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第八話 疫病

 朝会のある日は朝から高兆は忙しかった。皇帝を起こし、寝起きの悪い皇帝を静かな声で、しかも強引に急かせて洗面をさせ、それこそつきっきりで世話をやく。髪を結いあげようとすると、決まって嫌がるので、きつく結いませんので、となだめながら頭頂に結いあげた髷に冠を付け、立たせて着付けをする。それが終わると茶をだし、一服しているうちに食事を運ばせ食べさせる。

 一命をとりとめた間引は再び遠常のもとに戻され、今までと同じようにぞんざいな扱いを受けているが、間引が話せると知った遠常が、なんとかしゃべらせようとあの手この手で意地悪を仕掛けてくる。だが無視しているとそれに腹を立てるわけでもなく、なぜか遠常の機嫌はいい。

 高兆の世話のやきかたを見ながら、まるで赤ん坊だな、と初めの頃は呆れてみていたが、そのうち慣れてしまって、たまに高兆から手伝えと叱られて、革帯に瑪瑙や翡翠をあしらった石帯を前ろから回して付けようとしていたら、遠常が頭の上で笑っているので、なんだこいつ、という目をしたら高兆に叱られた。

 朝会の時刻になり、遠常が朝堂に行くと、すでに官位の高いものから順に左側は文官、右側に武官が並んでいた。

 左側の最前列に立っているのは権勢を誇る黄一族のおう曵絶えいぜつである。黄玉照の嫡男で黄貴妃の兄である。その隣りには亡き皇后、劉氏の父、(りゅう)定楷ていかいが並んでいた。黄曵絶が笏を前に掲げて中央に進み出た。

「陛下、劉皇后が亡くなられて十五年がたちます。未だ皇后の座は空席のまま、これでは国が安定しません。国母がおわしてこそ民が安心するのです。どうか、皇后をお定めください」

 またか、と遠常はうんざりするが表情は変えない。黄一族に対抗できるのは、皇后亡き今も、遠常が重用する限り未だに劉一族なのだ。黄貴妃を皇后に据えろという催促に劉定楷が黙っているわけがない。予想通り劉定楷が動いて黄曵絶の横に並んだ。劉定楷は真っ白な髭を震わせながら低頭した。

「陛下。確かに国母の席をいつまでも空席にしておいては民心が安定しません。そこで、突厥から正妃を迎えてはいかがでしょうか。北方はまだまだ不安定で戦が絶えません。突厥は強力な力をもった遊牧の民。婚姻を結べば戦も収まりましょう」

 劉定楷には孫娘がいて、その姫を入内させるのではなく、まさか北方の部族の姫をねじ込んでこようとは驚いた。裏で繋がり始めたのかなと思ったが、領地を侵してくる北方民族、特に強大な突厥族には悩まされていた。それだけにとどまらず西の辺境の蒙古族も騎馬を使った戦がうまく、勇猛果敢な民族であるだけに守りはおこたれない。辺境の警備は各城に信頼できる将軍を配して、今のところ何とか小康状態を保っているが、まさか婚姻協定とは、そんなことを本気でできると思っているのか、と遠常は苦虫を噛み潰した。

 すると、辺境の話になったので武官のほうから軍の強化の要請がなされた。小競り合いの絶えない過酷な辺境暮らしに長期間耐えろというのも酷な話で、軍の強化というのは、つまるところ金を寄こせということだ。命がけなのに給銀が少なくては親元に仕送りもできないと兵から苦情が出ているという。今度は文官のほうから声が上がった。

「陛下。唖芽里(あめり)国が薬草の関税を十割にするといってきております」

「十割だと!」

 遠常は思わず大きな声を出してしまった。

「あの白髪頭の老いぼれ王め。なめられてたまるか! 向こうがその気ならこちらは絹織物の関税を七割に引き上げてやる!」

「陛下、そう短気をおこしてはなりません。これは外交ですから冷静に」

 一斉に臣下から落ち着けとの声が上がった。唖芽利国は西のほうにある温暖な国で、成国からは遠いので戦にまでは発展せず交易で互いに利益を共有していた。ほとんどの薬草は国内で入手できるが、唖芽利国でしか採取できない薬草があって、足元を見た唖芽利国の国王が吹っ掛けてきたのだ。唖芽利国以外にも生息している国を探してはいたがなかなか見つからないで苦慮していた。すると、やはり武官から今度は叡州の話が出た。

