくしていましたので」
「そうですか、夜は物騒な状態が続いているので気をつけて」
「えぇ、貴方も」
「バイバイ、コーシュ」
幼子は、手を引かれ帰っていった。
「物騒か………」
未だこの村の近辺では、魔物が居るのか。私のような痴れ者が。
「貴方の眠りを邪魔するものならば消してやろう」
殺してやる。滅してやる。啼け、喚け、そして、私に恐怖しろ。
喚起できるのは、肉片。バラバラになる肉と手に残るその感触。
鮮明に思い起こすのは、体中に降りかかる食物である血。辺り一面の噎せ返るような血臭。
物を言わなくなった屍に、それでも悪意を突きつけるのはあの男だからか。
「妬ましいと言う感情か?」
疑問の皮を被った断定にも答えなどはない。それで十分だ。
あの男の言葉で、その声で従属のように語られる貴方の名前。穢れる。
だから、物言わぬ屍にしてくれよう。
「………光の輝きが強ければ強いほど、闇は更に深くなり堕ちる………」
グチャリ。肉が殺げる音がする、そして中身が哀れにも飛び出た者。
臓物と思わしき何か、人間が形をなさずに紅い弧を描く。
「た、助けてくれ………」
弱弱しい声で紡がれる懇願などに耳を貸す暇などはない。
お前が言ったのだから、お前が遣ったのだから。
「………彼女を………亡き者にした。その咎だ」
残酷なまでの狩りを、ここ数年渇望することのなかった解体への快楽を。
「違う」
それでも、貴方の血には遠く及ばない腐乱し穢れただけの碌でもない血の匂い。
「そうだ、そして………」
あの屋敷に帰った。炎が燃え盛るあの屋敷へ。
「化け物が、リヤを殺したぞ!!」
「聖なる炎を持って、浄化してくれる!!」
熱いなどとは思わなかった。ただ、面倒なことになることだけは頭の片隅でわかっていた。
「約束、護れそうにもない………な」
弱音を吐くときは、この世から消えるときだ。覚悟はしていた。
何時か、この世界から消えてなくなる日が来るということを。
「重度の火傷を負いながらも、私は生きていた」
火傷が治りかけるたびに、激痛が体を襲う。
剥がれ落ちた黒焦げの細胞、そして躯が再生をするたびに襲う違和感。
人間ではないことを思い知らされる。如何有っても、何にも成れないと。
簡単に逝くことの赦されない咎。そして、傷を負うたびに新たな街へ。
一所に留まることを望まなくなったのは、貴方が消えてからだ。
「…………レ、レイラ………?」
私の意識を引き戻したのは、幼子が居なくなってしばらくした頃だった。
色を映さなくなった瞳が、貴方を捉えた。
「この痴れ者が、夢でも見ているのだろうか」
見るはずのない夢を、貴方が未だ現実の世界に存在しているという有り得ない妄想を。
全く、永く生きるものではない。
「こんにちは」
「?」
声をかけられ振り返ると、今まさに妄想だとそう思っていた女が居た。
「何だ」
「時刻からして、こんばんはですか?」
「いや、知らぬが………」
相変らず疎いのは、人間の作法・挨拶。
人間とは関わらない生活を送っていたはずなのに、気が付けば関わっている。
「話し相手になっていただけませんか?」
「何故だ」
貴方のように、唐突な提案。
「私の村の昔話に出てくる人にそっくりだから」
好奇心か?身を滅ぼすぞ。
「昔話?」
「そう、伝承なんだけどね」
そうして、話し出す。
人間の昔話を聞くほどに暇はないが、それでも足を止めたのは貴方に似ているからか。
あぁ、何時まで忘れないつもりなのだろうか………躯が滅するまでか。
ならば、この躯など捨ててしまえればいいのに。
一体、私は何時になれば死ぬことを赦されるのだろうか。
