第52話 訃報と決意
朝。
窓の外が、白んでいく。
私は——一睡もしていなかった。
ベッドに座ったまま、夜を明かした。剣を膝の上に置いて。ただ、窓の外を見つめて。
何も考えなかった。
いや——考えようとしなかった。
考えれば、ダリウスの顔が浮かぶ。血を吐く顔。虚ろな目。そして、最期に正気に戻った——あの目。
手の震えは、少し落ち着いていた。まだ微かに震えるが、昨夜ほどではない。
「……今日も、潜るのか?」
自分に問いかける。
答えは——出なかった。
でも、ここにいても何も変わらない。部屋に閉じこもっていても、何も解決しない。
私は、剣を手に取った。
空虚の剣。相変わらず、何も語らない。
服を着る。血の染みを洗い流した服。まだ微かに赤みが残っている。
ギルドへ——行こう。
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ギルドは、いつもより騒がしかった。
入り口を入った瞬間、異様な空気を感じた。冒険者たちが集まって、何かを話している。声が重なり合って、ざわめきが満ちている。
私は、人混みをすり抜けて掲示板へ向かった。
そこに——張り紙があった。
黒い枠で囲まれた、白い紙。
**【訃報】**
**ダリウス・クロウフォード(32歳)**
**166階層にて死亡**
**死因:剣の支配による暴走**
**共に潜行していた仲間の証言により、剣に完全に支配され、正気を失った後、やむを得ず討伐されたことが判明。深層への挑戦における剣の支配の危険性を改めて認識し、各冒険者は十分に注意されたし。**
**アビスオーダー管理局**
私は——その紙を、じっと見つめた。
「剣の支配による暴走」
「やむを得ず討伐」
エミリアたちが、報告したのだ。真実を。
周りの冒険者たちの声が、聞こえてくる。
「ダリウスが死んだのか……あいつ、強かったのに……」
「剣に支配されたって……怖いな」
「俺たちも、いつかは……」
「深層は、やっぱり危険すぎる」
恐怖。動揺。不安。
それらが、ギルド中に広がっている。
「……お前」
声が、背後から響いた。
振り返ると——見知らぬ冒険者が、私を見ていた。30代ぐらいの男。傷だらけの顔。
「お前……一緒にいたんだろ? ダリウスと」
私は——答えなかった。
男の目が、鋭くなる。
「お前が……殺したのか?」
周囲の視線が、一斉に私へ向いた。
ざわめきが、止まる。
静寂。
重い、沈黙。
私は——その視線を受け止めた。
恐怖。非難。同情。疑念。
全てが、混ざり合った視線。
私は、何も言わずに——ギルドを出た。
背後から、ざわめきが再び起こる。
「やっぱり、あいつが……」
「でも、仕方なかったんだろ?」
「それでも……人を殺したんだぞ」
私は——振り返らなかった。
ただ、前を向いて歩いた。
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ギルドの食堂。
別棟にある、静かな場所。冒険者たちが朝食を取る場所だが、今日は人が少ない。皆、訃報に動揺しているのだろう。
ミラが、窓際の席で待っていた。
「セリア、こっち」
彼女が、手を振る。
私は、彼女の前に座った。
テーブルには、パンとスープが置かれている。ミラが用意してくれたのだろう。
「昨日は、ごめんなさい」
ミラが、小さく言った。
「いきなり抱きしめて。驚いたでしょう?」
「……いや」
私は、短く答えた。
「ありがとう」
ミラが、微笑んだ。でも、その笑顔は少し悲しげだ。
「ギルド、騒がしいわね」
「……ああ」
「ダリウスさんのこと……」
ミラが、私を見た。
「あなたが?」
私は——沈黙した。
数秒の後。
「……ああ」
ミラは、何も言わなかった。ただ、テーブル越しに手を伸ばして——私の手を握った。
温かい。
「……正しかったのか、まだわからない」
私の声が、掠れた。
ミラが、優しく微笑む。
「正しいかどうかなんて、誰にもわからないわ」
その声が、静かに響く。
「世界は、白と黒だけじゃない。灰色ばかりよ」
「でも、あなたは生きている。それだけで、十分よ」
「……そうだろうか」
「ええ」