「陛下、叡州に疫病が発生しました」

 一瞬、堂内が静まり返った。十六年前の疫病の記憶がよみがえる。万を越す死者。都に流れ込んでくる流民。飢餓と二次災害。

「都への人の流入を遮断せよ。とくに叡州方面から来た者はみな追い返せ。検問を設け、ここまでの詳しい経路を確認してから都に入れよ。一人でも感染者を入れたら終わりだ!」

 腰を浮かせて遠常が命令した。

「すぐに軍隊と医療団を結成し、薬剤、食料を積んで叡州に向かえ。河川の総督と治水工事の役人も同行させよ。治水の現場の様子も見てくるのだ」

 遠常は高兆を目で近くに呼び寄せると囁いた。

「監察御史(官吏監察機関)も随行させろ。黄玉照が握っている帳簿を調べさせるのだ」

 遠常は自分の手が震えていることにも気が付かなかった。うまく疫病を収束させなければ国が滅びかねない。それほど伝染病は恐ろしかった。さらに、この危機に乗じて必ずあるはずの黄玉照の裏帳簿を暴く。今まで何度試みてもうまくいかなかった課題だったが、疫病という危機が突破口になるかもしれないと思った。叡州への派遣隊はまたたく間に組織され、朝会が終わるころには準備が整い、遠常の勅命を受けて出発していった。


 朝会のある日は高兆の監視がゆるむから宮殿を抜け出しやすかった。遠常が疫病の報告に顔色を変えている頃、間引は高兆からもらった通行の令牌を出して宮門を出た。塀に沿って少し歩いて、人がいても気にせずに堂々とぼくとうと宦官の上着を脱ぎ、街へ出るときの簡素な麻の着物に着替えた。足首を絞っただぶだぶの袴を履き、布のぼく頭をかぶって髪を隠せば、そこいらにいるありふれた街の若者だ。脱いだ着物は風呂敷にくるんで丸め、腰に括りつけた。

 街はいつも賑わっていた。格式の高い店が並ぶ大通りには、露店の屋台がいっぱい出ていて、きれいなもの、珍しいもの、うまそうなものをいくらでも見ることができる。通りを歩く人々の衣装や髪型もまちまちで、とくに女のそれは身分の高いものばかりでなく、平民も負けていないくらいおしゃれできれいだ。

 間引は足取りも軽く、跳ねるようにして歩いていく。身体全体で楽しさが伝わってくる。

大道芸の芸人が見世物をしていたりすると人垣を分けてもぐりこんでゆき、そういうときの間引はことのほか嬉しそうだ。身体までぴょんぴょん跳ねる。

 もう嫁に行ってもいい年頃なのに、あんなに楽しそうに。あいつは、まだ子供なんだ、と宇裕は少し離れた露店の店先に佇んで間引を見ていた。宇裕の服装は宦官服の上に紺の長衣を着ただけだが、それだけで街へ出ても違和感はない。高兆は間引を自由にさせていたが、監視だけは怠らなかった。間引の背後には紐がついていないのは調べがついていたが、いつ、誰が、間引に近づいて手先に仕立て上げるかわからないからだ。人はいつまでも無垢なままではいられない。無欲な人間などこの世にいない。欲が絡めば誘惑される。それが人だ。だから高兆は油断しなかった。

 大道芸人に気前よく銭を投げてやり、輪の中から抜け出て屋台を冷やかし、小腹が空いたので、うどん屋に入った。店内はほど良く混んでいた。労働者の男たちがほとんどで、うどんを肴に酒を飲んでいた。話し声のざわめきが心地よく、店に漂う肉うどんの醤油のにおいに鼻をうごめかせた。注文取りの少年に、肉うどんに茹で卵をのせてくれと頼んで、いい気分で店内を見渡した。その中に、ちょっと雰囲気の違う客がいた。四人連れの男たちだった。身なりは庶民と変わらないが、顔つきと雰囲気が違っていた。そういう輩を間引は知っていた。金さえもらえば、どんな危ないことでもする奴らだった。

 男たちは酒を頼んでいるが、飲んでいる気配はなく、酒の入った杯は人を待つ間の飾りなのかもしれない。間引の食卓に肉うどんが置かれた。目が肉うどんに吸いつく。

「ごゆっくりしていっておくれ」

 注文取りの少年が声をかけて別の客のところへ行った。どんぶりの湯気を思い切り吸い込んだ。醤油とだしと肉のいい匂いだ。唾がわく。箸立てから竹箸を取って鶏肉の塊を口に入れた。脂がのってほろほろと柔らかい。間引の頬が緩んだ。脂の浮いた汁をすすると、もう止まらない。あつあつの麺を息を吹きかけながらすすりこむ。盛大に音を立ててすする。うまい。うますぎる。夢中でほおばっていると、例の胡散臭い四人組の男たちのところへ、お屋敷の家宰ふうの身なりをした初老の男がやってきて、食卓に座ることなく腰を屈めて一人の男になにか囁いた。