貴方の元に行くことは生涯掛かったところで、無理なのは承知している。
私には、死ぬ場所すらないのかもしれない。
誓いを立て、人の血を啜らないはずのヴァンパイア。唯一度だけ血を振りまいた。
「お前が二度と廻り生まれぬように………あの人の前にその姿晒さぬように………」
憎しみと妬みと、総ての負の感情が支配したその瞬間。
唯の肉塊を生み出す道具と成り果てることを知っていながら、私は望んだ。
「神よ、如何して………あの人なのだ。何故、何故なんだ」
貴方の名前を呟いたところで、貴方は還ってこない。我を忘れた醜い痴れ者。
「レイラ、貴方は私を優しいと言ってくれたけれど………私は、優しくない」
人を物言わぬ屍にし、血を見て嗤う私は決して優しいなどという言葉では語れない。
矢張り、私は唯の血に餓えた獣なのだ。
「貴方が傍に居てくれたから、私は獣ではなかったのだ」
人を知り、人に知られ、私は貴方を知り、貴方は私を知り、理解をし合った筈だった。
間違ったこと、噛み合わないことなど何一つ存在しないはずだった。
なのに、奪い・奪われて私の本性が目覚め崩壊した。
「仮定など、無意味だ」
其処には、ただ私と貴方さえ存在して居ればよかったのだ。
総てを奪いつくし、焼き払い。人を殺め続け、私は己を危めた。
ソレでよかったのだ。居場所など、欲しいとももう思わなかった。
廻り来る未来に、何を想えば良かったのだろうか。
次に繋がる世界に、貴方を想い生きていても良いのだろうか。
幾千年の孤独など耐えられる。貴方を一目見れるならば。
どのようなことも、耐えていける。然し、幾時を待っても貴方は私を覚えていないのだ。
「独りならば、慣れも来る。だが、忘却されたモノは」
戻りはしないのだ。何が遭っても、何が関与しても、貴方と共に有った記憶は戻らない。
私だけが、憶えているということの歯がゆさよ。
「己が選んだ路だろう」
己自身が、あの人に思い出して欲しくなくて選んだ路なのだ。
思い出せば、道連れにしたいと思うこの心を留めることなど出来ない。
今度こそ、己の凡ての力を持ってして貴方を人間の道より踏み外させる。
必ず、確実に、独りで在るだけならばどれ程気が楽か。
「生きて居る限り、此の世に有る限り、人間に害成す物」
それが、私たちだ。ヴァンパイアで、あることで私は貴方に出遭えた。
だが、皮肉なことだ。
私が、ヴァンパイアである以上、もう二度と貴方に触れることは叶わないのだ。
「望みなど、願いなど、持たなければ良いのだろうか」
絶望に打ちひしがれ、願いが破れ、関わり合いなど持たぬが良い。
もし、何年か前のあの時に私が貴方にそう出来ていたならば………
貴方は未だ、此の世に在ったのだろうか。
巻き込んでしまった。甲斐のない言葉ばかりを紡いでしまう。
「如何してだろう」
何年と前の話なのに、未だに貴方の最期の顔が私を戸惑わせて居る。
あの時、一瞬でも己は人間と共に在れるなどと思い込んでしまった。
「コーシュ」
貴方が私を呼ぶ声、それだけあれば、どのような時の流れにも耐えてみせる。
貴方の存在さえ、感じられないこの世界でも私はここに居よう。
ここで、廻り来る貴方を待とう。何時までも、何時までも。
「一目逢えば、其の時はこの躯など捨ててしまおう」
捨ててしまえば、楽に成れる。もう二度と戻らないけれど、楽に成れる。
疲れた、もう。彼女を待ち続けるだけの日々に。
「私がどれほど旅をしていても最後にはこの場所に戻ってきます。
私には、貴方がここで生まれ変わるのではないかと言う確信があります」
だから、何度もこの地を離れていても又舞い戻る。
思えば、故郷らしい故郷もなかった私にとって唯一の安住の地だった。
