第93話 街の秘密
翌朝、私は食堂で仲間たちと合流した。
窓からは朝日が差し込んでいて、街は静かだった。人々が、ゆっくりと目覚め始めている時間帯なのだろう。
「おはよう、セリア」
エレナが微笑んだ。
「……おはよう」
私は椅子に座った。
昨夜よりも、体調は良くなっている。久しぶりにまともな睡眠を取ったからだろう。
「朝食、持ってくるわ」
エレナが立ち上がり、しばらくして温かいスープとパンが運ばれてきた。
「……ありがとう」
私は、ゆっくりと食事を始めた。
テーブルには、ゼノとリオン、ケイン、ルナも座っていた。みんな、黙って食事をしている。
「……聞いていいか」
私は口を開いた。
「……この街のこと」
リオンが顔を上げた。
「この街か。何が知りたい?」
「……全部」
私は言った。
「なぜ、300階層に街があるのか」
「いつからあるのか」
「誰が、ここに住んでいるのか」
リオンは、少し考えるような表情をした。そして、ゆっくりと話し始めた。
「この街がいつからあるのかは、誰も知らない」
彼は窓の外を見た。
「俺たちがここに来た時には、もうあった。それがいつなのか、正確には分からないが——少なくとも、何十年も前からあるらしい」
「……何十年」
「ああ。ここに住んでいる人たちに聞いたんだが、彼らの親の世代から、この街はあったそうだ」
「……」
私は——街を見渡した。
確かに——この街には、年配の人も若い人もいる。何世代も、ここで暮らしているのだろう。
ケインが続けた。
「この街に住んでいるのは、全員冒険者だった人たちだ」
「……冒険者」
「そう。みんな、深層へ潜っていた。でも——ここまで来て、疲れ果てた。もう戻る気力もない。だから、ここに留まることにした」
エレナが静かに言った。
「この街には、全てがあるの。食料も、水も、住む場所も。地上に戻る必要がない」
「……」
私は、街を見渡した。
確かに——この街には、生活に必要なものが全て揃っているように見える。市場があり、井戸があり、家々が立ち並んでいる。
「でも——」
ルナが口を開いた。
「——ここに留まった人たちは、もう地上には戻らない」
「……なぜ」
「戻る理由がないから」
ルナは静かに言った。
「ここには、全てがある。そして——もう、深層へ進む力もない」
「だから——ここに、定住する」
私は、その言葉の意味を理解した。
「……つまり」
私は呟いた。
「……地上では、誰もこの街のことを知らない」
「ああ」
リオンが頷いた。
「地上の人間は、300階層より先に行った冒険者は、全員死んだと思っている」
「でも、実際は——」
「——ここに、住んでいる」
ゼノが言った。
「だから、誰も戻ってこないんだ」
私は——息を呑んだ。
300階層より先に行った冒険者は、全員死んだと思われている。
でも、実際には——この街に住んでいる。
そして、地上には戻らない。
「……なぜ、戻らないんだ」
私は問うた。
「……地上には、家族がいるかもしれない」
「友人がいるかもしれない」
「それでも——戻らないのか」
エレナが、悲しそうに笑った。
「戻れないのよ、セリア」
「……何が」
「心が」
エレナは窓の外を見た。
「ここまで来た人たちは、みんな——何かを失っている」
「仲間を失った人」
「大切な人を失った人」
「自分自身を失った人」
「だから——もう、地上には戻れない」
私は——黙っていた。
確かに、そうかもしれない。
深層まで潜るということは、それだけ過酷な経験をするということだ。
仲間が死ぬ。
自分も死にかける。
心が、壊れていく。
そして——もう、戻れなくなる。
「……でも」
私は呟いた。
「……それでも、戻りたい人もいるんじゃないか」
「いるかもしれない」
リオンが言った。
「でも——みんな、ここに留まることを選んだ」
「なぜなら——」
リオンは私を見た。
「——この先は、もっと危険だから」
「……」
「噂で聞いた話だが——」
リオンの声が、低くなった。
「300階層より先は、さらに過酷らしい」
「強力なモンスターが現れる」
「罠も、複雑になる」
「そして——剣の囁きも、強くなると聞いた」
ゼノが、自分の剣を見下ろした。
「……ああ、俺も感じてる」
「ここに来るまでの間——囁きが、少しずつ強くなってた」
「……」
私は、自分の剣を見た。
空虚の剣。
この剣だけは、囁かない。
でも——他の人たちは、苦しんでいる。
「だから——」
ケインが言った。
「——ここに留まる人が多いんだ」
「これ以上は、無理だって」
私は——窓の外を見た。
街の人々が、ゆっくりと動き始めている。
市場に向かう人。
子供と手を繋いで歩く人。
井戸で水を汲む人。
みんな——冒険者だった人たちなのだろうか。
深層を目指していた人たちが、今はここで平穏に暮らしている。
「……セリア」
リオンが私を見た。
「お前は——どうするんだ」
「……」
私は、リオンを見返した。
「……先へ進む」
即答した。
「……500階層まで」
「……そうか」
リオンは、小さく笑った。
「やっぱり、お前はそう言うと思った」
「俺たちも——」
ケインが言った。
「——一緒に行く」
「……いいのか」
私は彼らを見た。
「……危険だぞ」
「分かってる」
エレナが微笑んだ。
「でも、私たちはあなたの仲間よ」
「一緒に行く」
ルナも頷いた。
「……」
私は——少しの間、黙っていた。
そして——頷いた。
「……ありがとう」
「当然だろ」
ゼノが笑った。
「俺たちは、パーティだ」
リオンが立ち上がった。
「なら、決まりだな」
「明日、出発する」
「今日は、準備をしよう」
「装備を整えて、治療薬を補充する」
みんなが頷いた。
「……分かった」
私も立ち上がった。
「……準備をしよう」
-----
その日、私たちは街を歩き回った。
市場で治療薬を買い、武器屋で剣の手入れをしてもらい、食料を揃えた。
街の人々は、私たちを見て——少し寂しそうな顔をした。
「また、深層へ行くのか」
老人が、私に声をかけた。
「……ああ」
私は頷いた。
「……止めはしない」
老人は言った。
「でも——気をつけろ」
「300階層から先は——もう、人間の領域じゃないと聞く」
「……」
「俺も、昔は深層を目指していた」
老人は遠い目をした。
「でも——320階層で、仲間を全員失った」
「それで——もう、無理だと思った」
「ここに、留まることにした」
老人は私を見た。
「お前は——まだ若い」
「引き返すなら、今だぞ」
「……」
私は——首を横に振った。
「……引き返せない」
「……そうか」
老人は、小さく笑った。
「なら——頑張れ」
「……ありがとう」
私は頭を下げた。
-----
夜、宿に戻った。
明日——私たちは、深層へ向かう。
301階層から先へ。
「……大丈夫か、セリア」
ゼノが声をかけてきた。
「……ああ」
私は頷いた。
「……大丈夫だ」
「無理するなよ」
「……ああ」
私は窓の外を見た。
星が、瞬いている。
300階層なのに、空が見える。
おかしい、と思った。
でも——今は、考えないことにした。
明日——また、戦いが始まる。
私は——剣を握りしめた。
空虚の剣。
「……頼む」
私は剣に囁いた。
「……みんなを、守らせてくれ」
剣は——いつも通り、沈黙していた。




