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第二話 初めての毒

 宮中には湯殿があまたあって身分に応じて使える湯殿がきまっていた。間引の足の傷もふさがったので、帆翔は医局坊の裏手にある専用の湯殿に間引を連れていった。薪代がかかるので湯に入れるのは五日に一度で、湯殿の広さは一部屋分ほどあり、一度に六人は入れる木の箱型の湯舟がある。髪を洗う湯は別に大きな甕に入っている。脱衣所の壁には棚がしつらえてあり、そこで脱ぎ着をする。

 その日は風呂の無い日だったので、雑用の男衆に頼んで大きなたらいを用意してもらい、湯を運んでもらった。間引はおとなしかった。言われたことには無言で従う。手がかからない子供で、なんでも一人でやった。医局の局員たちも、初めて間引を見たときは、その汚さ醜さに驚いたが、朱旦兼から人薬となる子供だと聞かされ、人外の者として納得した。しゃべらないし、誰にも懐かないので、それがかえって局員の目に映らず良かったのかもしれない。

 腰のところから切れ込みのある長衣の裾をからげ、細袴(ほそはかま)をたくし上げて、たらいに張った湯の加減をみた。脱衣所にいる間引に着物を脱いでこちらにおいで、と声をかけると、またたく間に衣類を脱ぎ捨て、足元に布の小山を作って湯殿に下りて来た。湯殿の隅に、乾燥させた無患子むくろじの果皮を入れた桶が置いてある。それを木綿の小袋に一掴み入れ、湯を汲んだ洗い桶に浸して揉むとみるみる泡立ってくる。間引が湯に入ろうとするので、慌てて止めて床に座らせ、頭からかけ湯をする。そして、気が付いたように立ち上がって湯殿の窓を閉めた。

「うっかりしていた。間引が女の子だということを師匠はみんなに言ってなかったんだ。まだ子供だけど、いつまでも子供じゃないからね、間引が女の子だということは秘密にしようね」

 男ばかりの医局の中で暮らすのだから用心するにこしたことはない。だから朱旦兼は間引を帆翔と同室にしたのだろう。帆翔も間引の面倒を自分が見るつもりでいた。

 濡れた髪に泡立った無患子の泡を掬ってかけ、くしゃくしゃとかき回す。間引の目がとろんとしてきた。

 それにしても、全身刃物の傷跡と打撲だらけだ。打撲のほうは骨までには至っていない。折檻するほうもそのあたりは手加減したのだろう。こんな小さな子供が、どれほど辛かったことか。泣いても叫んでも助けてくれる人はいない。そんな境遇で育ってきたのだ。帆翔は間引が痛ましくてならなかった。

「間引、あーって言ってごらん。声が出せるかい?」

 喉をまさぐられてくすぐったそうに首を揺らす間引が、素直に口を開けてあーと声を出した。

「出るじゃないか、声」

 そりゃあ、出るさ。

 間引は心の中で言い返した。

「しゃべってごらん。何でもいいよ」

 しゃべらねえよ。声を出すと親方から殴られる。おまえだって、きれいな顔してやさしい声で、(われ)をなぐるんだろ。

 やはり心の中で言い返す。

「見たところ、喉に異常はないみたいだけど」

 ため息をついてから帆翔は間引の頭にお湯をかけて泡を流した。身体も洗い終わってやっとお許しが出る。

「お湯に入っていいよ」

 そういって脱衣所に戻り、間引が着ていた衣類を新しいものと替えた。

 医局員が着る着物は藍染の麻布で、上は前合わせの細い筒袖で、裾は歩きやすいように腰のあたりから切れ込みのある足元までの長衣と、中は細袴だ。腹を帯で締め、前掛けをする。小さいものをえらんできたが、それでも間引には大きすぎるが仕方がない。

 帆翔のすることを、湯につかりながら間引はじっと見ていた。その表情は静かで、冷たく、用心深いものだった。

 間引が医局坊に来て十日ほど過ぎたころだった。薬坊ではおおぜいの医局員が忙しく働いていた。漢方で使う薬剤は植物はもちろんのこと、動物や鉱物など、合わせて百種類以上に及ぶ。平笊に薬草の実や葉や皮、根、などを広げて乾燥させるので、そういう笊がいくつも露台の上に一面に広げられている。作業場では乾燥した生薬を刻んでいるもの、秤にかけて小分けしているもの、薬研ですりつぶしているものと、遊んでいる者は一人もいない。

 室内では朱旦兼が薬剤の調合をしていて、それを帆翔が帳面に記録していくのを、主だった医局員が取り囲んで見ていた。配合の割合や注意事項を丁寧に解説していく。一通りの教授を終えて局員をそれぞれの仕事に戻らせると、朱旦兼は帆翔に夕顔の実を持って来るように命じた。夕顔とは干瓢のことだ。干瓢には苦いものと苦くないものがあり、食用には苦くないものを用いる。干瓢の苦みには毒性がある。苦味成分のククルビタシンが腹痛、下痢、嘔吐、を引き起こすのだ。毒に徐々に身体を慣らしていく手始めとしてはこのくらいなものだろう。帆翔もそう思う。そう思うものの、苦しむに決まっている。朱旦兼から、間引の背丈と重さから割り出した量の夕顔を渡され、調理してくるように命じられた。

