第52話 孤独な道
167階層への階段。
一歩、また一歩。
石段が、私の足音だけを響かせる。
誰もいない。
ゼノもいない。アシュもいない。ダリウスも——もういない。
私は、一人だ。
階段を降りきると、狭い通路が広がっていた。天井が低い。壁が近い。圧迫感が、空気を重くしている。
でも——私の身体は、全てを知っていた。
この通路の先にある広間。そこに潜むオーガ。罠の位置。最適な進路。
頭で考えるより先に、足が動く。
記憶はない。
でも、身体が覚えている。
それが——私だった。
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オーガが、三体。
広間の奥から、こちらへ歩いてくる。体長3メートルを超える巨体。筋肉の塊。手には棍棒。小さな目が、私を捉えて——咆哮。
私は、剣を抜いた。
何も考えない。
身体が、勝手に動く。
最初のオーガへ駆ける。棍棒が振り下ろされる。私は横へ跳ぶ。棍棒が地面を砕く。その隙に、オーガの脇腹を斬る。
血飛沫。
オーガの咆哮。
二体目が、背後から襲いかかる。私は振り返らずに剣を後ろへ突き出す。オーガの腹に刺さる。引き抜く。回転して、首を斬る。
三体目。
棍棒が横から薙ぐ。私は地面に伏せる。棍棒が頭上を通過する。立ち上がりざまに、オーガの膝を斬る。オーガが倒れる。とどめを刺す。
戦闘終了。
三体のオーガが、倒れている。
私は——何も感じなかった。
達成感も。疲労感も。
ただ——空虚だった。
機械的に、倒しただけ。
それだけだった。
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168階層。
トロール、二体。
オーガよりも大きい。体長4メートル近い。醜い顔。巨大な棍棒。
私は、無言で戦った。
身体が動く。剣が動く。
最初のトロールを倒す。
二体目へ向かう。
その時——
ダリウスの顔が、脳裏をよぎった。
血を吐く顔。
虚ろな目。
そして——
「すまん……」
その声。
一瞬、動きが止まった。
トロールの棍棒が、横から迫る。
「——っ!」
我に返る。身体を捻る。でも——間に合わない。
棍棒が、肩を掠めた。
鈍い衝撃。痛み。
私は地面を転がる。すぐに立ち上がる。肩から血が流れている。浅い。でも——痛い。
トロールが、再び棍棒を振り上げる。
私は、その隙に踏み込んだ。剣がトロールの喉を貫く。
トロールが倒れる。
私は——肩を押さえた。
「……集中しろ」
自分に言い聞かせる。
でも——ダリウスの顔が、消えない。
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169階層。
バジリスク。
巨大な蛇。石化の目を持つ。
私は、目を合わせなかった。
身体が知っている。この敵の倒し方を。
バジリスクの動きを読む。首の動きを予測する。目を避けながら、側面へ回り込む。
剣が、バジリスクの鱗を斬り裂く。
何度も。何度も。
バジリスクが絶命する。
私は——疲労を感じた。
肩の傷が疼く。呼吸が荒い。
「……疲れた」
その言葉が、自然と口をついた。
一人での戦闘。
それは——思っていたよりも、重い。
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170階層。
広めの空間。天井が高い。壁が遠い。
休憩ポイント、だろう。
私は、床に座り込んだ。
剣を横に置く。肩の傷を確認する。浅い。でも、血が滲んでいる。
包帯を巻く。治療薬を塗る。
痛みが、少し和らぐ。
周りを見渡す。
誰もいない。
当然だ。
私は、一人で来たのだから。
焚き火を起こす。薪は持参したもの。火打ち石で火をつける。
炎が、揺れる。
赤く。温かく。
私は、その炎を見つめた。
「……私は、なぜ進んでいるのか?」
声に出して、問う。
答えは——返ってこない。
ダリウスの言葉が、蘇る。
「先へ……進んでくれ……」
それは——彼の意思だったのか?
剣に支配されていた彼が、最期だけ正気に戻った。
あれは——本物の彼だったのか?
それとも——
わからない。
何もかもが、わからない。
私は、剣を手に取った。
空虚の剣。
「……お前は、何も言わない」
静かに呟く。
「他の剣は、皆に語りかける。前の持ち主の記憶を伝える。囁きかける」
「でも、お前は沈黙している」
剣は——答えない。
当然だ。
この剣には、何も宿っていない。
「それが——私の運命なのか?」
孤独。
ゼノが言った言葉。
「お前の強さは、時々……孤独に見える」
そうなのかもしれない。
私は——孤独だ。
剣は喋らない。仲間の記憶はない。
ダリウスは死んだ。ゼノは地上で治療中。アシュは——どこかで、自分の限界と戦っている。
そして、私は——ここにいる。
一人で。
でも。
「……進むしかない」
その言葉を、炎に向かって呟いた。
進むしかない。
それが——私の道だから。
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炎が、揺れている。
その光の中で——記憶が蘇った。
リオンの顔。
黒髪。左頬から顎にかけての傷。筋骨隆々の身体。
彼が、笑っている。
「ここで休憩しよう」
そう言って、焚き火を起こす。
私は——その横に座っている。
温かい。
リオンの存在が、温かい。
でも——
その記憶が、揺らいだ。
「……ここで?」
私は、周囲を見渡す。
170階層。この場所。
本当に、ここで休憩したのか?
それとも——別の場所?
記憶が、曖昧だ。
身体は覚えている。この階層を。この場所を。
でも——記憶が追いつかない。
「……私の記憶は、どこまで本当なんだ?」
頭を抱える。
混乱。
不安。
何が真実で、何が嘘なのか。
わからない。
「……やめろ」
自分に言い聞かせる。
「今は、考えるな」
焚き火を消す。
立ち上がる。
剣を握る。
「……進むしかない」
もう一度、その言葉を口にした。
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171階層への階段。
暗い。長い。
私は、降りる前に振り返った。
誰もいない。
170階層の広間が、静かに広がっている。
「……一人だ」
呟く。
でも——
「それでいい」
自分に言い聞かせる。
一人で進む。
それが、私の道。
それが——空虚の剣を持つ者の、運命。
私は、階段を降り始めた。
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171階層。
通路が、広がっていた。
天井が高い。壁が遠い。床が平坦。
そして——
重い足音が、聞こえた。
ドン。ドン。ドン。
規則的な音。
何かが、近づいてくる。
私は、剣を構えた。
暗闇の奥から——
巨大な影が、現れた。
鋼鉄の身体。
体高4メートル。
人型。
でも——顔がない。
のっぺらぼう。
両手に、巨大なハンマー。
それぞれが、人間大。
アイアンゴーレム。
Bランク。
ゴーレムが——私を見た。
顔はないのに、私を見ている。
そして——
咆哮。
金属の軋むような、耳を劈く音。
ハンマーが、振り上げられる。
私は——身構えた。
一人で。
この敵と。
戦う。




