第7層:深淵管理機構
翌朝、私は朝日で目覚めた。
窓から差し込む光が、部屋を照らしている。私はベッドから起き上がり、窓辺に立った。
ルミナスの街並み。白い石造りの建物が、朝日を浴びて輝いている。遠くには、ダンジョンの穴が口を開けている。
昨夜のビジョンが、まだ頭に残っている。
「セリア、今日も調子いいな! 250階層も夢じゃないぞ」
誰かの声。明るい笑い声。
250階層。それが、私の目標だったのか。
だが、なぜ500階層へ行ったのだろう。
何があったのだろう。
……答えは、まだ見えない。
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身支度を整え、剣を腰に下げた。
しばらくして、ノックの音が聞こえた。
「セリアさん、準備できましたか?」
ミラの声。
私は扉を開けた。ミラが明るい笑顔で立っている。
「おはようございます! 今日は依頼の受け方を教えますね」
「……頼む」
私たちはアビスオーダー本部へ向かった。
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朝のルミナスは活気に満ちていた。
市場では商人たちが声を張り上げている。パン屋からは焼きたてのパンの香りが漂ってくる。武器屋の店先では、冒険者が剣を品定めしている。
ダンジョンへ向かう冒険者たちとすれ違う。彼らは剣を腰に下げ、革鎧を身につけている。緊張した表情。だが、どこか高揚している様子。
私たちは街の中心部へ向かった。
アビスオーダー本部。
巨大な石造りの建物。私は2日前、ここでギルドカードを再発行した。だが、今日訪れるのは別の場所だ。
「今日は依頼受付ホールへ行きます」
ミラが説明する。
「ギルドカード発行室とは別の場所なんです。冒険者が依頼を受けたり、報酬を受け取ったりする場所です」
私たちは本部の中へ入った。
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依頼受付ホールは、想像以上に広かった。
高い天井。大理石の床。壁一面には、依頼書が貼られている。複数の受付カウンターがあり、職員が冒険者たちの対応をしている。待合スペースには、ベンチとテーブルが置かれ、冒険者たちが談笑していた。
多くの冒険者がいる。
大剣を背負った男。双剣を握った女。長剣を下げた若者。短剣を隠し持つ暗殺者風の男。
パーティを組んでいる者たち。一人で依頼書を眺めている者たち。受付で報酬を受け取っている者たち。
活気がある。だが、荒々しい雰囲気も漂っている。
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私がホールに入ると、徐々に静かになった。
冒険者たちが振り返る。
私を見る目。
疑念。嘲笑。軽蔑。
ひそひそと囁き合う声。
「あれが……500階層の……」
「詐欺師だろ」
「ギルドカード、本物だったらしいぞ」
「でも信じられない」
「アビスが狂ったのか?」
私は無表情で受け流した。
ミラが申し訳なさそうに呟く。
「すみません……噂が広まってしまって……」
「構わない」
私は短く答えた。
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ミラが私を依頼書の壁へ案内した。
「依頼の選び方を教えますね」
壁一面に、羊皮紙の依頼書が貼られている。それぞれに、依頼内容と報酬が記されている。
「依頼には、大きく分けて三種類あります」
ミラが説明する。
「一つ目は討伐依頼。魔物を倒して、その証明をアビスに提出します。ギルドカードに自動的に記録されるので、偽造はできません」
「二つ目は採取依頼。ダンジョン内の希少な素材を集めてくる依頼です。鉱石、薬草、魔物の素材など」
「三つ目は護衛依頼。商人や研究者をダンジョン内で護衛する依頼です。これは報酬が高いですが、責任も重いです」
私は依頼書を眺めた。
――この感覚。
知っている。
依頼書の形式。文字の並び。報酬の記載方法。
既視感。
私は、ここで依頼を受けていたのか。2年前。
「セリアさんの実力なら、3階層くらいまでの依頼が良いと思います」
ミラが提案する。
「まずは、無理のない範囲で」
私は頷いた。
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そのとき、背後から声が聞こえた。
「よお、また会ったな」
低い声。
私は振り返った。
見覚えのある男。巨大な大剣を背負った、厳つい顔の男。
