病弱な妹に思いっきりビンタする令嬢のお話
「……今日もシードディルト様は妹君の看病のため、来られないということですか」
子爵令嬢ストラーティアは物憂げにため息を吐いた。彼女はまっすぐな金髪に透き通るような銀の瞳の華麗な令嬢だ。物憂げな様子すら、絵になる美しさがあった。
子爵家のタウンハウスの庭園。そこに設えられたガゼボには、お茶会の準備が整えられている。色とりどりのクッキーに瀟洒なティーポットとティーカップ。いずれもストラーティアが手ずから用意したものだ。すべては婚約者である伯爵子息シードディルトを歓待するためだ。
しかし、婚約者は来なかった。代わりに伯爵家のメイドが、シードディルトが来られないと伝えにやってきた。
シードディルトの妹、リリアンシェは病弱な令嬢だ。季節の変わり目や寒い日が続いたりすると熱を出して寝込む。そうするとシードディルトは心配して看病するのだ。
「身体の苦しみを和らげるのは医者に任せればいい。しかし、心の苦しみを和らげるには兄である自分が必要なのだ」
それがシードディルトの持論だった。
そして今日も、妹の看病のため、彼は婚約者とのお茶の席を欠席したのだ。
「わたくし、堪忍袋の緒が切れましたわ!」
伯爵家のメイドはそれも当然だと思った。こうしてシードディルトが約束をすっぽかすのは、これで連続九回目だ。今までは「仕方ないですわ」と言って納得してくれていたストラーティアだったが、さすがに限度があるというものだろう。
メイドは叱りの言葉を受けることを覚悟した。
「そんなにご病気でお困りなら、もう我慢してはいられません! このわたくしが治してさしあげますわ!」
思っていたのと違う言葉が出てきて、メイドは首をかしげるばかりだった。
「ごきげんよう!」
「うわあ、なにごとだ!?」
伯爵家のタウンハウスの一室。そこには伯爵子息シードディルトと妹のリリアンシェがいた。病床に伏せる妹に、兄はその手を握り元気づけていた。
そんな兄妹の親密な空間に突然やってきたのは子爵令嬢ストラーティアだった。
挨拶の言葉に驚きの言葉を返すシードディルト。リリアンシェは驚きに目を見開いている。
「今日はシードディルト様が来られないとのことだったので、こちらから伺いました!」
さも当然と言った風に告げるストラーティア。シードディルトは思わず声を荒げて言い返した。
「そんな話、聞いていないぞ!」
「はい! つい先ほど思いつきましたので、事前にお話を通すことはできませんでしたわ!」
「無作法とは思わないのか!?」
「思いません! なぜならわたくしは、あなたの婚約者なのですから! 会いに来るのは当然の権利というものです!」
ストラーティアがあまりに自信満々に言い切るので、シードディルトは二の句が継げなくなった。
シードディルトはさらりとした金髪に涼やかな目元の美男子だ。しかし今はすっかり調子を崩し、まるで三枚目の役者のようになっていた。
「それより、今日は妹君のご病気を治してさし上げようと思って来たのです」
「治すだって……?」
ストラーティアはリリアンシェをじっと見た。
リリアンシェはハニーブロンドの髪に薄桃色の瞳を持つかわいらしい少女だ。病床にあってもその愛らしさはそこなわれていない。突然の闖入者におびえているようだった。
「おい、いったいなにを……」
問いかけてくるシードディルトを無視して、ストラーティアはツカツカとベッドへ向かった。リリアンシェの胸ぐらをつかむとおもむろに振りかぶった。
「病魔退散ビンタ!」
叫びと共に全力でリリアンシェをビンタした。
「ぶへぇ!?」
リリアンシェは令嬢が出してはいけない種類の悲鳴を上げてベッドに倒れ込んだ。
シードディルトは突然の凶行が信じられず目を白黒させた。だが、すぐに怒りに顔を赤く染め上げると、ストラーティアの手をつかんだ。
「妹に何をする!?」
「ご病気を治してさし上げたのですわ!」
「ビンタしただけじゃないか!」
「今のは『病魔退散ビンタ』! 回復魔法をビンタで打ち込むことによって、身体から病魔を弾き飛ばす、わたくしのオリジナル魔法なのですわ!」
「何をバカなことを! リリアンシェ、大丈夫か!?」
シードディルトが目を向けると、リリアンシェは打たれた頬を押さえ、キョトンとしていた。
「お兄様……だるさも熱っぽさも、吐き気も……! 病気の症状がなくなりました……!」
「なんだって!?」
シードディルトは驚いて妹の様子を調べる。額に手を当てて熱を確かめたりもした。
「バカな……熱も下がっている。本当にビンタで治してしまったというのか……!?」
「これくらい朝飯前というものですわ! ほーほっほっ!」
高らかに笑うストラーティア。シードディルトはどうすべきか迷った。治療目的とはいえいきなり妹をビンタされたのだ。怒るべきか。それとも感謝すべきか。
そんなシードディルトにかまった風もなく、ストラーティアは話を進めた。
