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聖女と神官  作者: 綾瀬 律


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3/4

3.平穏な日々とある事件

 目を覚ました。

 ファルスは私の手に手袋をした手で触れると

「お帰りなさい…」

 やっと、その言葉だけを絞り出した。静かに見つめあって、それでも私は何も言わなかった。

 そしていつも通り、静かにファルスを見続けた。


 ファルスは淡々と

「お水を飲みましょう。それから、ほんの少しでもいいのでスープを。聖水と塩だけで味付けされたものです。作る過程もそばで確認しました。野菜は私が温室で育てたものです」


 手早く準備を進めた。


 ベッドサイドにスープを持ってくると、私を支えてまずは聖水の入ったコップを口に当てる。三口ほど飲んだら今度はスープを掬う。口元に運ばれたので静かに啜った。


 皿に入っていた分の半分も口に出来なかったが、それでも食べられた。

 私の口元を聖布で拭うとまた聖水を少し飲ませて横たえる。


 甲斐甲斐しく世話をするファルスに、私は何も言わなかった。

 目を覚ました日の午後、いつも通りに女神の間へ向かう私を支えて一緒に廊下を歩く。心なしかいつもよりしっかりと支えられている。


 私が部屋に入ると、女神様の像が煌めいた。お喜びになっている。そう誰もが認識できるほどの煌めきだった。


 いつもの儀式通りに、女神像に触れて神聖力を注いた。ごく僅かにあったつま先の黒ずみは消え、他の女神様の足にあった黒ずみも霧散した。

 そしていつものように気を失った。

『ありがとう、私の愛しい子』

 そう聞こえた。



 私は何日も目が覚めなかったようだ。女神様が不浄に侵されると国が危うい。私への雷撃は女神様の意思とは関係なく、不浄を排除するためのもの。

 だから仕方ない。私が至らないばかりに。




 今回の不浄、ことの発端はやはり私が男だからのようだ。しかも()()()()()()()不浄が入っていたのだ。

 それでは誰も気が付かない。


 詳しいことは教えて貰えなかったが、かなりの神官が罰を受けたようだ。大聖女を害した、それは女神様を害したのと同じだから。

 私に出来ることは何も無い。




「申し訳ありませんでした!」

 一瞬、何のことか分からなかった。膝をついて項を垂れるファルスを見てようやく、あぁスープのことかと思い至った。


 何か喋ろうかと思ったが、今更な気がする。それにファルスの記憶に私は残らない方がいい。なので、手元にあった紙に書く。


 ―もう良い。 

 確信が持てず話さなかったのは私だ―


 ファルスに差し出すと震えながら受け取って読んだ。その目は揺れている。私は紙を奪うと聖火で焼いた。痕跡を残さないように。



 ある時、私はある書物を読んでいた。ファルスが思わずという感じで話しかけて来た。

「古語、ですね。すらすら読んでおられるのでてっきり現代語かと」

 返事を期待せずに呟いただろう言葉に自然と返事をする。

「古語で綴られた文章は貴重で面白い」


 ファルスは初めて聞く私の声に驚いていた。

「何が書かれているのですか?」

 ほんの少し眉を上げると

「元聖女様方のことだ」


 私はファルスの微妙な表情を見て、会話をそこで終えた。



 その日の夜、寝支度を整えた私がベッドに横たわる前にファルスが声を掛けてきた。

「あの、大聖女様。一つお願いがございます」

 私は無表情のままファルスを見つめる。

「私に古語を教えてくださりませんか?」


 私は静かにファルスを見て、目を瞑る。そして目を開けるとほんの少し頷いた。

 心なしかファルスの顔が嬉しそうだった。




 ある日、朝の挨拶の後に私は元神官の書き付けを読んでいた。聖女の寿命を研究している人の書いたものだ。

 元聖女付きの神官で、多分だが聖女に想いを持っていたようだ。でも、神官は神殿に残った。


 自らの意志か、はたまた後の神官たちへの伝聞の為か。彼は詳細に第一から第三聖女の仕えた年数と、その後の生存年数を書き記していた。


 大聖女様の享年は、聖女として女神様に触れた時、記憶として入ってきた。

 だから私は自分の寿命も凡そ分かる。物思いに耽りながら頁をめくって読んでいるとファルスが話しかけて来た。


 元神官の書き付けだと言うと少し興味を持ったようだ。元聖女のその後を知ってるかと聞くと驚いていた。普通の人はそうなんだろうな。

 聖女ではなくなった途端に、興味を失う。それが胸を苦しくした。




 聖女付きの神官は読んで字の如く、聖女の身の回りの世話をする。起床で呼びに来て、顔を洗う水を用意して。

 着替えももちろん、湯浴みも神官が手伝う。

 普通は。

 私は庶民の出だし、自分のことは自分で出来る。手伝って貰うのは逆に抵抗がある。しかも私は男だ。世話も嫌だろう。


 なので、断った。

 配膳はそもそもして貰うしか無いし、髪の毛を乾かすのととかすのはお願いした。


 家族じゃ無いし、体を見られるのは恥ずかしい。年頃だからそういう事自体が恥ずかしいのだ。

 男でもそうなのに、女性は大丈夫なのか?と思ったら、湯浴みから出る時に体を拭く布を渡してくれるファルスは目を瞑っていた。


 少しでも肌が見えるような場面ではどうやら目を瞑っている。凄い技だなと思った。

