第86話 250階層の遺跡
250階層。
白い光が消えると、私たちはそこに立っていた。
広大な空間。天井が見えないほど高く、床は白い石で敷き詰められている。
壁には、無数の古代文字が刻まれている。だが、読めない。見たこともない文字だ。
「……すごいな」
ゼノが呟いた。
「こんな場所、初めて見る」
「……ああ」
私も頷いた。
この空間は、今までの階層とは明らかに違う。
空気が、違う。
重さが、違う。
そして——何かが、ここにある。
「あれを見ろ」
ゼノが指差した。
空間の中央に、巨大な石碑が立っていた。
高さは10メートルはある。表面には、文字が刻まれている。
「……近づいてみよう」
私は石碑へ歩いた。
一歩、また一歩。
足音が、静寂の中に響く。
ゼノも、後に続く。
石碑の前に立つ。
見上げると、文字が光っている。青白い光。
「……何が書いてあるんだろうな」
ゼノが呟いた。
「読めないが——」
その時だった。
石碑から、声が聞こえた。
『——ようこそ——』
「!」
私は一歩、後ずさった。
『——250階層へ——』
『——よくぞ、ここまで辿り着いた——』
声が、空間に響く。
低く、重い声。
「……誰だ」
私は問うた。
「お前は、何者だ」
『——私は、記録者——』
声が答えた。
『——古代の記録を、守る者——』
「記録……」
ゼノが呟いた。
『——そう、記録——』
声が続けた。
『——この世界の歴史——』
『——剣の歴史——』
『——人の歴史——』
『——全てが、ここに記されている——』
私は石碑を見上げた。
古代文字。無数の文字。
それは——この世界の全てが記されているのか。
「……何のために」
私は問うた。
「なぜ、記録を残している」
『——忘れないため——』
声が答えた。
『——真実を、忘れないため——』
「真実……」
私は呟いた。
またその言葉だ。
241階層の結晶も、真実について語っていた。
『——お前たちは、知りたいのだろう——』
声が問うた。
『——剣の秘密を——』
『——囁きの理由を——』
『——全ての、答えを——』
「……ああ」
私は頷いた。
「知りたい」
「それが、ここにあるのか」
『——ある——』
声が答えた。
『——だが——』
『——まだ、早い——』
「……何が」
『——お前たちは、まだ準備ができていない——』
声が言った。
『——真実を知る、準備が——』
「……」
私は黙っていた。
準備ができていない。
それは、一体どういう意味なのか。
『——だが——』
声が続けた。
『——ここまで来たのだから——』
『——一つだけ、教えよう——』
「……何を」
『——剣は、道具ではない——』
声が静かに言った。
『——剣は、生きている——』
「生きている……」
ゼノが呟いた。
「どういう意味だ」
『——剣には、意思がある——』
『——前の持ち主の意思が——』
『——そして——』
『——それ以上の、何かが——』
私は自分の剣を見下ろした。
空虚の剣。
生きている、のか。
この剣に、意思があるのか。
でも——何も感じない。
いつも通り、沈黙している。
『——お前の剣は、特別だ——』
声が私に向かって言った。
『——空虚の剣——』
『——何も宿っていない、と言われている——』
『——だが——』
『——本当に、何もないのか——』
「……」
私は答えられなかった。
分からない。
この剣には、何があるのか。
何もないのか。
それとも——何かが、隠されているのか。
『——答えは、深層にある——』
声が言った。
『——もっと深く——』
『——300階層——』
『——そこに、次の真実がある——』
300階層。
またその数字だ。
私の記憶では、300階層で仲間と別れた。
そこに、何があるのか。
『——だが、注意せよ——』
声のトーンが変わった。
『——深層は、危険だ——』
『——剣の囁きは、さらに強くなる——』
『——抵抗できない者は——』
『——深層に、飲み込まれる——』