ダリウス。
1階層と5階層で会った、大剣使いだ。
「詐欺師、まだルミナスにいたのか」
彼の後ろには、仲間たちが立っている。4人パーティ。双剣の女、長剣の若者、短剣の男。
ダリウスは私を見下ろした。
「500階層だって? 笑わせるな」
仲間たちが笑う。
「本当に500階層へ行ったって言うなら、証明してみろよ」
ミラが前に出た。
「やめてください! セリアさんのギルドカードは本物です!」
だが、ダリウスは無視した。
「証明しろよ。できないのか?」
「証明する必要はない」
私は淡々と答えた。
ダリウスが鼻を鳴らす。
「ほら見ろ、できないんだ」
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周囲の冒険者たちが集まり始めた。
ホール内が騒然とする。
ダリウスが声を張り上げる。
「俺たちはな、命懸けでダンジョン潜ってんだ。お前みたいな嘘つきが記録を偽造して、冒険者の名誉を汚すのが許せねえんだよ」
冒険者たちが頷く。同調する声。
「そうだ!」
「詐欺師を追い出せ!」
私は相変わらず無表情だった。
ミラが必死に庇おうとする。だが、声はかき消される。
そのとき――。
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「そこまでにしておけ」
低く響く声。
ホール内が静まり返った。
一人の男が、人混みの中から現れた。
初老の男。50代ほど。傷だらけの顔。白髪混じりの髪。だが、その目は鋭い。
アビスの職員の腕章をつけている。
私はこの男を知っている。
2日前、受付ホールで私に警告してくれた男だ。
男は冒険者たちを見渡した。
「ダリウス、騒ぎを起こすなら出入り禁止にするぞ」
ダリウスが黙る。
男の存在感。威圧感。
ダリウスは舌打ちをして、仲間たちと共に去っていった。
男は私を見た。
「嬢ちゃん、少し話がある。ついてこい」
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私とミラは、男の後についていった。
ホールの奥、職員用の通路を抜け、一つの部屋へ案内された。
質素な部屋。机、椅子、本棚。壁には古い地図が掛けられている。ダンジョンの地図だ。
男は椅子に座り、私たちに座るよう促した。
「俺はアビスの監査官、ガレスだ」
彼は私を見つめた。
「お前のギルドカード、間違いなく本物だ。俺も発行に立ち会った」
私は少し驚いた。
「……あなたは、信じているのか」
「信じる信じないじゃない。記録は事実だ」
ガレスは腕を組んだ。
「ギルドカードは魂と紐付けられている。偽造は不可能だ。お前が500階層へ到達したのは、事実だ」
彼は続けた。
「だが、他の連中は信じない。500階層なんて、誰も到達したことがない」
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ガレスは静かに話し始めた。
「人類史上最高記録は、450階層。20年前、たった一人だけだ」
私は黙って聞いていた。
「その冒険者は……記録を証明した直後に消えた」
「消えた?」
「ああ。殺されたとも、自ら姿を消したとも言われている。真相は不明だ」
ガレスは私を見た。
「だが、500階層の記録を持つ者は、危険だ。お前も標的になる可能性がある」
彼は忠告した。
「この街で生きていくなら、目立つな。記録を見せびらかすな」
そして、彼は続けた。
「そして……信用できる仲間を見つけろ。一人では生き残れない」
「……わかった」
私は頷いた。
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アビス本部を出ると、夕方になっていた。
ミラが心配そうに尋ねてくる。
「セリアさん、大丈夫ですか?」
「ああ」
私たちは街を歩いた。
夕暮れのルミナス。街灯が灯り始め、温かな光が街を照らしている。
私は考えていた。
450階層の冒険者が消えた。
500階層の私は、危険視されている。
なぜ、私は生きているのだろう。
そして、なぜ記憶がないのだろう。
ミラが隣を歩いている。
心配そうな表情。優しい目。
「……信用できる仲間」
ガレスの言葉が、頭に残っている。
私はミラを見た。
彼女は、味方だ。
だが、他には誰がいるのだろう。
この街に、私を知る者がいるはずだ。
2年前の私を。
消息を絶つ前の私を。
答えは、この街のどこかにある。
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