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第十五話 宇裕からの手紙

 黄貴妃の居室は人払いされて、兄の黄曵絶と二人だけだった。雲門様式の扉や格子窓、螺鈿細工の箪に翡翠の置物、透かし彫りのような繊細な作りの燭台には惜しげもなく高価な蝋燭がずらりと置かれて炎が明々と揺らめいている。華やかな居室にふさわしい黄貴妃が、美しいかんばせを曇らせた。

「兄上、陛下は父上を召喚したそうです」

「召喚された以上は来ねばなるまい。だが、叡州から慌てて来る必要はない」

「時間稼ぎですか」

「呼ばれてへいこら参上したのでは威厳にかかわる。証書や機密文書が陛下の手に渡ったとはいえ、あれは岳告煙関連のものばかりで父上には何の関わりもないのだからな」

「それで通りますか」

「通すのだ。そのための岳府全焼なのだ。人もろとも実際の証拠はすべて燃えてしまったのだからな」

「陛下を欺けるでしょうか」

「黙れ! 余計なことを言うな」

「ええ、わかっていますとも、兄上」

 女とは思えないふてぶてしい笑みが黄貴妃のおもてに浮かんだが、それは一瞬のことだった。

この部屋の香はきつすぎる、と黄曵絶は香炉から立ち上る紫煙の揺らめきを見つめた。岳告煙を切り捨てただけですめば御の字だが、どうも不安が残る。この不安はどこから来るのだろう。私兵は五万、州兵が二万。それに足して私の兵が一万。皇都を守るのは四万だ。兵の数なら上回っている。貴妃が淋を皇太子に押し上げることができたら兵は動かさずにすむ。だが、遠常にその気はあるのかないのか。さらに、父はいつまで淋の立太子を待つつもりなのか……。黄曵絶は、いらいらと香炉の煙を睨みつけた。


 虫いぶしの薬草がどの家にも配られ、もうもうと家の中がいぶされた。護岸や河原の清掃もはかどり、朱旦兼の指示に従って住まいの衛生に力が注がれた。その間、突然の出火で亡くなった岳告煙の訃報は州の官界に激震を走らせた。そして、あの広い屋敷が全焼して、さらに、誰一人として助からなかったという不自然さは後々まで人々の口に上った。