 叡州、と聞こえた。間引はおや? と思って食べながら上目遣いで彼らの様子を窺った。

遠常がよく叡州のことを口にしていたからだ。陳情がどうのこうの言うのを聞いていたし、二交河の氾濫や黄玉照の話もしていた。家宰の姿をした男が重そうな銭袋を食卓の下で男に手渡した。

「叡州からの三人はきれいに掃除しておきやした。これが例の書状です」

 そう言って男が紙切れと小さな木の札を隠すように手渡した。家宰ふうの男は紙切れと札を奪うよに取ると足早に店を出ていった。あっという間の出来事だった。残った男は銭袋を懐にしまい、ようやく酒に手を付けた。きゅっと杯をすすり終えて銭を置き席を立つ。あとの三人も酒を飲み干して男の後に続いた。

 間引もそろりと立ち上がった。うどんは全部汁まで飲み干してある。もったいなくて残せない。銭を食卓に置いて店を出た。通りの右左を見ると四人の男たちが右の通りを急ぎ足で去っていくところだった。家宰ふうの男は左の角を曲がって行く。間引は家宰ふうの男のあとを追った。屋台の店を冷やかしていた宇裕もそろりと動いた。男をつけている間引の尾行は素人で見てはいられない。だが、素人だからこそ、することが大胆だ。宇裕は急ぐことなく間引のあとを追った。

 間引が足を止めたのは繁華な通りから二つ通りを外れた宮城に近いお屋敷通りで、その中でもひときわ格式を極めた門構えの屋敷の前だった。

「黄府、だってよ。黄家の屋敷か」

 入れないかな、と独り言をいって高い塀の周りを歩いてみる。裏門の他にも使用人が出入りする小門がいくつかあったがすべて施錠してあった。

「当たり前だよなあ」

 あたりを見回し、人がいないことを確かめてから後ろに下がって、一度ぽんと地を蹴り塀に向かって走った。塀の真ん中あたりで足をついて飛び上がり、上部に手をかける。またたく間に自分の身体を引き上げて塀を乗り越え屋敷の中に姿を消した。

「あいつ!」

 身軽さはともかく、いきなり黄家の屋敷にもぐりこむとはどうかしている。そこに使用人がいたら騒がれて半殺しの目にあうというのに。一瞬迷ったが宇裕も間引のあとを追った。

 間引が着地した場所は運のいいことに奇岩を組み合わせた石庭の裏だった。石庭の正面には舟が浮かぶ池が造られ円月橋が架かっていて、東側に車宿くるまやどりがあり、その中には貴族が乗る豪華な金革車きんかくしゃが収納され、厩には馬が三頭繋がれていた。中央には寝殿、その奥の北側には北のつい、東側には東の対の屋敷が並び、それぞれ渡殿で繋がっている。渡殿を歩く使用人の姿が見えないのをいいことに、間引は石庭の大石に隠れるようにして寝殿に向おうとした。すると着物の裾が石の角にでも引っかかったのか動けない。見ると若い男が裾を掴んでいた。間引が驚いたのは一瞬だった。

「誰、おまえ」

 間引の誰何に宇裕が顔をしかめた。そして、ああそうか、こいつは俺を知らないんだ、と思った。間引が毒に苦しんで意識を失っていたから俺のことを知らないのだ、と思った。それならそれでいいと思った。宮廷で宦官姿の自分を見たことはあったかもしれないが、誰だと問うということは知らないからだろう。今の自分は宦官ではない、そう思うと宇裕の胸が弾んだ。

「俺は宇裕。高宇裕だ。高給使の手のものだ」

「じいさんの?」

 クスッと宇裕が笑った。じいさんか。

「いいから、ここを出よう」

 そういって、宇裕が間引の腕を掴んだ。

「まてよ。大事な用があるんだ」

「捕まったら殺されるぞ」

「そんなへまはしないさ。陛下が言っていた叡州の、」

「だめだ」

 有無を言わさず間引の身体を力まかせに持ち上げて高い塀の上へ押し上げ、塀の外に突き落とした。

「いてえだろ!」

 間引の怒鳴り声を聞き流し、宇裕もひらりと塀の外へ飛び降りた。

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