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第十九話 我を助けに来い

 幾何学模様の華やかな桟から差し込む朝日が、閉じた瞼に当たって間引は目を覚ました。金泥の格天井の枠の中には鮮やかな色彩で描かれた何種類もの花の絵が描かれている。その天井を見ただけでここがどこかわかった。

「まさかだよなぁ」

 天井を見る限り、まさかではないとは思ったが、自分がまた遠常の寝所で寝ているとは信じがたかった。だが、首を廻らせると、寝台で遠常が寝ているのを見て、やっぱり陛下の部屋かと思った。以前も遠常の寝所で寝ていたことがあったが、その時は床に布団を敷いて寝ていた。だが、今は、運び込まれた寝台に寝かされている。それも、遠常の寝台の足元のほうに頭が来るように、壁に沿って置かれている。横にくっつけて頭を並べて置かれていなくてよかったと思った。

「しかし、なんで我はここにいるんだ?」

 皇都の城門にたどり着いたのは覚えているが、その後の記憶がまったくなかった。身体を動かしてみると左肩からはじまって左半身と背中に痛みが広がった。見ると、汚れてぼろぼろだった着物は着替えさせられ、しかも、その絹の、桃色の着物は刺繍までしてある高級品だ。おやおやと思いながら乱れた胸元を見てみると下着も新しくなっているし、怪我をしたところは手当されて分厚く包帯が巻かれていた。目を丸くしながら頭をがりがり掻いてみたら、髪も洗ってくれたらしくさらさらと指に流れる。なぜ自分が陛下の寝所に寝ているのかはさておいて、腹がへった。腹と背中がくっつきそうに腹がへっている。

 遠常はぐっすり眠っていた。窓から日がさしているのに、こんなによく眠っているとは珍しい。遠常の眠りは浅く、小さな物音でもすぐに目を覚ますからだ。時には物音がした途端枕のそばに置いてある小刀を取り鞘を抜いたこともある。だから間引は遠常を起こさないように気を付けて身を起こした。すると、腰から下が鉛のように重い。膝を動かしただけで下半身の筋肉がきしんで痛んだ。

「筋肉痛かよ」

 筋肉痛にもなるはずだ。矢が入った肩の痛みに耐えるために全身に力が入っているうえに叡州から皇都までは普通に歩いて九日もかかるのだから。身を起こして布団を剥いだら着物の裾がはだけて太ももが剥き出しになっていた。帯もほどけかかって胸元もあらわだ。めんどくせえなあ、と思いながら襟元を合わせ、着物の裾を足に巻きつけた。そして、ふと顔をあげると、遠常が横になったまま肘枕でじっと間引を眺めていた。

「あ、起きてる」

 間の抜けた間引に遠常は顔色一つ変えず声をかけた。

「三日三晩泥のように眠っていた割には元気そうだな」

「いえいえ陛下、あちこち痛いし、喉はからからだし、腹は空きすぎて腹の虫が爆鳴きだし、おまけに陛下の機嫌は悪そうだし、逃げ出そうかと思案中? へへ」

「おまえってやつは」

 娘になって戻って来たと思ったが間違いだったようだ。中身はちっとも変わっていない。遠常は、がっかりしたような、ほっとしたようなため息をついて高兆を呼んだ。部屋の向こうに控えていた高兆がすぐに現れて素早く間引に目を走らせた。

「高給使殿、ご無沙汰しております。この度はお世話になったようで。へへ」

 相変わらずの間引に高兆もため息をついた。

「高兆、食事をここに運べ」

「はい。すでに用意ができております。この者はどういたしましょうか」

 そういって間引を目で指さす。

「ここで良い。空腹だそうだ」

「では、すぐに」

 高兆が手を叩くと、それを合図に女官たちが、皿小鉢が乗っている足つき膳をささげ持ってぞろぞろと入ってきた。途端にいい匂いが部屋中に充満する。間引の腹が盛大に鳴って唾液が口中に沸いてきた。

「どうして肩に矢を受けたのか話してみよ」

 運ばれてくる料理ばかり見ている間引に遠常が声をかけた。

「はい陛下。ええと、ですね。岳告煙の屋敷が燃えまして、屋敷跡の燃え殻になにかあるかもしれないから、おまえが人足に化けて火事場にもぐりこめって韓大将から命令されて、そんでもって、焼け跡から半焼けの帳面を見つけて逃げて、あ、そうだ陛下。あの帳面、お役に立ちましたか」

「手柄である。褒美をつかわす。それからどうした」

「役に立ったなら良かった。命がけだったからな。それから、それから、と、そうそう、馬に乗った兵に追いかけられて、もう駄目だと思ったとき矢に射られて、そんでもって、用水路に落ちて、川底で目を覚まして、動けないもんだから水に流されて竹の杭に引っかかって二交河に流されずにすんで命拾いをして、だって陛下、二交河は向こう岸が見えないくらい大きな暴れ川だからさ、そこまで流されたら大怪我をして泳げない我なら絶対死ぬ。死ぬと言えば、川に流した鼠はどうしたかな。まあいいや。それから陸にあがって」

 と、言葉をきって思い出すように目をくるくるさせたあと、そうそう、と言いながら続けた。

「皇都に向かう商隊が通りかかったんだった。そんでもって、最後尾の荷馬車にもぐりこんで気を失って、皇都について荷馬車から放り出されて、あとはよろよろと宮門まで、だな、じゃなくて、です。陛下」