ミラが、私の手を強く握る。
「あなたは、生きている。それが、何よりも大切」
私は——彼女の目を見た。
優しい目。温かい目。
救われる、ような気がした。
「……今日も、潜るの?」
ミラが、静かに問う。
私は——答えに詰まった。
長い沈黙。
「……わからない」
その言葉が、口をついた。
ミラが、少し驚いた表情を見せた。
「あなたが『わからない』だなんて……珍しいわ」
「……迷っている」
私は、正直に告白した。
「進むべきか。それとも……」
ミラは、黙って私の手を握り続けた。
「無理しなくていいのよ」
その声が、優しく包み込む。
「あなたは、十分頑張ってる」
私は——答えられなかった。
スープが、冷めていく。
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医療室。
白い壁。消毒液の匂い。静かな空間。
ゼノが、ベッドに横たわっていた。
顔色は、昨日よりも良い。包帯も新しいものに替えられている。
「……調子はどうだ?」
私が問うと、ゼノは小さく笑った。
「まあまあだ。医者が言うには、数日で動けるようになるらしい」
「……そうか」
私は、ベッドの脇の椅子に座った。
ゼノが、私を見た。
「お前、今日も潜るのか?」
「……わからない」
ゼノの目が、驚きに見開かれた。
「お前が『わからない』だと?」
彼の声に、本当に驚いている様子が滲んでいる。
私は、窓の外を見た。曇り空。灰色の雲が、厚く垂れ込めている。
「……迷っている」
その言葉が、重い。
「進むべきか。それとも——」
ゼノが、静かに息を吐いた。
「……それでいい」
その声が、優しく響く。
「迷うことは、悪いことじゃない」
私は、彼を見た。
ゼノが、天井を見つめながら続ける。
「お前は、ずっと迷わずに進んできた。でも、迷う時があってもいい」
「……でも」
「焦るな」
ゼノが、私を見た。
「少し休め。お前は、疲れてる」
疲れている。
確かに——そうかもしれない。
「……考えてみる」
私は、小さく答えた。
ゼノが、微笑んだ。
「それでいい」
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転移広場。
青白い光が、床を照らしている。転移装置が、静かに稼働している。
私は、その前に立っていた。
手に、転移石を握っている。166階層へ転移するための石。
「……進むのか?」
自問する。
周りの冒険者たちが、私を遠巻きに見ている。
囁き声が、聞こえてくる。
「あれが……ダリウスを殺した……」
「でも、仕方なかったんだろ?」
「それでも……怖いな」
視線が、刺さる。
でも——
私は、前を向いた。
「進むしかない」
心の中で、呟く。
ダリウスの最期の言葉が、蘇る。
「先へ……進んでくれ……」
それは——命令ではない。
願い、だったのかもしれない。
私は、転移石を握りしめた。
でも——
足が、動かない。
転移装置の前に立っているのに、あと一歩が踏み出せない。
「……なぜだ」
自分の弱さに、戸惑う。
いつもなら、迷わない。進むと決めたら、進む。
でも、今は——
「セリアさん……」
声が、聞こえた気がした。
アシュの声?
幻聴?
「お前は、進める」
リオンの声も、聞こえた気がした。
記憶? それとも——
私は、目を閉じた。
深呼吸。
そして——
「……進む」
その言葉を、口にした。
足が、動いた。
転移石を、装置にかざす。
光が、私を包んだ。
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166階層。
ボス部屋。
転移の光が消える。
私は——その場所に立っていた。
床に、黒い跡が残っている。
乾いた血。
ダリウスの血。
私は、その場所を見つめた。
彼が倒れた場所。
彼が、最期に私を見た場所。
「……すまない、ダリウス」
私は、小さく呟いた。
初めて——死者に謝罪した。
「お前の言う通り、先へ進む」
剣を抜く。
「それが……お前への答えだ」
167階層への階段が、奥に見える。
私は——歩き出した。
足取りは重い。
でも——止まらない。




