表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/114

第47話 160階層――記憶の欠片


 155階層から先へ進む。


 156階層は、これまでとは異なる様相を呈していた。通路が複雑に入り組み、まるで迷路のように分岐している。壁は黒い石で覆われ、青白い光が僅かに道を照らしているだけだった。


「確か……この先に罠があったはずだが」


 ゼノが呟く。彼の声には、僅かな迷いが混じっていた。


「……?」


「いや、2年前の記憶だからな。細かいところが曖昧になってきてる」


 彼は苦笑する。


 剣の知識――前の持ち主の記憶も、完璧ではない。時間が経てば薄れていく。人間の記憶と同じように、剣の記憶も風化する。


 私たちは慎重に進む。ゼノが「このあたり」と指差した場所を避けながら、一歩ずつ足を進めていく。モンスターが現れるたびに、私たちは剣を交える。ゼノの大剣が空気を切り裂き、私の黒い刃が闇を裂く。


 157階層。158階層。


 階層を降りるごとに、空気が重くなっていく。まるで、何か巨大な存在が私たちを見下ろしているような、そんな圧迫感があった。


-----


 158階層は、罠地帯だった。


 床、壁、天井――あらゆる場所に罠が仕掛けられている。圧力板、トリップワイヤー、魔法陣のような発光する円形の模様。魔法は存在しないが、この世界には罠を動かす古代の技術があった。


「このあたりに罠があったはずだ」


 ゼノが慎重に周囲を見回す。だが、彼の視線は定まらない。


「確か……左の壁だったか? いや、右か?」


 彼の記憶が曖昧になっている。


 私は黙って前に出る。


 そして――身体が勝手に動いた。


 意識する前に、右足が半歩ずれる。次の瞬間、私がいた場所の床が開き、鋭い杭が突き出てくる。私は既にその場所から離れていた。


「……!」


 ゼノが驚いた声を上げる。


「セリア、今の……」


「……わからない」


 私は自分の足を見る。なぜ避けられた? 罠が見えたわけではない。音が聞こえたわけでもない。ただ、身体が勝手に動いた。


 私たちはさらに進む。


 罠が次々と現れる。床が崩れ、壁から矢が飛び、天井から刃が降ってくる。だが、私の身体はそのすべてを避けていた。


 見えていないのに、避けられる。


 考えていないのに、最適なルートを選んでいる。


 これは何だ?


「お前、本当に見えてるのか?」


 ゼノが問う。彼の声には、困惑と畏怖が混じっていた。


「……見えてない」


「じゃあ、どうして?」


「……身体が勝手に」


 私はそう答えるしかなかった。


 ゼノは何も言わず、ただ私の後ろをついてくる。彼の剣の知識よりも、私の身体記憶の方が正確だった。それは、紛れもない事実だった。


-----


 159階層を抜け、私たちは160階層へと降り立った。


 そこは――広間だった。


 円形の空間に、薄暗い光が満ちている。天井は高く、壁には古代文字が刻まれていた。床は平らで、中央には何もない。ただ、静寂だけが支配している。


 私は広間に足を踏み入れる。


 その瞬間――視界が歪んだ。


 記憶が、フラッシュバックする。


-----


 炎の温もり。


 焚き火が、闇を照らしていた。


 誰かの笑い声。複数の人間の気配。


「ここで休憩しよう」


 リオンの声。


 彼の大きな背中が見える。焚き火の向こうに、他の人影がある。何人か――三人、いや四人? 彼らの顔は見えない。霞んでいる。でも、確かにそこにいた。


「セリア、疲れただろう?」


 リオンが振り返る。彼の顔に笑みがあった。左頬から顎にかけての傷跡が、炎に照らされて浮かび上がる。


「……大丈夫」


 私は答える。自分の声が聞こえる。若い、幼い声。


「無理するな。お前はまだ――」


 記憶が途切れる。


-----


 視界が戻る。


 私は広間の中央に立っていた。ゼノが心配そうに私を見ている。


「セリア? どうした?」


「……」


 私は答えられない。今の記憶は何だ? 夢か? それとも――本当の記憶か?