「……ですが安心するのはまだ早いですわ。このビンタの手ごたえ……ただの病気ではありません。どうやら呪いのようですわ」
さすがにそれは聞き捨てならない内容だった。シードディルトは血相を変えて問いかけた。
「呪いだって……こんなにかわいいリリアンシェに、いったい誰が……!?」
「落ち着いてください。呪いに直接ビンタしたおかげで、その気配のようなものが分かりますわ!」
そう言ってストラーティアはきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「これが呪いの呪文書ですわ!」
ストラーティアは本棚の奥から、おぞましい装飾を施された黒い本を見つけ出した。
「これが呪具ですわ!」
続いてストラーティアは戸棚の奥から禍々しい文字が刻み込まれた護符を見つけ出した。
「そしてこの方が、呪いをかけた張本人ですわ!」
そう言って指した先にいたのは……ベッドに座るリリアンシェだった。
シードディルトは困惑してストラーティアの方を見た。すると彼女もまた、小首をかしげている。どうやら勢いに任せて言っただけで、彼女自身もよくわかっていないらしい。
「ふふふ……」
すると、リリアンシェが何やら不気味な笑い声を立て始めた。
「バレてしまっては仕方ないわ! そう! その通り! 呪いをかけたのはこのリリアンシェです!」
「いったいどういうことなんだ!」
「お兄様がいけないのです! 婚約なんてするから……! お兄様をとられたくなくって、自分自身に呪いをかけて病気になり、看病してもらったんです!」
「それでストラーティアと会う日に限って体調を崩していたのか……!」
シードディルトがストラーティアとの約束を連続九回もすっぽかしたのは、全てリリアンシェの謀だったのだ。
シードディルトは思わず天を仰いだ。
そんな二人をよそに、ストラーティアはツカツカとベッドへ向かった。リリアンシェの胸ぐらをつかむとおもむろに振りかぶった。
「教育的指導ビンタ!」
叫びと共に全力でリリアンシェをビンタした。
「ぶほぉ!?」
リリアンシェは令嬢が出してはいけない種類の悲鳴を上げてベッドに倒れ込んだ。
そんなリリアンシェに人差し指を突きつけてストラーティアは言いつのった。
「いくらシードディルト様を独り占めしたいからと言って、自分から病気になるなんて言語道断です! 周りの人がどれだけ心配すると思っているのですか! そもそもそんな嘘で好きな人をつなぎとめようなんて間違っています! そんなことで手に入るのは偽りの愛だけです!」
リリアンシェの瞳が潤み、やがて大粒の涙がこぼれ始めた。
「うわーん! ごめんなさいーっ!」
謝りながらリリアンシェは大泣きした。
シードディルトは事の成り行きに目を白黒させるばかりだった。
妹がタイミングよく病気になっていたのは、自分自身にかけた呪いのせいだった。それをストラーティアが暴き、説教した。リリアンシェは反省して泣いている。
とにかく一件落着のようだった。
「ストラーティア、君にはすっかり世話になったな……」
そう話しかけると、ストラーティアと目が合った。彼女の目の奥は燃えていた。
そして彼女は、なぜか大きく腕を振りかぶっていた。
「教育的指導ビンタ、ダブル!」
叫びと共に全力でシードディルトを往復ビンタした。
「ぶべぼぉ!?」
シードディルトはたまらず尻もちをついた。
「な、何をするんだストラーティア……?」
「何をするんだ、じゃありません! 二発ビンタしたのには二つの理由がありますわ!」
ストラーティアは人差し指を立てて語り始めた。
「一つ! あなたは過保護すぎですわ! いくら妹が体調を崩したからと言って、そのたびに自らが看病するなんて……何が『心の苦しみを和らげる』ですか! そんな風だから、妹君もすっかり甘えん坊になって、自分に呪いをかけるなんてことになったんですわ! しっかり反省してください!」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。シードディルトは何も言い返せずにうなだれた。
そしてストラーティアは二本目の指を立てた。
「もう一つ! 妹君をそんなに大事にできるなら、婚約者のことも大事にしてほしいですわ! 約束をすっぽかされて……わたくしだって、さみしかったんですからね!」
ストラーティアの瞳は潤んでいた。その時になって初めて、シードディルトは自らの最大の過ちを悟った。
すぐさま立ち上がると、ストラーティアのことをぎゅっと抱きしめた。
「すまなかった、ストラーティア! 婚約者である君を蔑ろにしていた私は、なんと愚かだったのだろう! これからはこんなことはしないと誓う! どうか許してほしい!」
「……まあいいですわ。今回だけは、許してさし上げますわ」
そう言って、ストラーティアはぎゅっと抱きしめ返すのだった。
終わり
「病弱な妹にビンタする」というネタを思いつきました。
それを勢いだけで書きました。
楽しんでいただけたなら幸いです。