 皇帝や妃嬪の食事は食医の厳密な監督により御膳房で調理されるが、宮中で働く労働者の食事はそれぞれの厨でまかなわれている。そこで夕顔を煮てもらって朱旦兼の元に戻ると間引を呼んでくるようにいわれた。

 医局員が暮らす長屋は大部屋と二人部屋に分かれている。太医の朱旦兼や、陛下直属の侍医などは宮城内に屋敷を持っている。医師見習いの帆翔は大部屋で寝起きしていたが、間引が来てからは二人部屋に移されていた。

 間引は部屋で半紙にいたずら書きをして静かに遊んでいた。字を習わせているのだがまったく覚えようとしない。指は墨で真っ黒だし顔にも墨をつけていた。

「間引、師匠が呼んでいるよ。おいで」

 入り口で声をかけると筆を置いてやってくる。二人で暮らしている部屋は広くはないが荷物が少ないので片付いている。書籍が多く、調度品は机と椅子が二脚にお茶の道具、壁に箪笥を置き、衣桁には着替えの衣がかかっている。帆翔と間引の寝台が窓を挟んで左右に別れて置いてあり、帆翔の寝台はきちんと布団がたたまれているが、間引の寝台にはどこかから拾ってきた木の実や独楽が布団の上に転がっていた。

 間引がやってくると手を引いて歩き出す。おとなしく手を繋ぐようになるまで大変だった。嫌がって暴れるし強く掴むと噛みついてくる。風呂ではおとなしかったのになぜだろう。髪を梳くのも嫌がった。髪の長さや艶、美しさは、そのまま容姿の美しさに反映される。髪は大切なもので、めったなことで切ったりしない。だから間引の容姿はまことに醜い。その髪を、帆翔は慈しむように撫でた。撫でると手を乱暴に払いのけられるのだが、帆翔はそれでも撫でた。そうしているうちに慣れてきたのか、あるいは危害を加えないとわかってきたのか、おとなしくなった。

 今、帆翔は心咎めながら間引の手をきつく握っていた。本当は毒など飲ませたくない。嫌だ。でも、仕方がない。仕方がないのだ。自分に無理に言い聞かせて朱旦兼のもとに連れていった。医局の者たちがそれぞれ仕事をしながら、坊に連れだって入ってきた二人を盗み見ていた。人薬の作り方は彼らにとっても初めてだったからだ。

 人の背丈まである薬棚や何種類もの薬研や乳鉢、硬いものを削るための鮫の皮を貼った板、両手切、片手切、石臼、すり鉢や仕上げに使う押し出し式製丸器、そのほかふるいやこね鉢など、製薬の道具がたくさん並んでいる大机が目に入る。ここは製薬専門の坊で病人を診る坊は別にある。

 朱旦兼に手招きされて間引はおとなしく歩み寄った。

「これを食べよ。食べれば腹をこわし、嘔吐し、熱が出る。だが、それがおまえの務めだ。何もせずに食物を与えられるものはこの世にはいない。たとえ天子様でもだ。わかったな。良い人薬になり、皇帝陛下の生きた薬となるのだ」

 間引はじっと朱旦兼を見上げた。そして無言で椀に手を伸ばすと一気に食べきった。

「帆翔、克明に記録せよ。間引から離れるな」

「はい」

 答えたものの、これが間引ではなく患者なら手当の処置が施される。今回の毒は手当さえすれば死ぬことはない毒だ。しかし、間引にはよほどの症状が出ない限り手当はできない。治療が目的ではなく耐性をつけるのが目的だからだ。

 半時辰後(一時間後)、嘔吐が始まった。腹痛もひどく、水のような下痢が続いた。間引の身体は苦しみに震え、エビのように丸めた背中が痙攣する。ひどい発熱だ。何度も便壺に排泄する。その壺を外に出し、新しい壺を持ってくることを繰り返す。皇帝や皇后、妃嬪なども室内で専用の容器に用を足す。そしてそれは速やかに所定の場所に運ばれ、汚物専門の担当者によって宮外に運ばれ作物の肥料となる。薬房の便所は外にあってやはり専門の係が処理して、これも肥料にされる。だが、間引には便所に行く余裕がない。急激で激しい下痢だからだ。

 嘔吐用の壺も持ってくる。使うそばから外に出して清潔な壺と取り替えることを繰り返す。苦しみで身をよじる間引の背中をさすり、下着を替え、額に濡れ手拭いを乗せ、甲斐甲斐しく世話をしながら容体を克明に記録していく。間引を抱き起こして、塩水と砂糖を入れた水を飲ませながら顔を覗き込むと、間引は眉を引き絞り、じっと帆翔を見上げてくる。

「苦しかろう。辛かろう。許しておくれ」

 そういう帆翔のほうがよほど辛そうだった。

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