 聖女は清らかである必要がある。なので、聖女も、そしてお付きの神官もきっちりと服を着ている。


 聖女は部屋以外ではそもそも顔すら完全に覆ってるし、肌は手先が僅かに見えるくらいだ。

 上着の袖は2重になっていて、内側は布が手の甲を覆って中指に掛けられるよう輪になっている。

 外側は広がっていて指先までを覆う。


 神官も部屋の外ではフード付きのローブを上着の上から被り、鼻の上まで布で覆っている。薄布なので輪郭は分かるが、肌は見えていない。

 お互いに近過ぎないよう、配慮されているみたいだ。


 自分で色々してしまうので、ファルスは暇そうだ。部屋を清めると本を読む私を静かに見ている。

 部屋の外、外部と繋がる空間に温室がある。そこは陽の光を浴びられるし、外気が入って来るので新鮮な空気を吸える。


 時々はそこで紅茶を飲む。

 静かな時間は私の心を落ち着かせてくれる。大丈夫、私は大丈夫。



 そんな穏やかな日がしばらく続いた。




 いつものように朝、女神の間へ挨拶に向かう。普段通りに、なんの変哲もなく。

 でも、なんだろう。胸が騒つく。何かが起こる。女神様も落ち着かない。

 なんだろう、怒っている感じはしないけど、敢えて言うなら観察してる?


 部屋に戻る前、聖女が住む居住区の手前でファルスが呼び止められた。ファルスだけじゃなく、他の聖女付き神官もだ。

 何か緊迫した様子。かなり離れているのに、ここにまで外苑の騒めきが聞こえた気がする。


 ファルスは話を終えると私の後ろについて部屋に戻った。

「大聖女様、何やら大きな事故が起こったようです。人手が足りませんので、しばらく外します」

 ファルスはそう言うと部屋を出て行った。


 何故か呼び止めないと、そう思ったが私の手は空を切った。

 昼食にも戻らず、第三聖女付きの神官が食事を運んできた。食べてから本を読む。なんだか落ち着かない。

 何故事故が起きたんだろう?


 モヤモヤしていると部屋のドアがノックされた。

 ファルスが戻って来て

「大聖女様、いつもより早いのですが…女神様への神聖力の譲渡をお願いします」

 私は頷いた。


 そして、女神様へ力を注ぎ、いつものように倒れた。運ばれている感覚は覚えている。部屋に寝かされた事も。


 ぼんやりと感覚が戻って来た時に、ぞわりとした。何だ、これは。

 ()()()()()

 体を起こそうとすると押さえつけられた。

 目を開けて愕然とする。


 何が…?


 何でここにファルス以外の人間がいる??

 第三聖女の神官と聖騎士2人。

 私が声を出す前に首に何か冷たいものが触れた。これは…力を封じてる?


 恐怖に震えていると、聖女服を剥ぎ取られた。

 そこで分かってしまった。彼らの目的が。私が聖女ではなくなるように、この体を不浄にしようとしているのだと。


 聖女は清らかでなければならない。それは体はもちろん、心も。

 体を汚されれば即不浄。そして逆らって彼らを傷付けてもそれは不浄と見做される。


 聖女とは自らが汚されても、抵抗すら許されないのだ。理解していたつもりだった。でもやはり理解していなかった。

 聖女とはかくも理不尽な存在なのだ。


 嫌だ、怖い…


 空気が肌に触れる。囲まれて手首と足首を掴まれた。いやだ、やめろ!私に触るな!!

 震えて声が出ない。

 誰か、助けて…お願いだから、やめて。


 叫びたいのに、抵抗したいのに、声が出ない、体が動かない。聖女とはこういう存在なんだ。

 私は、なんでここにいるんだろう。私はなんで…聖女なんだろう。


 全てを諦めて目を瞑ったら、凄い音がした。

 その後のことはぼんやりしていてあまり覚えていない。気が付いたら私を囲んでいた男たちは倒れていて、私はファルスに抱えられてファルスの寝室のベッドに横たえられた。


 見えている肌は聖水に浸した聖布で拭き、肌着の上から聖水を掛けて体を清めた。その後は肌着を脱がして体を拭き、新しい服を着せられた。


 私はその間、ぼーっと天井を見つめていた。


 助かったとかそんな気持ちにはなれなかったし、かと言って汚されて聖女をやめれば良かったとも思えない。

 私が傷付けばファルスは処分されるし、神殿は大変な事態になる。


 過去、このような一方的な暴力で聖女が汚されたことは無かったから。


 震える手でファルスは私の手を握る。

「しばらくお休みください」


 その後、私はしばらくファルスの部屋で過ごした。ぼんやりとしながらも、女神様への神聖力の譲渡は続けた。それが私の役目だから。その為に私は生きているから。

 その為だけに生かされているから。


 ファルスは心配そうに私を見るが、私が彼に言える事など無い。しばらくすると自室に戻った。模様替えをしたのか、壁紙の色もベッドの位置も変わっていた。


 そんなことをしても、私の傷は癒えないのに。あの時の絶望感は変わらないのに。

 だって私を害そうとしたのは神官であり、聖騎士だったから。

 本来なら、聖女を守る立場の人間がこの任務を放棄したら…?それが怖い。


 私の気持ちが分かるのか、ファルスは部屋を出ると今までのように後ろに付き従うのではなく、私の隣で私の手を引いて歩くようになった。


 今でも聖騎士は怖い。そんなにも嫌われていたのかと思うと心が抉られるようだ。でもそんな感情も生きているからこそ。ならば少しでも早く女神様の元に辿り着くべく、全力を尽くそう。




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