何もかも満ち足りず、何もかもが不足せずに、其処にあったのだ。
私は其の頃、傍に居るだけの重みを感じては居なかった。
「其の痛みなど、耐えれるさ。貴方を失った痛みに比べれば」
何者にも耐えうることが出来る。どれ程の傷を負わされたとしても、叶いはしない。
貴方の面影が有る以上、私は独りでも耐えられる。貴方に会う其の瞬間を信じられる。
何百年と経った或る日、思いがけない出来事が起こった。
「ルーザ様」
「あぁ、久しいな」
「お元気そうで、お子も相変らず健やかですか」
「あぁ、何も変わらぬよ。夏樹が、偉く春雪を………気に入ってなぁ。
悪いと思うたが、早速許婚に決めてしまった。其の方が、狙われずに済むしな」
英吉利に、渡ったとき闇の女帝に出遭った。
女帝は、何故か偉く気に入ってくださり私は女帝の側近足ることを許された。
一度は、断ったものの。二度三度の訪問に、心が折れた。
この御方ならば、仕えても良いと。信頼に足る御方だと、僭越ながら思ってしまった。
「コーシュライ。用事は済んだのか?」
「はい、恙無く」
用事とは、貴方の墓に参ることだった。
あの村に赴くことはあっても、無意識的に意識的に避けてきた場所へ。
女帝の側近になったこと、これからは戻れないかもしれないこと。
それから、最期の瞬間に咲いていた花を添えて。
「レイラ………」
小さな花だった。可憐な花だった。それでも、どんな大輪の花よりも美しかった。
「レイラ、未だ愛していると言えば、君は笑ってくれるか?」
何よりも、彼女の笑顔が見たかった。月の光ではなく、日の光の中で。
「コーシュよ」
「はい」
女帝が、私の略称を呼ぶときは私事だ。最近に成って其れを知った。
「会いたいと想う者が、お前には居るか?」
「残念ながら、会いたいと想う者は疾うに他界しました」
「死んだか?」
「先日の用事というのは、その方の墓に参ることだったのです。
死んでから行くことを拒んでいたのですが、貴方様の傍らに居ることになる。
そうすれば、きっと永い間帰ることはないと思ったのです」
女帝は、総てを知っている。ヴァンパイアの世界で起こることなど瞬時に耳に入る。
良い話も、悪い話も、平等に。偶に脚色されつつ。
「そうか、言うてくれたら一年に一回の暇くらい取らせるが」
「構いません。私なりのけじめなのですから」
「本当に、真面目だなぁ」
「恐れながら、貴方様にはいらっしゃるのですか?」
「あぁ」
闇の女帝の心を奪った男。噂では知っていたのだ。
唯一介の人間如きに、女帝が心奪われ子を成したと。
異種族と子を成そうと思えば、相当強く願わなければ成らない。
女帝の、その男の念じる力は、恐らくどんなことよりも強かったに違いない。
「羨ましいと存じます」
「何故だ?」
「恐れながら、貴女様にはその御方を彷彿とさせるお子が居る」
子を宿すことが叶わなかったこと、そんなことは如何でも良い。
だが、レイラの子を見たいと思うのも正しく真実で。
願わくば、私との子であればどれ程の幸運か。
「願わなかったのか?」
「指の一本も触れては居りませぬ。最期に、忘却の為に血を少し」
「そうか………」
連れて逃げていたら、或いは現在は変わったのかもしれない。
だが、人のまま死んでしまうならばソレがレイラの幸福だと。
「血を啜る魔性故に」
「お前の想い人は、そんな些細なことを気にするような人間だったのか?」
「否、そのような下卑た人ではありませんでした」
「想い合っていたのだろう。何故、手を離すような真似を」
女帝は知っているはずだ。
疎まれ、蔑まれ、嫌悪されるのが、私たちだと。