「なあ、帆翔。州長官の屋敷の火事のことだけどさ、我は夜中にこっそり火事場を見に行ったんだよ。そしたら兵が屋敷を取り囲んでいてさ」

 薬剤室でせっせと軟膏を捏ねている帆翔に間引がのんびり声をかけた。

「しゃべっていないで手を動かせ」

 見向きもしないで叱ってくる。薬草を薬研で引きながら間引はさらに声をかけた。

「帆翔聞けよ。兵の奴ら、人を追っ払って何をしたと思う?」

 帆翔は手を止めて間引のところに歩み寄った。

「余計なことを言うんじゃない。さいわい周りに誰もいないからいいけど、危うげな話が人の耳に入ったら大変じゃないか」

「二人しかいないから言ってるんだよ。あのさ」

 あのさ、と言って間引は立ち上がり、背伸びして帆翔の耳元に口を寄せた。

「岳長官の屋敷の焼け跡の後片付けの仕事があってさ、韓大将が我に行ってこいっていうんだよ。探れって」

 思わず帆翔は間引の腕を掴んだ。

「やめろ。行くんじゃない」

 間引はやんわり帆翔の腕をはずした。

「あの焼け跡は州兵が見張ってて誰も近づけないんだ。だけどさ、こそ泥が狙ってて、闇にまぎれて焼け残ったお宝をくすねに忍びこんでいるんだよ」

「なんでそんなことを知っているんだ」

「なんでって……」

 面白そうだから夜中に宿舎を抜け出して見に行ったとは言えない。言ったらまた帆翔が怒る。だから間引は話題を変えた。

「宇裕から手紙が来たぞ」

「宇裕から?」

「うん。帆翔に読み書きを教わったからちゃんと読めたぞ。あいつ、字がじょうずだな」

「で、何と書いてあった」

「陛下のもとにいるんだって。心配するなってさ」

「心配なんかしてないよなあ」

「我は心配してたよ。あいつは我の足の裏の飯粒なんだからさ」

「その足の裏の飯粒って、いったい何のことだ」

「しばらく皇都にいるってさ。おとなしくしてろってさ。我はおとなしいよなあ」

「どこがだ」

 呆れて帆翔は軟膏作りに戻った。手紙には続きがあった。岳告煙に死なれて、陛下がせっかくの手掛かりを無くしてがっかりしていると。遠常が叡州の総元締めである黄玉照をなんとか押さえこみたいと思っているのをそばで見ていて知っていたので、岳告煙の急死には裏があると直感した。韓豊順と薄氷に部屋へ呼ばれ、兵が見張っている焼け跡に近づくには瓦礫処理の人足になってもぐりこむしかないと言われた。こちらの兵の顔は知られているが、少年のような年頃の間引なら誰も注意を払わないだろうとも言われた。焼け跡に何もなければそれでいいし、もし何か手掛かりになるようなものがあればこっそり持ち出せと命令された。間引はやる気満々だった。もし何か手がかりがあれば、それが陛下の役に立つ物であれば、盗んでやると思った。

  瓦礫の解体処理は、火が完全に消えて炭になった材木が冷えるまで放置された。その頃には雨期も終わって、ようやく日差しが戻ってきていた。

 夜中、帆翔を起こさないようにそっと寝床を抜け出して焼け跡を見に行ってみると、まだ警備の兵がおおぜい配備されていた。黄玉照はよほど用心深い男のようだった。これでは人足としてまぎれこんでも監視の目は厳しいかもしれない。もしかして、黄玉照はこの瓦礫の中に都合の悪いものが残っていたら困ると考えての警備なのだろうか。ただの燃えかすの警備にしては厳重すぎる。だが、焼死体は兵の手でとっくに回収されたと聞いている。焼死体を検分したのだろう。

 翌日、間引は雇われた人足たちの一番最後を歩いていた。みんながっしりした男たちで、間引だけ小さい。案の定、兵に呼び止められた。

「おい、おまえ、小さいの、おまえだよ」

「へい。なにか」

「おまえはいらん。そんなに小さいんじゃ使い物にならん」

「そういわずにお願いしますよ。ちっこくても力はあるんで。おっかあと弟や妹が腹を空かして待ってるんです。ようやくありつけた仕事なんですよ。働かしてください。たのみますよ旦那」

 そういって間引はこっそり兵に銭を掴ませた。わずかな銭だったが兵は受け取った。

「ちっとばかりですんません。稼いだらお礼をしますんで」

 ぺこぺこと頭を下げて人足たちのあとを追った。おっかあやがきが腹を空かせているような奴が銭なんか持っているかよ、と腹の中で舌を出してぴょんぴょん跳ねながらついて行く。屋敷の残骸の近くに寄ると焚火の跡の匂いが鼻をついた。炭化した材木をどんどん荷車に積んでいく。大きな角材は二人がかりで運ぶ。炭になってもけっこう重い。手は真っ黒になり、顔もだんだん汚れて黒くなっていく。仕事が終わったら風呂に入らなきゃだめだなと、鼻の穴の中まで黒くしてせっせと働いた。

 大きな邸宅だったので、屋敷だけでも三つ、使用人の長屋や厩や倉庫など、角材を取り除くだけでも二日三日では終わりそうにない。炭化した角材を全部どけてから、ようやく生活用品の残骸になる。焼け残った銅銭やぎょくなどを狙ってこそ泥が窺っていたが、結局兵の見張りが厳しくて手付かずだ。間引は材木を両腕に抱えて荷車に何度も往復した。昼は各自弁当を持参していて、間引も人足たちと一緒に持参した握り飯を食べた。喉が渇いたら屋敷の井戸水を飲む。大きな男たちに混じって、顔を真っ黒に汚して働く小さな間引は人足達からすぐに覚えられた。年はいくつだと聞かれてもうすぐ十七だと答えると重いものは代わってくれるようになった。日が暮れてようやく一日が終わり宿舎にしている旅館に帰ると、旅館の玄関の蝋燭がともる大行灯の下で帆翔が間引の帰りを待っていた。間引の姿を見ただけで帆翔の肩がほっとしたように下がった。

「帰ったか」

 帆翔に背中を押されて旅館に入った。

「うん」

「止めてもやっぱり行くんだな。怖いことはなかったか?」

 階段を上りながらそっと聞いてくる。

「うん。片付けはまだまだ先でこれからだ」

「そうか」

 そう言って帆翔が笑い出した。

「なに笑ってんだよ」

「だって、顔、真っ黒だから」

「鼻の穴もだぞ。ほら、見ろ」

 わざと指で鼻の頭を押し上げて帆翔に見せた。二人は階段で笑い転げ

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