第89話 真実の扉
255階層の転移装置から、私たちは降り立った。
一週間ぶりの深淵。
空気が、重い。
「……大丈夫か」
私はゼノを見た。
「……ああ」
ゼノは頷いた。
顔色は、以前よりも良い。一週間の休息が、効いたようだ。
だが——その目には、まだ疲労の色が残っている。
「行こう」
私は階段へ向かった。
ゼノも、後に続く。
-----
258階層。259階層。
階段を下りながら、私たちは黙っていた。
モンスターは、時々現れた。
黒い鎧の騎士。ミノタウロス。
だが、戦闘は——以前よりスムーズだった。
ゼノの動きが、戻っている。
休息の効果だろう。
「……やるな」
ゼノが息を整えながら言った。
「お前との連携、やっぱり完璧だ」
「……お前もだ」
私は剣を鞘に戻した。
確かに、今日は調子が良い。
ゼノも、私も。
だが——。
心の奥底で、何かが引っかかっていた。
嫌な予感。
理由は分からない。
ただ、何かが——間違っている気がする。
-----
260階層。
階段を下りると、そこは広大な空間だった。
天井が見えないほど高く、床は黒い石で敷き詰められている。
そして——中央に、巨大な扉があった。
「……何だ、あれは」
ゼノが立ち止まった。
扉は——高さ20メートルはある。
黒い石でできていて、表面には無数の文字が刻まれている。
古代文字。
だが、その中に——読める文字もあった。
『真実の扉』
「……真実の扉」
私は呟いた。
「……ここに、何があるんだ」
私たちは、扉へ近づいた。
一歩、また一歩。
足音が、空間に響く。
扉の前に立つ。
見上げると、文字が光っている。
青白い光。
「……開くのか、これ」
ゼノが呟いた。
私は——扉に手を当てた。
冷たい。
石の、冷たさ。
その瞬間——。
扉が、光り始めた。
青白い光が、扉全体を包む。
そして——。
扉が、ゆっくりと開いた。
-----
扉の向こうには——部屋があった。
円形の部屋。
壁には、無数の文字が刻まれている。
そして——中央に、台座があった。
台座の上には、何かが置かれている。
青白く光る、結晶。
「……あれは」
ゼノが呟いた。
「241階層で見た、あの結晶か」
「……ああ」
私も頷いた。
確かに、似ている。
だが——この結晶は、もっと大きい。
そして、光が強い。
私たちは、部屋へ入った。
扉が、背後で閉まった。
「……!」
ゼノが振り返る。
だが、扉は動かない。
「くそ——」
「……大丈夫だ」
私は言った。
「罠じゃない」
私たちは、台座へ近づいた。
結晶が、脈動している。
まるで、心臓のように。
「……触ってみるか」
ゼノが呟いた。
「……ああ」
私は結晶に手を伸ばした。
触れる。
その瞬間——。
頭の中に、映像が流れ込んできた。
-----
剣を持つ者が、死ぬ。
その瞬間——映像が、恐ろしい光景を映し出す。
死んだ者の体が、光に包まれる。
肉体が、透明になっていく。
消えていく。
そして——その場に、剣だけが残る。
**人は、死ぬと剣になる。**
魂が剣に移るのか。
それとも——死んだ人間そのものが、剣という形に変わるのか。
映像は、明確には示さない。
ただ——事実だけを突きつける。
人が死ぬ。
剣が残る。
そして——その剣が、光に包まれる。
消える。
どこへ。
映像が切り替わる。
1階層。
儀式の間。
生後1歳未満の幼児が、親と共にダンジョンにいる。
剣の儀式。
その時——光が現れる。
そして——幼児の前に、剣が出現する。
新しい持ち主へ。
死んだ冒険者の剣が、新しい命へと受け継がれる。
幼児は成長する。
剣を手に、深層へ潜る。
前の持ち主の記憶が、頭に流れ込む。
技術。知識。そして——囁き。
「もっと深く」
「止まるな」
「進め」
冒険者は、深層へ向かう。
そして——死ぬ。
また剣になる。
また消える。
また1階層の幼児のところへ。
延々と——繰り返される。
人が剣になり、剣が新しい人へ渡り、人がまた剣になる。
終わらない、連鎖。
なぜ。
なぜ、こんなシステムが。
なぜ、囁くのか。
なぜ、深層へ誘うのか。
映像は——それを示さない。
ただ——無数の冒険者たちが、同じ運命を辿る姿だけが映る。
死ぬ。
剣になる。
受け継がれる。