かく言う、女帝も吸血鬼を心底憎んでいるのだ。
「吸血鬼は、何処まで言っても人の仇。彼女以外には、受け入れられなかった」
それでも良かったのだ。彼女さえ居れば、私の総ては幸福であったのだから。
「彼女以外に受け入れられないことなど、私には些細なことでございました。
然し、ソレが故に彼女が人から忌まわしき存在と認知された。
成れば、手を離すほかありません。忘れる他、私は方法を知りませんでした」
私だけならば、如何とでも成る。今までも随分蔑まれて来た。
だけど、彼女に危害が及ぶのならば。私を忘れることで彼女が人間で居られるのならば。
忘れるより他に、出来ることなど何一つなかったのだ。
大切な人を護ろうとする行為の総てが、大切な人の種を殺めることへと繋がる。
護ろうとして振るう力は、大切な人の顔を歪ませる。
「レイラ、愛おしい人」
全てを捨て、人間に成れると誰かが囁くのならば私は望むだろう。
命短であっても、彼女の傍に入れると言うのならば
「魂は未だ、彷徨うことすら許されず。日々を安逸と生き、逝くべき場所もなく。
日々の糧の為に、惚れた女の種を襲う。之が、大罪と言わずして何が罪なのでしょうか」
女帝は少し首を傾げ思案した後、聞き取れないくらいの声で洩らす。
「罪など、人に惹かれた時から。否、此の世に存在することすらも或いは」
「だから、決めたのです。もう二度と、血は啜るまいと」
大罪が、少しでも和らぎ小罪になるのならば欲を抑えることは通り。
「そうか、決めたのか」
「ですから、私は貴方の僕。どうぞ、駒のように御遣い下さいませ」
私のその言葉に、女帝は渋い顔をして一言。
「家来など要らぬ。欲しいのは、馴染みの話が出来る友よ」
「私目に、その役が務まるでしょうか」
「務まる」
不適に笑う女帝に、何を言っていいかも判らなかった。
「皮肉なものだ。どのような形であっても皆にコレほどまでに必要とされているのに。
本当に、私が必要としている者は私を必要としていないなどと。良い笑い種だな」
「ルーザ様」
女帝の云う通りなのだ。何の皮肉だと、云うのだろうか。
彼女を、レイラに必要とされて居なかったのかもしれない。
彼女が必要と感じたとしても、彼女の人生に。
「気にするな。戯言よ」
「私は、人間を食糧である筈の者に助けられ心奪われました。
ソレが、私達の世界では大罪であることを知りながら。
如何することも、如何して良いかもわかりませんでした。
想う気持ちを、慕う心を、憤りを憶えながらも留めることなど考えなかった」
出会ってしまったことを止められはしない。
過去を巻き戻すことは出来ない。時を超越するヴァンパイアであっても同じこと。
喪われたものは、奪われたものは、戻りはしない。
「過ごした日々は、極僅かでしたが幸せでした。コレが、僥倖と云えるのだと」
女帝は、私の話に聞き入りながらも何かを思い浮かべているようだった。
「人間は、我らには余りにも短命の種」
「ですが、想いの強さを羨ましく思います」
短いといわれる生命を、螢火のように揺らめかせ懸命に生きようとする滑稽さ。
だが然し、其の滑稽さにこそ惹かれ生命の煌きに焦がれ我が物にと浅ましく想う。
「若し、願って叶うのならば一つだけ」
「何だ?」
「彼女に最初に出会った時に時を戻し、それ以後の拘りを持たないことを」
人間として、人間の男の誰かを婿とし、その男との間に子を成し。
其の子の成長を見届け、何れ何らかの形で天に召される。魔物と関わらない平穏を。
「そうか」
私もそう思ったことが在ったよ。と、女帝は笑う。
「だがな、考えても見ろ。耐えられるのか?
