第75話 誓いの刻
葬儀が終わった。
小さな葬儀だった。アシュを知る者は少なかった。孤児院から誰か来るかと思ったが、来なかった。連絡が届かなかったのか、それとも——。
墓は、アビスの共同墓地に作られた。深層で命を落とした冒険者たちが眠る場所。石碑には、アシュの名前と年齢だけが刻まれている。
アシュ・エルウィン
享年16歳
それだけ。
セリアは墓の前に立っていた。一人で。ミラもゼノも、先に帰っていた。
風が吹いている。木々が揺れる。鳥が鳴いている。
平和な光景。
だが、セリアの心は平和ではなかった。
「……アシュ」
セリアは呟いた。
「なぜ、一人で行った」
答えは返ってこない。
「なぜ、誰にも言わなかった」
風が答える代わりに、木の葉を揺らした。
セリアは墓石に手を置いた。冷たい石。
「……約束、守れなかった」
生きて帰ってくる、と。そう約束したのに。
「すまない」
セリアは目を閉じた。
脳裏に、アシュの笑顔が浮かぶ。あの宴の日の笑顔。「体調が良くなりました」と言った時の笑顔。
あれは——嘘だったのか。
いや、違う。
アシュは、嘘をついていた。だが、セリアは気づいていた。気づいていたのに、止めなかった。
「……私の、せいだ」
セリアは呟いた。
もっと強く止めるべきだった。もっと深く、アシュの心に踏み込むべきだった。
だが、しなかった。
セリアは、自分の目的に夢中だった。記憶を取り戻すこと。500階層へ到達すること。それだけを考えていた。
アシュのことは——二の次だった。
「……すまない」
もう一度、謝った。
だが、謝っても——アシュは戻ってこない。
セリアは墓石から手を離した。
そして——決意した。
「……剣とは、何なのか」
セリアは呟いた。
「なぜ、人を深層へ誘うのか」
「なぜ、アシュは死ななければならなかったのか」
「……その答えを、見つける」
セリアは空を見上げた。青い空。白い雲。
「500階層へ行く。それだけじゃない」
セリアは拳を握った。
「剣の真実を知る。この世界の真実を知る」
「そして——」
セリアは墓を見た。
「二度と、こんなことが起きないようにする」
風が、セリアの髪を揺らした。
セリアは踵を返した。
墓地を出る。街へ戻る。
アビスへ。
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アビスの受付に、ミラがいた。
彼女は泣き腫らした目をしていた。だが、笑顔を作ろうとしていた。
「……セリア」
「……ミラ」
「装備の補充?」
「……ああ」
ミラは記録を取った。その手が、わずかに震えている。
「治療薬30本、携行食、水筒の補充ね」
「……ああ」
「いつ出発するの?」
「……明日」
ミラの手が止まった。
「……明日? もう?」
「……ああ」
「でも、アシュの——」
「だからだ」
セリアは静かに答えた。
「アシュが死んだ。だから、行く」
「……」
ミラは何も言えなかった。ただ、セリアを見つめていた。
「剣とは何なのか。なぜ人を殺すのか。その答えを見つける」
「……セリア」
ミラは声を震わせた。
「無理しないで」
「……しない」
「嘘」
ミラの声が強くなった。
「あなた、絶対無理する」
「……」
「アシュのことを、自分のせいだと思ってるでしょう」
セリアは答えなかった。だが、その沈黙が答えだった。
「違うのよ」
ミラはカウンターから身を乗り出した。
「アシュが選んだの。一人で深層へ行くことを」
「……」
「あなたのせいじゃない」
「……分かっている」
セリアは答えた。
「頭では、分かっている」
「……」
「でも、心が納得しない」
セリアは拳を握った。
「だから、行く。答えを見つけに」
ミラは——何も言えなかった。
ただ、小さく頷いた。
「……分かった」
「……すまない」
「謝らないで」
ミラは微笑もうとした。だが、笑顔は崩れた。
「ただ——帰ってきて」
「……約束する」
「本当に?」
「……本当だ」
セリアは真っ直ぐミラを見た。
「必ず、帰ってくる」
ミラは涙を拭った。
「……待ってる」
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その夜、セリアは自室で剣を磨いていた。
空虚の剣。漆黒の刃。何も宿っていない剣。
布で拭く。刃を確認する。欠けはない。錆もない。完璧な状態。
だが——。
「……なぜ、お前は囁かないのか」
セリアは剣に問いかけた。声には出さない。心の中で。
『……』
答えはない。
「他の剣は、皆囁く。持ち主を深層へ誘う。だが、お前は違う」
『……』
「なぜだ」
『……』
沈黙。
セリアは剣を鞘に戻した。
「……明日、また潜る」
セリアは窓の外を見た。夜空。星が瞬いている。
「205階層から。ゼノと共に」
「そして——もっと深く」
「答えを見つけるまで」
セリアはベッドに横になった。
目を閉じる。
だが——眠れない。
脳裏に、アシュの顔が浮かぶ。医療室のベッドに横たわる、冷たくなったアシュの顔。
「……すまない」
セリアは呟いた。
「すまない、アシュ」
涙が、また溢れた。
セリアは、声を殺して泣いた。
一人で。
誰にも聞かれないように。
