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第82話 追跡


転移装置から降り立った瞬間、236階層の空気が肌を刺した。


重い。圧迫感がある。深層特有の、何かが間違っているような、そんな感覚。


「……ゼノ」


私は周囲を見回した。


石造りの広間。天井は高く、壁には古代文字が刻まれている。だが、ゼノの姿はない。


戦闘の痕跡もない。血痕もない。


ということは——もっと先に行ったのか。


『お前の体は、まだ回復していない』


そんな声が、頭の中に響いた気がした。だが、私の剣は沈黙している。いつも通り、何も語りかけてこない。


私は走り出した。


次の階層へ続く階段を見つける。下りる。


237階層。


通路が続いている。松明の光が、壁を照らしている。


「……ゼノ」


もう一度、名前を呼ぶ。


答えはない。


足音だけが、静寂の中に響く。


私は走り続けた。


体が重い。昨日の疲労が、まだ残っている。三日休めと言われたのに、一晩しか眠っていない。


だが、止まれない。


ゼノは一人で、剣の囁きに苦しめられながら、深層を彷徨っている。


私が追いつかなければ——。


通路の先に、階段が見えた。


238階層へ。


階段を下りる。足が震える。それでも、走る。


238階層。


広い空間だった。天井が高く、柱が立ち並んでいる。


そして——。


床に、血痕があった。


「……!」


私は駆け寄った。


新しい血だ。まだ乾いていない。


誰の血だ。ゼノか。それとも——。


いや、考えるな。


私は周囲を見回した。戦闘の痕跡がある。床に、モンスターの死骸が転がっていた。


黒い鎧を纏った騎士。Aランク。


胴が真っ二つに斬られている。一撃で仕留めたのか。


ゼノの仕業だ。


ということは、ゼノはまだ戦える。まだ、剣に完全に支配されていない。


私は安堵の息を吐いた。


だが——。


血痕は、ゼノのものだろう。


怪我をしている。治療薬を使っているのか。


いや、使っていないかもしれない。


ゼノは、もう正常な判断ができないかもしれない。


「……急げ」


私は自分に言い聞かせた。


次の階段へ。


239階層。


また通路だった。狭い。天井が低い。壁が迫ってくるような、そんな感覚。


私は通路を進んだ。


その時だった。


前方に、人影が見えた。


「……!」


私は立ち止まった。


ゼノだ。


背中を向けて、立っている。大剣を握りしめたまま、動かない。


「……ゼノ」


私は声をかけた。


ゼノが、ゆっくりと振り返った。


その顔を見て——私は息を呑んだ。


目が虚ろだった。焦点が合っていない。まるで、魂が抜けたような、そんな目。


「……セリア?」


掠れた声。まるで、遠くから聞こえてくるような。


「……ああ。私だ」


私はゆっくりと近づいた。


「なぜ、一人で来た」


「……」


ゼノは答えなかった。ただ、私を見つめている。


「帰ろう、ゼノ」


私は手を伸ばした。


「一緒に、地上へ」


「……いや」


ゼノは首を横に振った。


「もう、帰れない」


「何を言っている」


「剣が——」


ゼノは自分の剣を見下ろした。


「止まるなと、囁いている」


「もっと深く。もっと深く」


ゼノの声が震えた。


「止められない。もう、私の意思じゃない」


「……ゼノ」


「行け、セリア」


ゼノが顔を上げた。その目には、苦痛が浮かんでいた。


「私を置いて、地上へ戻れ」


「このままじゃ、お前まで——」


「嫌だ」


私は強く言った。


「お前を置いていけない」


「セリア……」


「お前は、私の仲間だ」


私はもう一歩、近づいた。


「仲間を、見捨てたりしない」


ゼノの目が揺れた。


「……でも」


「でも、何もない」


私は手を伸ばした。


「一緒に、帰ろう」


ゼノは——その手を見つめた。


長い沈黙。


そして、ゼノがゆっくりと手を伸ばす。


その時だった。


ゼノの剣が、赤く光った。


「……っ!」


ゼノが苦痛の声を上げた。手が止まる。体が震える。


「だめだ——剣が——止めるなと——」