「兵とはどこのだ」

「知らねえよ。叡州で一番偉い岳告煙が死んじまったんだから、さらにその上のとんでもなく偉い奴だろ。兵の奴ら、岳告煙の屋敷が燃えているっていうのに、塀の周りを取り囲んで人を寄せつけなかったんだ。類焼を恐れて火を消すのを手伝おうと集まって来た民を追い返していた。我も兵に追い払われたけど、誰もいなくなったあと、戻って隠れて見ていたんだ。すると、あいつら、屋敷から逃げ出してきた使用人を斬り殺してた。結局、全員焼け死んだけど、見え透いてらあ。偉い親玉が、屋敷の全員を皆殺しにしたんだ」

 血なまぐさい話をしているあいだにも料理を乗せた足つき膳が床の上に次々と並べられていく。間引は左肩を庇いながら料理の前にあぐらを組んで座った。もう遠常のことなど眼中にない。鼻の穴が広がって思い切り匂いをかぐ。女官らが退出すると、やおら箸を取った。溢れる唾をこぶしでぬぐって色とりどりの料理に目を皿のように走らせた。うずらの卵と人参ときのこと白菜の油炒め煮、鴨のあぶり肉、蓮の葉の粥、ナマコのキビあんかけ、スズキの唐揚げ、胡桃と山芋炒め、アワビの油焼き、鹿の腱のシロキクラゲあえ、珍しい食材としてはチョウザメの軟骨などというものもある。我慢しきれなくなって間引はさっそく箸を鴨肉に突き刺した。

「帆翔も早くこっちに来て食べろ。ごちそうだぞ。あ、間違えた。陛下もどうぞこちらに。へへ」

 笑いながら大口を開けて肉を口へ放り込む。早くこっちへ来て食べろ。遠常はその言葉を胸の中で繰り返した。なんと暖かい言葉だろう。これが家族の食事というものか。遠常はいつも一人だった。食事は毒見が試したあとで冷え切っている。それを一人で黙々と食べる。一口つまんでは次の皿に移る。好きなものを存分に食べたことがない。嫌いなものも必ず一口食べる。周りの者に好き嫌いが発覚しては危険だからだ。どんなに毒見が試食しても毒は絶えない。それほど口に入れるものは危険だった。いつしか食べるという喜びを忘れていた。遠常はおもむろに床に座して箸をとった。すると、間引が箸でつまんだうずらの卵を遠常の口に突っ込んできた。

「食べろ帆翔。うまいぞ」

 そういって、間引はあ、と遠常を見た。

「いけね、帆翔と間違えた」

 遠常はぺっとうずらを吐き出した。

「おまえはいつも帆翔とそうやって食事をしているのか」

「そうやって、って?」

「箸で食物を口に入れてやるのか」

「そんなの普通だろ? 普通でございますでしょう?」

「おまえは、帆翔と寝起きしているのか」

「はい陛下」

「朝起きたとき、いつもはだけた裾や胸元を帆翔の前で直しているのか」

「はい陛下」

「おまえに恥じらいは無いのか」

 間引は箸を休めることなく次々と皿小鉢の中のものを平らげていく。

「あのさ陛下。我の身体は恥なのか?」

「なに?」

「そりゃあ全身傷だらけで見られたもんじゃないけど、帆翔は気にしなくていいって言った」

 遠常は黙って間引の話の続きを待った。咀嚼して飲み込むのに忙しくてなかなか話さない。そばに控えている高兆も無言で間引と遠常を見ている。ようやく飲み込んで間引は続けた。

「我に恥とか女らしさとか、そんなものは無い。まるっきりない。自分を女だと思ったら、我は毎日この体を見て死にたいと思うだろう。刃物の切り傷だらけで、なんとおぞましい身体だ。こんな身体では、どんな男でも抱きたいとは思わない。そうだろ?」

 と、遠常を見つめてくる。そして梨の甘汁をすすって続けた。

「だけど帆翔は、ときどき、我の身体の傷を指で触って泣くんだ。かわいそうにと泣くんだ。ばかなやつ。泣くことないのに。もうこの傷は痛まない。それで十分さ。我は生きている!」

 そう言って魚を手で掴んでほおばった。遠常がその手を掴んで止めた。

「箸で食べよ。朕が礼儀を教えてやる。女としての恥じらいも教えてやる」

「何のために」

「後宮で生きていくために」

「ごめんだね。動けるようになったら帆翔のもとへ帰る。きっと心配している。黙っていなくなってしまったからな」

 高兆と遠常が顔を見合わせた。苛帆翔が叡州を出奔したことは連絡が入っていた。皇帝の命を受けて叡州に赴任した以上、かってに持ち場を離れることは皇帝の命に逆らうということであり重罪だった。だが間引は帆翔が自分を探して彷徨っているとは知らない。遠常も言う気はなかった。

「おまえはここにいるのだ。朕のそばに」

 きつい調子で言われた。間引は思わず遠常を見つめた。

「我を側女にでもするつもりですか」

 言った途端、間引は笑い転げていた。

「我が側女……。この傷だらけの我が陛下の!」

 笑いの収まらない間引の腕を掴んで遠常はぐいと引き寄せた。鼻が触れ合う近さで二人は見つめ合った。もう間引に笑顔はなかった。見つめてくる遠常の強い眼差しに間引は息を飲んだ。男の遠常ではなかった。皇帝が自分を引き寄せて見つめていた。我に逆らう勇気はあるだろうか。男の遠常に逆らうことはできても、皇帝に逆らえる者はいない。たとえそれが間引であっても。帆翔、我を助けに来い。間引は遠常の瞳を見つめ返しながら心の中で帆翔に助けを求めていた。

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