一目見て、欲しいと思ったのならば耐えられるはずがない」
「二度と出会わなければ、一目見て欲しいと思ったとしても。
逢わなければ、如何とでも成ります。嫉妬に狂い村一つを劫火に曝すことはなかった」
彼女の、レイラの故郷を亡ぼしたのは紛うことなく私とあの男の争い。
それに村人が、加担して出来た炎に迷うことなく焦がれていた。
「女帝の言うとおり、耐えられなかったのかもしれない」
私は、彼女が居なくなってという世界に耐え切れず彼女と初めて出遭った場所で。
永久ともいえる其の命を、自ら消そうとしていたのだから。
「終わることも赦されない」
自分勝手に命を絶つことも許されない穢れた魔物の。
唯一の望みが、命を落とし人間として生きたいという永劫に叶うことのないもの。
「始まるだけならば、出来るというなら身勝手に向こう見ずに創めるだけです」
創造主に顔を背けられたモノが、何を創めると言うんだ。
何時に成れば、赦される。何時に成れば、私はあの丘に逝くことができる。
「彼女は、光当たる丘の上で眠り。彼は、彼女の傍に居ることはできずに」
彷徨っているのだと、ソレが私の居る街の伝承だと女は言った。
「そうか、近頃は似たような話ばかりだね」
「世の中が物騒になってきましたから」
物騒になどならなかったら、諜報活動など無意味だろう。
私は、一所に留まらぬ気ままな旅人のような生活をしていた。
女帝の忠実なる僕になった時に、女帝は言ったのだ。
『思うが侭に、自由であれ。そうして、信じるべき殊を成せ』
私は、諜報員と成り人間社会で身を潜め生きている。
こうして、村の娘に関わるのも良くあることだ。
「あの御話、続きがあって実は・・・」
それから続く娘の言葉は、私を久方ぶりに驚愕させた。
「日記?」
そう、私が彼女に匿われたあの館に隠されるように彼女の直筆の書物が有ったのだと。
隣村で大捕り物があったみたい。村の人たちが大騒ぎしてたわ。
でも何故、人と違うからって殺されなきゃいけないのかしら。
一人ひとり、同じなんて無いのに。違うのが駄目なら、全部駄目じゃない。
あ、綺麗な瞳。そう思ったら、何故か見つめ続けたくなった。
怪我の手当てもしないと、この人………凄く、血まみれだわ。
まさか、昨日の?でも、村の人の話じゃ討ち取ったって言ってなかった?
この人の名前は『コーシュライ』長いから、コーシュで善いって笑ってくれた。
嬉しい。私が名乗ったのに昨日は反応が無かったから忘れられたと思ってたのに。
レイラって、呼んでくれた。綺麗な声、良く透る低い声。この人は、人間なのかしら?
あれほど、酷かった傷跡が今はもう無い。この人は、魔物なのかしら。
この人が着てから、魔物騒ぎは確かに収まったけれど人間よね?
でも、もう些細なことだわ。人間じゃなくてもいい、私を見て欲しい。
嘘でしょ………此処何日かの記憶が無い。
あの館には確かに、私以外の誰かが住んでいた形跡があるのに。
私は、何も、何も憶えていない。………誰なの!?私の記憶を奪ったのは。
アレからもう、二年。突然、一部の出来事が私の記憶から無くなってから。
「怪我を負った、暫く此処で休ませて欲しい」
男の人の低い声、聞き覚えのあるような薄く靄の掛かる向こう側に知っている気がする。
リヤが、館に行くことを咎めてきたけれど知らないわ。
自分勝手で、我が侭な人。リヤと結婚するなんて厭………
結ばれるのなら、本当に心から愛してくれる人。心から、愛せる人がいいの。
でも無理ね、きっと私はリヤと結婚する。両親が、望んでいるのだもの。
リヤが、隠されていた闇を啓いてしまった。
「お前も、アイツも、想い合ってる。お前は、俺の女だ!!」
気が付かない振りをしていたのに、私があの人を慕っていること。
でも、リヤはあの人も私を慕っているといった。それこそ、ありえない話だわ。
あの人は、自分の出自を嘆いている。
痴れ物である自分は、貴方に触れることは赦されないと。
ねぇ、自分のことで、苦しまなくても良い。
貴方は、私を救ってくれたのよ。リヤという、現実の世界から。
私達は、何度でも出逢える。大丈夫、だから心配しないで。
貴方は長い時間をこれから生きるのでしょう。
私達には、永延とも思えるような時間を。
ねぇ、幸せだったの。私の命の幕引きは悲惨なものになるかもしれない。
だけど、悲しまなくても善いわ。
私、貴方に逢えて生きていた総てが変わったの。
ありがとう。
貴方が、私を慕ってくれていたこと凄く嬉しかった。
今世では、叶わなかったけれど。
必ず、何時か、必ず、私と貴方と応えることが出来ると思うの。
ありがとう。
そしてさようなら、私の愛したヴァンパイア。