第95話 深層への旅立ち
朝が来た。
窓の外が、明るくなっている。結局、ほとんど眠れなかった。夢の光景が、頭から離れなかったから。
剣の墓場。
宙に浮く、五本の剣。
『——俺たちは、剣になった——』
「……」
私は、ベッドから起き上がった。
体が重い。疲労が、まだ残っている。でも——今日は、出発する日だ。休んでいるわけにはいかない。
顔を洗い、装備を整える。空虚の剣を腰に下げる。治療薬を確認する。残り——15本。足りるだろうか。いや、足りなければ途中で補充すればいい。
部屋を出た。
廊下には、すでにリオンたちが集まっていた。
「おはよう、セリア」
エレナが微笑んだ。
「……おはよう」
私は答えた。
エレナは——そこにいた。確かに、そこに。昨夜、部屋で見た姿と同じ。生きている。
「よく眠れたか?」
リオンが尋ねてきた。
「……ああ」
嘘をついた。
「……よく眠れた」
リオンは——何も言わなかった。ただ、少しだけ私を見つめていた。まるで、何かを見透かすように。
「じゃあ、行くか」
ケインが言った。
「準備はできてる」
「私も」
ルナが頷いた。
「……ゼノは」
私が尋ねると、階段から足音が聞こえてきた。
「おう、待たせたな」
ゼノが現れた。
いつも通りの、ゼノ。笑顔で、大剣を腰に下げている。
「……」
私は——彼を見つめた。
ゼノは、そこにいる。
確かに、そこに。
生きている。
「どうした、セリア?」
ゼノが不思議そうに私を見た。
「……何でもない」
私は首を横に振った。
「……行こう」
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宿を出た。
街は、朝の光に包まれていた。人々が、ゆっくりと動き始めている。市場に向かう人、井戸で水を汲む人、子供と手を繋いで歩く人。
平和な、日常。
私たちは——その中を歩いた。
街の端へ。
そこには——階段があった。
下へ続く、階段。
301階層へ。
「……ここから先は」
リオンが言った。
「——もう、引き返せない」
「みんな、覚悟はいいか?」
「ああ」
ケインが頷いた。
「もちろん」
エレナも頷いた。
「当然だ」
ルナも。
「俺も」
ゼノも。
「……私も」
私も、頷いた。
「……行こう」
リオンが先頭に立った。
「では——出発する」
私たちは——階段を下り始めた。
一歩、また一歩。
街の光が、遠ざかっていく。
そして——暗闇の中へ。
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301階層。
階段を下りると、そこは広い通路だった。
天井が高く、壁には古代文字が刻まれている。松明の光が、オレンジ色の影を作り出している。
「……ここからだな」
リオンが呟いた。
「気を引き締めていこう」
私たちは——通路を進んだ。
六人で。
リオンが先頭。その後ろにケイン。次にエレナ。ルナ。ゼノ。そして、私が最後尾。
足音が、静寂の中に響く。
六人分の、足音。
「……」
私は——前を歩く仲間たちの背中を見つめた。
リオンの広い背中。ケインの軽やかな動き。エレナの金髪。ルナの銀髪。ゼノのがっしりとした体格。
みんな、そこにいる。
確かに、そこに。
でも——。
昨夜の夢が、頭をよぎる。
剣の墓場。
五本の剣。
『——俺たちは、剣になった——』
「……違う」
私は小さく呟いた。
「……夢だ」
「……ただの、夢」
「セリア?」
ゼノが振り返った。
「何か言ったか?」
「……いや」
私は首を横に振った。
「……何でもない」
ゼノは——少し心配そうな顔をした。だが、何も言わずに前を向いた。
私たちは——また歩き出した。
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302階層。303階層。
階段を下り続ける。
モンスターは、まだ現れていない。静寂だけが、支配している。
「……おかしいな」
ケインが呟いた。
「モンスターが、いない」
「ああ」
リオンも頷いた。
「300階層から先は、Sランクのモンスターが普通に現れるはずなんだが——」
「……警戒しよう」
エレナが言った。
「何か、あるかもしれない」
私たちは——剣を抜いた。
六人とも。
いつでも戦えるように。
304階層。305階層。
やはり——モンスターは現れない。
不気味なほどの、静寂。
「……何かが、おかしい」
ルナが静かに言った。
「この静けさは——異常だ」
「……」
私も、そう思った。
300階層より先は、地獄だとリオンは言っていた。Sランクのモンスターが普通に現れる、と。
でも——今は、何もいない。
まるで——。
まるで、私たちを待っているような。
「……行こう」
リオンが言った。
「立ち止まっていても、仕方ない」
私たちは——また歩き出した。
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306階層。
階段を下りると、そこは広間だった。
円形の広間。天井が見えないほど高く、壁には無数の古代文字が刻まれている。
そして——中央に、何かがあった。
「……あれは」
ゼノが呟いた。
台座だ。