ゼノは頭を抱えた。


「進めと——深層へ行けと——」


「ゼノ!」


私はゼノの手を掴んだ。


その瞬間——。


私の剣が、光った。


空虚の剣。いつも沈黙している、この剣が。


淡い、青白い光。


それは、ゼノを包み込んだ。


「……これは」


ゼノの目が見開かれた。


「囁きが——止まった」


ゼノは自分の剣を見下ろした。赤い光が消えている。


「本当に——止まった」


そして、ゼノは私を見た。


その目には、正気が戻っていた。


「……セリア」


「帰るぞ」


私はゼノの手を強く握った。


「今なら、帰れる」


ゼノは——少しの間、私を見つめていた。


そして、小さく頷いた。


「……ああ」


声が、震えていた。


「帰ろう」


-----


地上へ戻る道のりは、長かった。


ゼノの体は、限界に近かった。歩くのもやっとで、何度も立ち止まった。


私は、ゼノの肩を支えながら歩いた。


237階層。236階層。


階段を上る。一歩ずつ。ゆっくりと。


「……すまない」


ゼノが呟いた。


「お前に、迷惑をかけて」


「迷惑じゃない」


私は答えた。


「お前なら、私が同じ状況でも助けに来ただろう」


「……ああ」


ゼノは小さく笑った。


「当然だ」


転移装置に辿り着いた。


光が、私たちを包む。


そして——。


地上。


転移装置のある地下ホールに、私たちは降り立った。


職員が驚いた顔で駆け寄ってくる。


「セリアさん! ゼノさん!」


「医療室へ」


私は短く言った。


「すぐに、医療室へ案内してくれ」


「は、はい!」


-----


医療室。


治療師がゼノを診察している。私は、ベッドの脇の椅子に座っていた。


体が重い。限界を超えて動いたせいで、全身が悲鳴を上げている。


だが、ゼノを見つけられた。


それだけで、十分だった。


「……過労と、軽度の脱水症状です」


治療師が言った。


「数日、安静にしていれば回復するでしょう」


「……ありがとうございます」


ゼノがベッドの上で言った。


治療師は頷いて、部屋を出ていった。


静寂。


私とゼノ、二人だけが残された。


「……セリア」


ゼノが口を開いた。


「お前の剣——あれは、一体」


「……分からない」


私は首を横に振った。


「何が起きているのか、私にも分からない」


「でも——」


ゼノは私を見つめた。


「お前の剣は、囁きを止めた」


「220階層でも、239階層でも」


「……ああ」


「なぜだ」


「……分からない」


私は自分の剣を見下ろした。


空虚の剣。


何も宿っていない、と言われている剣。


だが、本当にそうなのか。


この剣には、何かがある。


何かが——隠されている。


「……いつか」


私は呟いた。


「いつか、分かる時が来る」


「そうだな」


ゼノは小さく笑った。


「その時まで——私も、生きていたいな」


「……生きろ」


私は強く言った。


「お前は、死なせない」


ゼノの目が、少し潤んだ。


「……ありがとう」


小さく、呟いた。


-----


その夜。


私は、宿の部屋で一人、剣を見つめていた。


空虚の剣。


黒い刃。装飾のない、シンプルな剣。


だが、この剣は——ゼノの囁きを止めた。


二度も。


なぜだ。


この剣には、何が宿っているのか。


私は、剣に語りかけてみた。


「……お前は、何だ」


答えはない。


いつも通り、沈黙している。


「……なぜ、ゼノの囁きを止められる」


やはり、答えはない。


私は溜息をついた。


そして、剣を鞘に戻した。


答えは、すぐには見つからないだろう。


だが——いつか、必ず。


この剣の正体を、知ることになる。


そんな予感がした。


窓の外に、星が瞬いている。


深淵の奥底では、今も何かが蠢いている。


剣の囁き。


人を深層へ誘う、あの声。


それは、一体何なのか。


答えを求めて——私は、また深層へ潜ることになるだろう。


ゼノと共に。

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