2.聖女の暮らし
ここはどこだ?白い空間だ。澄んだ空気の中で僕は迷いなく進んでいく。
大丈夫、ここは安全だ。
歩いた先には光があった。そう、僕たちの光。
「良く来たわね、私の愛し子。待っていたわ」
「女神様、お会いできて光栄です」
慈愛の籠った目で僕を見つめる女神様。
「これからあなたは国を背負って過酷な運命を辿ります。どうか私を許して」
僕は驚いた。女神さまは国の為に尽くしてくださるのに、僕なんかに謝ってくれる。
「いいえ!女神様のお役に立てるのなら望外の喜びです」
悲しげにほほ笑むと
「ありがとう、優しい子。やはり私が見込んだ子だわ。試練を乗り越えて、またここで会いましょう。私の大切な子」
女神さまは僕に近寄るとそっと頭にキスを落として消えた。
ふわふわとしたような心地が収まると、急に意識が浮上した。
横たわっている?
硬い感触、これはベッドか?
部屋の中に誰かの気配を感じた。感覚が鋭敏になっているみたいだ。
ゆっくりと瞬きをして目を開ける。
知らない天井だ。あぁ、僕はもうあの日常には戻れないんだと、改めて思った。
でも悲しくはなかった。女神様の為にお仕えするのが私の仕事だから。
「お目覚めですか?お加減はいかがでしょうか?」
静かな声がかかる。やや低くて少し掠れた声。穏やかに包み込むような、そんな声だ。
顔をめぐらせると目が合った。やはりあの神官だ。
長い髪にキリっとした目元の整った顔立ちの男性だった。
神官の正装は紺色の前合わせの上着に首元を隠す白い肌着。聖女服を紺色にしたような服だ。
裾や襟、袖には銀糸で刺繍があり、確かこの糸の色で階級が分かる。
銀糸は聖女付きの印だ。
一般の神官は灰色、見習いは白だ。神官長は金。
私付きのファルスは背が高くて一見細見だが、肩幅はしっかりとあって案外鍛えてそうだ。
夢心地で運ばれたような記憶があるが、体幹がぶれたような感じはなかった。
私の返事がないと分かると心配そうにのぞき込んだ。
「第一聖女様は本日、神官長より大聖女様であると公示されました。今後はそのようにお呼びします」
私が無言で見つめていると目元を少し緩め
「申し遅れました。大聖女様付きの神官を仰せつかりましたファルスと申します。末永くよろしくお願いします」
私の手を手袋をした両手で捧げ持つと額にそっと当てた。
手袋越しでも分かるその体温は思いのほか心地よく、されるままにしていた。
その後はこれからの生活の場となる内殿と時々向かう内宮、そして自分の部屋とファルスの部屋、部屋の外にある温室を案内された。
内殿には図書室があって、私はそこで適当に10冊ほど借りた。
少ない自由時間ではあるが、外には出られないしすることもない。ならば本でも読もうと思ったのだ。
最初に返事をしなかったこともあるが、なんとなくファルスとは距離をおかないといけないと感じた。
私に課された運命は人の気持ちを受け入れることも誰かに想いをよせることも出来ない。
深い想いはお互いにとって不幸を招くだけだから。
せめてファルスは私に愛着を持たず、関わりを避けることで喪失感を薄くす、ためにも…私は最小限の接触に留めることにした。
ただでさえ聖女と聖女付きの神官は距離が近いのだから。
男性の聖女であることに、ファルスが複雑な気持ちでいることにきがついてはいるが、少なくとも目に見えて落胆したり冷たい態度を私に取ることはない。
淡々としながらも心地良くなるよう気遣い溢れる対応で冷たい対応を返さなければならない私は心が痛い。でもこれはファルスの為だから。
倒れた私を壊れ物のようにそっと運んでくれるたくましい腕も、私にだけ見せるほんの少しの笑顔も、私のせいで影らないように。
私の存在がファルスにとてなんてことないと思えるように。
私は今日も口を噤む。
私にできることはそれだけだから。そして少しでも早く彼を開放するために、女神さまへ出来る限り力をお渡しする。
私たちが譲渡している神聖力、それは正確には魔力や何かしらの力ではない。
私たちと女神様の魂が宿る女神像を繋ぐ絆のようなものだ。
女神様は女神像を通して神聖力を増幅させ、この国のあるいは瘴気から、あるいは疫病から、あるいは病気やケガから国民を守っている。
神官の使う神聖力は女神様からの借り物だ。その元は我々聖女の力。
神聖力を渡したとき、分かってしまった。私たちが渡しているのは自らの命だということが。
少数の命でこの国の大多数を守る。それがこの国の守護の在り方。
少し前まで知らずに守られる側だった。まさか自分が少数の守る側になるなんて。
でもお兄ちゃんや弟じゃなくて良かった。二人にはごく普通に幸せな生活を送ってほしい。
自分がその礎になれるのならば、自分で良かった。
もっとも家族はそのことを知らない。私の命を犠牲にして自分たちが守られてるなんて知ったら悲しむ。
だからやっぱりここを出ても、家には帰れない。
第一聖女の還俗後の平均生存年数はおよそ6年。王族に嫁いだ第一聖女の平均生存年数が10年だから引きあがっているだけで