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翌朝。
セリアはアビスの地下ホールに立っていた。
ゼノも来ていた。彼の顔にも、疲労の色が濃い。
「……準備はいいか」
ゼノが問うた。
「……ああ」
セリアは頷いた。装備を確認する。空虚の剣、治療薬30本、水筒、携行食。
ゼノも準備を整えていた。
「205階層へ」
職員に告げる。職員は頷き、装置を操作した。
光が二人を包み込む。
視界が白く染まる。
次の瞬間、二人は205階層に立っていた。
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205階層は、暗い洞窟だった。
天井が低く、壁は湿っている。青白い光を放つ苔が、わずかに空間を照らしている。
「……行くぞ」
ゼノが言った。
「……ああ」
二人は先へ進んだ。
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206階層、207階層、208階層。
モンスターとの戦闘が続いた。Aランク、Sランク。どれも強敵だった。
だが、セリアは——いつもと違った。
動きが鋭い。速い。正確。
まるで、怒りが力になっているかのように。
ゼノも気づいていた。
「……セリア」
戦闘の合間に、ゼノが声をかけた。
「……何だ」
「無理するな」
「……していない」
「嘘だ」
ゼノは真剣な顔で言った。
「お前、怒りに任せて戦ってる」
「……」
「それは危険だ」
「……分かっている」
セリアは答えた。
「でも、止められない」
「……」
「アシュが死んだ。剣に殺された」
セリアは拳を握った。
「なぜ、剣は人を殺すのか。その答えが欲しい」
「……セリア」
「だから、進む」
セリアは前を向いた。
「もっと深く」
「答えが見つかるまで」
ゼノは——何も言えなかった。
ただ、小さく溜息をついた。
「……分かった」
「……すまない」
「謝るな」
ゼノは剣を構え直した。
「俺も、同じ気持ちだ」
「……」
「アシュは、俺の仲間でもあった」
ゼノの声には、静かな怒りがあった。
「だから、一緒に行く」
「答えを見つけるまで」
セリアは頷いた。
「……ありがとう」
「礼はいらない」
ゼノは前を向いた。
「行くぞ」
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210階層。
広大な空間。天井が見えない。壁も遠い。
そして——中央に、巨大なモンスターがいた。
ドラゴン。Aランク。
体長30メートル。漆黒の鱗。四本の脚、二枚の翼、長い尾。頭部には五本の角。
ドラゴンは、セリアとゼノを見た。
その瞳には、知性の光があった。
「……また、か」
ドラゴンが喋った。
低く、重く、威圧的な声。
「人間が、また来たか」
「……」
セリアは剣を抜いた。
「お前たちは、何を求めてここへ来る」
ドラゴンが問うた。
「力か。富か。それとも——真実か」
「……真実だ」
セリアは答えた。
「剣の真実を知りたい」
ドラゴンの目が、わずかに見開かれた。
「……剣の真実、か」
「……ああ」
「ならば——」
ドラゴンが立ち上がった。
「我を倒してから行け」
「我を倒せぬ者に、真実を知る資格はない」
ドラゴンが咆哮した。
空気が震える。
セリアとゼノは剣を構えた。
戦いが、始まった。
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30分が経過した。
ドラゴンは、まだ立っていた。
傷だらけだが、まだ戦える。
セリアとゼノも、傷だらけだった。
治療薬を何本も消費した。疲労が限界に近い。
だが——止まらない。
セリアは走った。ドラゴンに向かって。
剣を振るう。ドラゴンの脚を斬る。
ドラゴンが尾を振るう。セリアを叩こうとする。
セリアは跳んだ。尾を避ける。
そして——ドラゴンの背中に飛び乗った。
剣を突き立てる。首の付け根に。
ドラゴンが悲鳴を上げた。
ゼノが前から攻撃した。大剣を振り上げる。ドラゴンの顎を狙う。
刃が食い込んだ。
ドラゴンが膝をついた。
セリアは剣をさらに深く押し込んだ。
全身の力を込めて。
ドラゴンの動きが止まった。
そして——倒れた。
静寂。
セリアは地面に降りた。息が上がっている。
ゼノも膝をついていた。
「……勝ったのか」
「……ああ」
セリアは治療薬を飲んだ。残り——20本。
ドラゴンの身体が、光り始めた。
淡い光。そして——消えた。
何も残らなかった。
ただ、床に——何かが落ちていた。
石板。
黒い石板。表面には古代文字が刻まれている。
セリアは石板を拾った。
「……これは」
ゼノも近づいてきた。
「読めるか?」
「……いや」
セリアは石板を見つめた。
文字は複雑で、読めない。
だが——何かが書かれている。
重要な何かが。
「……持って帰るか」
ゼノが提案した。
「……いや」
セリアは首を横に振った。
「もっと先へ行く」
「セリア——」
「答えは、もっと深くにある」
セリアは前を向いた。
「210階層じゃ、足りない」
「……」
「もっと深く」
セリアは歩き出した。
次の階層へ。
ゼノは——従った。
「……分かった」
二人は、さらに深層へと進んでいった。