また死ぬ。
永遠に。
映像が、途切れた。
-----
私は、結晶から手を離した。
息が上がっている。心臓が、激しく打っている。
全身が、震えている。
「……嘘だろ」
ゼノの声が、震えていた。
彼も、同じ映像を見たのだろう。
「人が——剣に——」
ゼノは自分の剣を見下ろした。
「じゃあ、この剣も——」
「……誰かが、死んで」
私は呟いた。
「その人が、剣になった」
「そして——お前のところへ来た」
「……っ」
ゼノが、剣を床に叩きつけた。
金属が、石に当たる音が響く。
「ふざけるな!」
彼の声が、部屋に響いた。
「なぜだ! なぜ、そんなことに!」
だが——答えはない。
結晶は、沈黙している。
映像は、それ以上何も示さなかった。
「……なぜ、囁くのか」
私は呟いた。
「なぜ、深層へ誘うのか」
「それも——分からないのか」
ゼノが言った。
「……ああ」
私は頷いた。
映像は、そこまでは示さなかった。
ただ——人が剣になる、という事実だけ。
そして——その剣が、また新しい人へ受け継がれる、という事実だけ。
「……アシュも」
私は呟いた。
「150階層で死んだ、アシュも——」
言葉が、続かなかった。
アシュの笑顔が、頭に浮かぶ。
優しかった、アシュ。
彼は今——剣になって。
どこかの幼児のところへ行ったのか。
その子は——いずれ、アシュと同じ運命を辿るのか。
「……くそ」
ゼノが壁を殴った。
拳が、血を流す。
「くそ! くそ!」
彼は、叫び続けた。
私は——何も言えなかった。
ただ、立ち尽くしていた。
真実が、重すぎる。
人は、剣になる。
そして——また人へ。
また剣へ。
終わらない連鎖。
なぜ。
誰が、こんなシステムを作ったのか。
その時だった。
床が、揺れた。
「……!」
私は壁に手をついた。
揺れが、激しくなる。
「地震か!」
ゼノが叫んだ。
床が、ひび割れ始めた。
黒い石が、砕けていく。
「……まずい!」
私は扉へ駆けた。
だが——扉は開かない。
「セリア! こっちだ!」
ゼノが叫んだ。
彼は、部屋の反対側を指差している。
そこに——別の出口があった。
「行くぞ!」
私たちは走った。
床が、次々と崩れていく。
足元が、不安定だ。
出口が、近づく。
あと少し——。
その時だった。
ゼノの足元の床が、大きく崩れた。
「……!」
ゼノが、落ちた。
「ゼノ!」
私は手を伸ばした。
ゼノも、手を伸ばす。
指先が——触れた。
だが——。
床が、さらに崩れた。
ゼノの体が、暗闇へ吸い込まれていく。
「セリア——」
彼の声が、遠ざかっていく。
「ゼノ!」
私は叫んだ。
だが——。
もう、彼の姿は見えなかった。
暗闇だけが、広がっていた。
-----
私は——出口へ転がり込んだ。
床が、完全に崩れ落ちる音が響く。
息が上がっている。
全身が、震えている。
「……ゼノ」
私は呟いた。
「ゼノ!」
叫ぶ。
だが——答えはない。
私は、崩れた部屋の縁へ這っていった。
下を覗き込む。
暗闇。
底が見えないほどの、暗闇。
「……ゼノ」
私は、もう一度叫んだ。
だが——。
何も聞こえない。
静寂だけが、私を包んでいた。
-----
どれくらい、そこにいただろうか。
時間の感覚が、ない。
ただ——暗闇を見つめていた。
ゼノが、落ちた暗闇を。
「……行かなきゃ」
私は呟いた。
「探さなきゃ」
私は立ち上がった。
足が、震える。
だが——動く。
私は、通路を進み始めた。
下へ。
ゼノを探すために。
261階層。262階層。
階段を下り続ける。
「ゼノ!」
叫びながら。
「どこだ!」
だが——答えはない。
263階層。264階層。
モンスターが現れた。
黒い騎士。
私は——剣を振るった。
一瞬で、首を斬る。
考える暇もない。
ただ、体が動く。
265階層。266階層。
「ゼノ!」
叫び続ける。
だが——。
彼の姿は、どこにもなかった。
267階層。
広間に出た。
私は——その場に座り込んだ。
全身の力が、抜けた。
「……ゼノ」
私は呟いた。
「どこへ行ったんだ」
涙が——溢れた。
止まらない。
アシュを失った。
そして——ゼノも。
「……一人だ」
私は呟いた。
「また、一人になった」
静寂だけが——私を包んでいた。