巨大な、石の台座。
その上には——青白く光る結晶が置かれていた。
「……結晶」
ケインが台座に近づいた。
「260階層で見た、あの結晶だ」
「……ああ」
私も頷いた。
確かに、同じだ。
「触ってみるか?」
エレナが尋ねた。
「……いや」
リオンが首を横に振った。
「下手に触らない方がいい」
「罠かもしれない」
私たちは——台座を迂回して、次の階段へ向かった。
だが——その時。
結晶が、光り始めた。
「……!」
私たちは立ち止まった。
青白い光が、結晶から溢れ出す。
そして——。
映像が、空中に浮かび上がった。
「……何だ、これは」
ゼノが呟いた。
映像には——剣が映っていた。
無数の剣。
床に突き刺さっている剣。壁に突き刺さっている剣。宙に浮いている剣。
「……」
私は——その映像を見つめた。
見覚えがある。
昨夜の夢で見た、あの光景。
剣の墓場。
「……これは」
リオンが呟いた。
「……何なんだ」
映像が、切り替わった。
今度は——人が映っていた。
冒険者たちだ。
深層を進んでいる。
そして——モンスターと戦い、傷つき、倒れていく。
倒れた冒険者の体が、光に包まれる。
そして——剣だけが、残る。
映像は——それを繰り返し映していた。
人が死ぬ。
剣が残る。
また人が死ぬ。
また剣が残る。
延々と。
「……」
私たちは——言葉を失っていた。
映像が、消えた。
結晶の光も、弱くなった。
静寂。
「……あれは」
エレナが震える声で言った。
「……警告?」
「……いや」
リオンが首を横に振った。
「……記録だ」
「過去の、記録」
「……」
私は——結晶を見つめた。
昨夜の夢は——夢ではなかったのか。
あの剣の墓場は——本当にあるのか。
「……行こう」
リオンが言った。
「ここにいても、仕方ない」
私たちは——次の階段へ向かった。
だが——心の中では、不安が募っていた。
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307階層。308階層。309階層。
階段を下り続ける。
やはり——モンスターは現れない。
静寂だけが、続いている。
「……気味が悪いな」
ケインが呟いた。
「本当に、何もいない」
「……」
私は——前を歩く仲間たちを見つめた。
リオン。エレナ。ケイン。ルナ。ゼノ。
みんな、そこにいる。
確かに、そこに。
でも——。
何かが、おかしい。
何かが——違う。
でも、それが何なのか、分からない。
「セリア」
ゼノが私を振り返った。
「大丈夫か? さっきから、ずっとボーッとしてるぞ」
「……ああ」
私は頷いた。
「……大丈夫だ」
「無理するなよ」
「……ああ」
私は——また前を向いた。
だが——心の中では、不安が募っていた。
昨夜の夢。
剣の墓場。
五本の剣。
『——俺たちは、剣になった——』
その声が——何度も、何度も、頭の中で響いていた。
そして——306階層で見た映像。
無数の剣。
死んでいく冒険者たち。
残される剣。
「……」
私は——自分の剣を見下ろした。
空虚の剣。
この剣も——いずれ、あの墓場に行くのだろうか。
私が死んだら。
「……」
考えないようにした。
今は——ただ、前へ進むだけだ。
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310階層。
また、広間に出た。
そこには——何もなかった。
転移装置も、台座も、何も。
ただ——空っぽの広間。
「……転移装置が、ない」
ケインが呟いた。
「……ああ」
リオンも頷いた。
「300階層から先は——もう、転移装置はない」
「……つまり」
エレナが言った。
「……地上には、戻れない」
「……そういうことだ」
リオンが頷いた。
私は——息を呑んだ。
「……戻れない?」
私は呟いた。
「……一度、地上に戻ろう」
「装備を整えて、治療薬を補充して——」
「無理だ、セリア」
リオンが私を見た。
「もう、戻れない」
「300階層から先は——一方通行だ」
「……でも」
私は言葉を続けようとした。
だが——リオンが首を横に振った。
「諦めろ」
「進むしか、ない」
「……」
私は——みんなを見た。
エレナ、ケイン、ルナ、ゼノ。
みんな——黙っている。
「……本当に、戻れないのか」
私はゼノに尋ねた。
「……ああ」
ゼノも頷いた。
「俺も、リオンから聞いた」
「300階層から先は、転移装置がない」
「一度進んだら——もう、戻れない」
「……」
私は——自分の治療薬を確認した。
残り——15本。
これで、どこまで行けるのか。
「大丈夫よ、セリア」
エレナが微笑んだ。
「私たち、一緒にいるから」
「……ああ」
ケインも頷いた。
「一人じゃない」
「……そうだ」
ルナも静かに言った。
「一緒に、行こう」
私は——みんなを見つめた。
リオン。エレナ。ケイン。ルナ。ゼノ。
みんな、そこにいる。
確かに、そこに。
「……分かった」
私は頷いた。
「……進もう」
リオンが笑った。
「それでこそ、セリアだ」
「では——行くぞ」
私たちは——次の階段へ向かった。
もう、戻れない。
進むしか、ない。
一歩、また一歩。
深層へ。
そして——真実へ。




