第99話 記憶の欠片
321階層。
階段を下りると、そこは広い空間だった。天井が見えないほど高く、床は滑らかな黒い石でできている。柱が規則正しく立ち並び、それぞれに淡い光を放つ苔が這っている。その光が、空間全体をぼんやりと照らしていた。
「……ここも、モンスターがいないな」
ケインが呟いた。
「……ああ」
リオンも頷いた。
「おかしい」
私たちは——警戒しながら、空間を進んだ。足音が、静寂の中に響く。六人分の足音。それだけが、この空間で聞こえる唯一の音だった。
「……なあ」
ゼノが口を開いた。
「さっきの奴——剣に支配されてた、って言ったよな」
「……ああ」
ルナが答えた。
「あの目の光り方——正常じゃなかった」
「……じゃあ」
ゼノが続けた。
「……俺たちも、いずれああなるのか?」
「……」
誰も、答えなかった。
沈黙が、重く空間を支配する。
「……大丈夫よ」
エレナが言った。
「……私たちには、セリアがいるから」
「……セリア?」
ゼノが私を見た。
「……ああ」
リオンが頷いた。
「セリアの剣は、空虚の剣だ」
「囁きがない」
「だから——きっと、何か特別な力がある」
「……」
私は——何も言わなかった。
空虚の剣。
確かに、囁きはない。
でも——それが、みんなを守れるのか。
分からない。
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空間を進んでいくと、壁に何かが刻まれているのが見えた。
「……あれは」
エレナが立ち止まった。
古代文字。
だが——その中に、読める文字もあった。
「……何て書いてある?」
ケインが尋ねた。
私は——壁に近づいた。
文字を読む。
『——深層へ進む者よ——』
『——囁きに、耐えられるか——』
『——己を、見失うな——』
「……」
私は——その文字を見つめた。
己を、見失うな。
それは、一体何を意味するのか。
「……警告、か」
リオンが呟いた。
「……ああ」
私は頷いた。
「……囁きに耐えられないと、あの人影みたいになる」
「……そういうことか」
ゼノが言った。
私たちは——また歩き出した。
だが——心の中では、不安が募っていた。
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322階層。
階段を下りると、そこは長い通路だった。
壁が両側から迫り、天井も低い。圧迫感がある。
「……息苦しいな」
ケインが呟いた。
「……ああ」
私も頷いた。
確かに——空気が重い。
私たちは——通路を進んだ。
足音だけが、響く。
そして——ふと、私は気づいた。
足音が——六つある。
リオン、エレナ、ケイン、ルナ、ゼノ、そして私。
六人分の足音。
でも——。
何かが、おかしい。
リズムが——微妙に揃いすぎている。
「……」
私は立ち止まった。
「セリア?」
ゼノが振り返った。
「……どうした」
「……いや」
私は首を横に振った。
「……何でもない」
また歩き出す。
だが——違和感は、消えなかった。
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323階層。324階層。
階段を下り続ける。
モンスターは、まだ現れない。
静寂だけが、続いている。
「……休むか」
リオンが提案した。
「……少し、疲れた」
「……ああ」
みんなが頷いた。
私たちは——広間に座り込んだ。
水を飲み、少し休む。
「……なあ、セリア」
ゼノが口を開いた。
「……何だ」
「……お前、300階層で別れた時のこと——思い出せないのか?」
「……」
私は——黙っていた。
300階層での別れ。
その記憶が——ない。
「……思い出せない」
私は答えた。
「……その部分の記憶が、ない」
「……そうか」
ゼノが呟いた。
「……でも、きっと理由があったんだろう」
「……理由?」
「……ああ」
ゼノが私を見た。
「……お前は、仲間を大切にする奴だ」
「……そんな奴が、仲間を拒絶するなんて——よっぽどの理由があったはずだ」
「……」
私は——黙っていた。
よっぽどの理由。
それは、何だったのか。
「……私も、そう思う」
エレナが言った。
「……セリアは、優しいもの」
「……きっと、私たちを守るために——一人で行ったんじゃないかしら」
「……守る?」
「……ええ」
エレナが微笑んだ。
「……深層は、危険だから」
「……私たちを危険に晒したくなくて——一人で行った」
「……そうかもしれないな」
リオンが頷いた。
「……セリアらしい」
「……」
私は——何も言えなかった。
本当に、そうだったのか。
分からない。
「……まあ、いつか思い出すだろ」
ケインが笑った。
「……それまでは、俺たちと一緒に進もう」
「……ああ」
私は頷いた。
みんなが——微笑んでいる。
温かい、微笑み。
でも——。
何かが、引っかかる。
何が、とは言えない。
ただ——何かが、おかしい気がする。
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325階層。
階段を下りると、そこは暗い通路だった。
松明の光が、壁を照らしている。
「……進むぞ」
リオンが先頭を歩く。
私たちは——後に続いた。
通路を進みながら、私はずっと考えていた。
300階層での別れ。
なぜ、一人で行ったのか。
みんなが言うように、仲間を守るためだったのか。
でも——。
記憶が、ない。
確かめようがない。
「……セリア」
エレナが後ろから声をかけてきた。
「……大丈夫?」
「……ああ」
私は頷いた。
「……大丈夫だ」
「……無理しないでね」
エレナが優しく言った。
「……ああ」
私は——また前を向いた。
だが——心の中では、違和感が募っていた。
エレナの声。
リオンの背中。
ゼノの笑顔。
ケインの軽やかな動き。
ルナの静かな存在感。
全てが——自然だ。
でも——何かが、おかしい。
何が、とは言えない。
ただ——何かが。
「……」
私は——自分の頭を軽く叩いた。
考えすぎだ。
疲れているんだ。
だから、おかしなことを考える。
みんなは——ここにいる。
確かに、ここに。
私は——そう自分に言い聞かせた。
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326階層に着いた時、モンスターが現れた。
黒い騎士。Aランク。
「……来たぞ!」
リオンが叫んだ。
私たちは——剣を抜いた。
戦闘が、始まる。
リオンが正面から攻撃する。
ケインとゼノが左右から。
エレナとルナが後方支援。
私は——騎士の死角から。
連携が、完璧だった。
まるで——何度も一緒に戦ってきたような。
「……せいっ!」
私は騎士の首を斬った。
騎士が倒れる。
「……やったな」
ゼノが笑った。
「……ああ」
私も頷いた。
みんなが——無事だ。
良かった。
でも——。
戦闘中、私は気づいた。
仲間たちの動きが——少しだけ、遅れていた。
まるで——私の動きを見てから、動いているような。
「……」
気のせいだろうか。
私は——その違和感を、心の奥に押し込んだ。
考えないようにした。
「……行こう」
リオンが言った。
「……次の階層へ」
私たちは——また階段を下り始めた。
327階層へ。
そして——その先へ。
私は——剣を握りしめた。
空虚の剣。
この剣と共に、私は進む。
仲間と共に。
深層へ。
そして——真実へ。
だが——心の奥底で、何かが囁いていた。
本当に、大丈夫なのか、と。
本当に——みんな、そこにいるのか、と。
私は——その声を、無視した。
今は——ただ、前へ進むだけだ。