 私の足が、無意識に動く。


 広間の端、壁際の特定の場所へ向かう。そこに何があるのか、わからない。だが、身体が知っている。


 その場所に――あった。


 薄らと、床に焦げた跡。


 焚き火の痕跡。


 古いものだ。いつのものかわからない。でも、確かに人工的な跡だった。誰かがここで火を焚いた。休憩した。


「……これは」


 ゼノが私の隣に来る。


「焚き火の跡だな。誰かがここで休んだんだろう」


 彼は周囲を見回す。


「お前、ここに来たことがあるのか?」


「……わからない」


 私は焦げた跡を見つめる。


「でも、身体が覚えている」


「身体が……」


 ゼノは何かを考えるように黙り込む。そして、深く息を吐いた。


「お前の秘密、いずれ知ることになるんだろうな」


 彼の声は静かだった。責めるような調子ではない。ただ、事実を受け入れているような、そんな響きだった。


「……すまない」


「謝るな」


 ゼノが笑う。


「誰にだって、秘密はある。俺だってそうだ。お前が話したくないなら、無理に聞かない」


 彼は腰を下ろす。


「ここで少し休むか。次の階層に進む前に、体力を回復しておこう」


「……ああ」


 私も壁に背を預ける。


 焚き火の跡が、視界の端に入る。誰かがここにいた。そして、その誰かは――もしかしたら、私なのかもしれない。


 だが、記憶がない。


 頭では思い出せない。身体だけが覚えている。


 それは、あまりにも奇妙で、あまりにも恐ろしいことだった。


-----


 私はゼノの隣で目を閉じる。


 闇の中で、記憶の断片が浮かんでは消える。


 リオンの声。


 炎の温もり。


 誰かの笑い声。


 それらはすべて、霞んでいる。まるで、遠い夢のように。


「……誰だ」


 私は呟く。


「あの時、一緒にいたのは誰だ」


 答えは返ってこない。


 ただ、静寂だけがある。


 ゼノの穏やかな呼吸が聞こえる。彼は目を閉じて、休息を取っていた。


 私も目を閉じる。


 身体の疲労が、じわりと染み出してくる。戦闘の連続で、筋肉が悲鳴を上げていた。でも、まだ進める。まだ、諦めるわけにはいかない。


 なぜ?


 なぜ、私は進むのか?


 記憶を取り戻すため?


 それとも、別の理由があるのか?


 答えは見えない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 私の身体は、この道を知っている。そして――いずれ、真実にたどり着くだろう。


-----


 どれくらい時間が経ったのか、わからない。


 ゼノが立ち上がる音で、私は目を開ける。


「行くか」


 彼が言う。


「……ああ」


 私も立ち上がる。


 焚き火の跡を、もう一度見る。薄らと残る焦げた跡が、私に何かを語りかけているような気がした。でも、その声は聞こえない。


 私たちは広間を後にする。


 161階層への階段が、闇の中で口を開けていた。


 私はその闇を見つめる。


 そして――一歩、足を踏み出した。


 身体が覚えている道を、進むために。


 失われた記憶を、取り戻すために。


 いや、違う。


 本当の理由は、まだわからない。


 だが、進まなければならない。それだけは確かだった。


 ゼノが私の後ろをついてくる。彼の足音が、静寂を破る。


「セリア」


 彼が呼ぶ。


「なんだ?」


「お前が何を抱えているのか、俺は知らない。でも、一つだけ言っておく」


 ゼノは私の肩に手を置く。


「お前は一人じゃない」


 その言葉が、心の奥に染み渡る。


 リオンも、同じことを言っていた。


 「一人じゃない」


 でも、私は今、一人だ。記憶の中の仲間は、もういない。リオンも、他の三人も――どこにいるのかわからない。


 ただ、ゼノがいる。


 今、この瞬間、隣にいる。


「……ありがとう」


 私は短く答える。


 ゼノが笑う。


「らしくないな、礼を言うなんて」


「……」


「まあいい。行こう」


 私たちは161階層への階段を降り始めた。


 闇が、私たちを飲み込んでいく。


 でも、恐怖はない。


 ただ、前へ進むだけだ。


 身体が覚えている道を。


 失われた記憶の先を。


 そして――いつか、真実へと辿り着くために。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽しんでいただけましたら、 感想・ブックマーク・アクションをしていただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