ゼノが顔を歪めた。
「……っ」
「ゼノ」
私は彼を見た。
「大丈夫か」
「……ああ」
ゼノは頷いた。
だが、その表情は苦しそうだ。
「囁きが——少し、強くなった」
「……」
私は剣を抜いた。
空虚の剣。
だが——光らない。
なぜだ。
いつもなら、たまに光ってゼノの囁きを抑えてくれるのに。
「セリア——」
ゼノが私を見た。
「大丈夫だ」
「まだ、耐えられる」
「……」
『——お前たちは、ここで休むといい——』
声が言った。
『——この階層には、モンスターはいない——』
『——安全だ——』
『——体を休めて、次の階層へ進め——』
私は周囲を見回した。
確かに、モンスターの気配はない。
静寂だけが、支配している。
「……休もう」
私はゼノに言った。
「ここで、少し休む」
「……ああ」
ゼノは壁に背を預けた。
そして、ゆっくりと座り込んだ。
私も、その隣に座った。
『——では、私は去る——』
声が言った。
『——また会おう——』
『——300階層で——』
光が消えた。
石碑は、ただの石に戻った。
-----
静寂。
私とゼノ、二人だけが残された。
「……セリア」
ゼノが口を開いた。
「さっきの声——信じられるのか」
「……分からない」
私は正直に答えた。
「でも——嘘ではないと思う」
「……そうか」
ゼノは天井を見上げた。
「剣は、生きているか」
彼は自分の剣を見下ろした。
「……お前は、生きているのか」
剣は、答えない。
当然だ。
剣との対話は、頭の中で行われる。
声に出して話すわけではない。
「……囁きは」
私が尋ねると、ゼノは首を横に振った。
「今は、大丈夫だ」
「少し、落ち着いた」
「……そうか」
私は安堵の息を吐いた。
「でも——」
ゼノが続けた。
「300階層へ行けば、もっと強くなるんだろうな」
「……ああ」
私は頷いた。
確かに、囁きはどんどん強くなっている。
このままでは——。
「セリア」
ゼノが私を見た。
「もし——俺が、本当に限界になったら」
「……」
「お前は、一人で進んでくれ」
「何を言っている」
私は強く言った。
「お前を、置いていくわけがない」
「でも——」
「でも、何もない」
私はゼノを見た。
「お前は、私の仲間だ」
「何があっても、一緒に行く」
ゼノは——少しの間、黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……ありがとう」
「……」
私は何も言わなかった。
ただ、黙って座っていた。
-----
どれくらい休んだだろうか。
時間の感覚が、曖昧だ。
「……そろそろ、行くか」
ゼノが立ち上がった。
私も立ち上がる。
「次は、251階層だな」
「……ああ」
私は頷いた。
「行こう」
二人は、次の階層へ続く階段へ向かった。
石碑の前を通り過ぎる。
その時——。
石碑が、微かに光った。
青白い光。
一瞬だけ。
「……今の」
ゼノが振り返った。
「光ったか?」
「……ああ」
私も振り返った。
だが、もう光っていない。
ただの石碑だ。
「……気のせいか」
ゼノが呟いた。
「いや——」
私は石碑を見つめた。
「何か、あるのかもしれない」
「……」
だが、今は考えても仕方ない。
「行こう」
私は階段へ向かった。
ゼノも、後に続く。
-----
251階層への階段。
下りながら、私は考えていた。
剣は、生きている。
その言葉の意味。
剣には、意思がある。
前の持ち主の意思だけではなく、それ以上の何かが。
それは、一体何なのか。
そして——私の剣は。
空虚の剣。
何も宿っていない、と言われている。
だが、本当にそうなのか。
たまに、ゼノの囁きを抑える。
たまに、光る。
それは——何かが、あるからではないのか。
答えは、まだ分からない。
だが——300階層。
そこに、次の真実がある。
私は——必ず、辿り着く。
階段を下り続ける。
一歩、また一歩。
そして——。
251階層へ、辿り着いた。