王族に嫁がなかった第一聖女の平均生存年数はおよそ4年ほど。
王族との結婚が決まると無意識に生きたいと願うから、神聖力の譲渡に制限をかけてしまうのが原因みたいだ。
過去に1人だけいた大聖女はやはり男性で、私と同じようになるべく早く消えるために…たくさんの命を差し出した。
その結果、お勤め年数は第一聖女の平均9年を下回る7年で、その後は1年で没した。
彼は還俗後、元聖女付き神官と共にお世話になった教会に戻り、暮らした。
彼が何を思いその1年を過ごしたのかは分からない。
きっと彼にとってそれは余生だったのだろう。
例え短くても、彼は幸せだったんだと思う。きっと最後はみんなに看取られて静かにその生を終えたのだろう。
彼は幸せにこの世を去った、そんな満足感が感じられた。享年は21才。早過ぎる死だ。
明確なことは分からないけど、歴代の聖女の気持ちがふんわりと分かる。
みんな自分の役目に満足していた。そして満ち足りた気持ちで死んでいった。私もそう成れるだろうか。いや、そうなりたいと思う。
初日、朝の挨拶で倒れた私は、起き上がって案内をして貰って、自室に戻ると昼食が出てきた。
それを見て困惑した。
聖女は神聖力を女神像に譲渡する。
食事はとても大事だ。なぜなら不殺生であることは神聖力を澄みやかに維持するために必要だから。
加護のお陰で見えてしまう。
スープには動物由来の調味料が、サラダにも動物の肉から作ったものが散らしてある。
サラダのタレには卵由来の調味料。
不殺生にならない食べ物ばかりだ。かろうじてパンだけは穀物と植物由来の調味料で作られていた。
そのぼそぼそしたパンを齧る。スープとサラダはそっと脇に避けた。
チラッとファルスを見ると困ったような顔をしている。
動物性由来だと気が付いていない?
神官がそれらを口にしても厳罰もないからそんなもんなのか。伝えた方がいいのか?
でも、それでは食事の用意をしている人を責めているようになってしまう。
今日だけかもしれないし、様子を見よう。
…どうしよう、毎日だ。
「体が温まりますので、スープも召し上がってください」
う、やっぱりファルスは気が付いていないのか。でも食べるわけにはいかない。
お腹は空いているが、不浄を体に入れる方が良くない。我慢しよう。
1週間後、流石にこれでは体がもたない。今日の昼も同じメニューならファルスに伝えよう。
そう思って朝の挨拶に女神の間に行って、軽く力を流したら…ふらりとした。
体に力が入らない。お腹空いたな…
そこで意識が暗転した。
しっかりと支えてくれるたくましい腕と大聖女様!という焦った声をどこか他人事のように聞きながら。
しばらくふわふわとしているような、そんな心地がして何かが喉を通った。
反射的に口に含んで飲み込む。あ、ダメだ、そう思った時にはまた何かが口に入ってくる。
そして飲んでしまった。
どうしよう、不浄を取り込んでしまった。すぐにでも吐き出さなければ。
でも体は動かない。お腹が好き過ぎて力が入らない…困った。
目が重くて開かない。早く吐き出さないとと焦っていたら体が浮いた。
どこに?
嫌な予感がする。ダメだ、そこに行ってはダメだ!
でも私の声は言葉にならない。そして、女神の間に入ってしまった。
身体が硬直する。これは女神様のお怒り。
不浄を取り込んでいる。あぁ、ダメだ。今はダメだ!
なのに口は動かないし体も動かない。やめて、ダメだ!女神様がお怒りになる。
あぁ、なんで私の声は届かないんだ?
そして私の両手が揃い、女神様の像に触れてしまった。
バチバチッ
痛い、痛い、痛い…痛いよ…止めて、ごめんなさい、ごめんなさい…女神様。許し、て…
そこでまた意識が途絶えた。
苦しい、辛い、助けて、ごめんなさい。
取り止めもない思考が流れては消えていく。ごめんなさい、ごめんなさい。許して…
生きててごめんなさい
苦しさに囚われて抜け出せない。
私は誰にも縋らない、縋られるだけで、縋ることは許されない。誰にも助けを求めてはいけない。
息が苦しい、胸が苦しい…
そんな孤独で苦しい時間を過ごして、やっと意識が浮上した。まだ体が怠くて重い。
瞼を開けるのも億劫だ。しばらく呼吸を整える。あの強烈な痛みは過ぎ去ったけど、痛みの記憶は消えない。
深呼吸して目を開けた。
心の中がシンとしている。もう大丈夫、きっと大丈夫。私は聖女だから。
「大聖女様!」
私を覗き込むようにファルスが体を乗り出してきた。瞬きをする。泣きそうな顔も、そのきれいな目も、どこか遠い世界で見ているような、現実味のない感覚。
「申し訳ありません、申し訳ありません…」
何故ファルスは謝っているんだろう。私が至らなかっただけなのに。もっと早く言えば良かった。
言わなかったのは私だ。
だから私はまた目を瞑った。1人にしてくれ。そばに誰がいたって、私はこんなにも孤独なのだから。
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