第34話 105階層
通路が、続いていた。
101階層の奥へ、さらに奥へ。足音が石畳に響く。カツン、カツン……規則的なリズムが、暗闇に吸い込まれていく。
壁には、古代文字。
読めない文字が、延々と刻まれている。幾何学的な模様と、曲線と、直線。それらが複雑に絡み合って、壁を覆い尽くしている。
淡く光る苔が、唯一の光源だった。
緑色の、儚い光。まるで蛍のように、静かに明滅している。その光が、通路を幻想的に照らし出す。
水滴が落ちる音。
ポタ、ポタ……
遠くから、規則的に。時を刻むように。
「……まだ、続く」
呟いた声が、空間に溶けていく。
通路は、少しずつ広くなっていた。最初は5メートルほどだった幅が、今では7メートルほどになっている。天井も、少し高くなった気がする。
そして——
奥に、階段が見えた。
下へと続く、石造りの階段。
102階層への、入口。
「……次だ」
私は、階段を下り始めた。
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一段、また一段。
足音が、階段に響く。カツン、カツン……音が下方へ落ちていく。
50段ほど下りたところで——
空気が、変わった。
乾燥している。
101階層の湿った空気とは対照的だ。喉がカラカラになる。息を吸うたびに、乾いた空気が喉を刺す。
階段の終わり。
102階層。
「……暗い」
呟く。
101階層よりも、さらに暗い。壁の苔が少ない。緑色の光が、ほとんどない。松明の光だけが頼りだった。
砂埃が舞っている。
足を踏み出すたびに、砂が舞い上がる。サラサラと音を立てる。それが、靴に絡みつく。
通路を進む。
重力1.5倍が、じわじわと身体に効いてくる。足が重い。一歩ごとに、地面に引きずり込まれそうになる。
遠くから——
足音。
ドシン、ドシン……
重い。地を揺らすような足音。
現れたのは——トロールだった。
体高4メートル。灰色の肌。筋肉の塊。右手に、巨大な棍棒。丸太のような、ぶっとい棍棒。
赤い目が、私を捉えた。
グルルル……
低い唸り声。
そして——
突進。
ドドド……
地面が揺れる。
私は、横へ跳んだ。
トロールの棍棒が、振り下ろされる。
ドガァン——
石畳が砕ける。破片が飛び散る。
私は、すぐに動いた。
低い姿勢で、トロールの懐へ。
膝を狙って、剣を振るう。
ザシュ——
刃が、腱を断つ。
トロールがバランスを崩す。
ドシン——
膝をつく。
私は、首を狙った。
全力の一撃。
ザシュゥ——
首が、断たれる。
トロールが倒れる。
ドォン……
地面が揺れた。
「……慣れてきた」
呟く。
Cランクモンスター。もう、脅威ではない。身体が、完璧に動く。
さらに進む。
通路の奥に、また階段があった。
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103階層。
階段を下りると——圧迫感が、襲ってきた。
「……っ」
天井が、低い。
見上げると、8メートルほど上方に石の天井がある。102階層よりも、明らかに低い。
通路も、狭い。
幅は4メートルほど。壁が、迫ってくるような感覚。
呼吸が、苦しい。
空気が重い。湿度が高く、喉に絡みつく。ゴクリと唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。
足音。
でも——人間の足音ではない。
ズルズルと、地面を這う音。
現れたのは——バジリスクだった。
大蛇。
体長8メートル。鱗が光を反射している。緑色の、毒々しい鱗。
そして——
目。
黄色い目が、私を見た。
その瞬間——
身体が、硬直した。
「……っ、石化か」
足が、動かない。
石になっていく感覚。足先から、じわじわと。
バジリスクが、口を開く。
鋭い牙。毒を持つ牙。
迫ってくる。
私は——目を閉じた。
視覚を遮断する。
身体が、少し動くようになった。
バジリスクの気配を感じる。
風が動く。
今だ。
目を開けず——剣を振るう。
ザシュ——
何かに当たる感触。
バジリスクの悲鳴。
シャアアアッ——
目を開ける。
バジリスクの目が、潰れていた。
血が流れている。
もう、石化の能力は使えない。
私は、首を狙った。
剣を振り下ろす。
ザシュゥゥ——
首が、断たれる。
バジリスクの身体が、地面に崩れ落ちる。
ズシャァ……
静寂が、戻った。
でも——足先が、まだ硬い。
石化の影響が、残っている。
ポーチから、治療薬を取り出した。
赤い液体。
栓を抜く。ポンッ——
一気に飲み干す。
ゴクゴク……
すぐに——足先の感覚が戻った。
石化が、解ける。
「……厄介だった」
呟いて、前に進む。
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104階層。
階段を下りると——迷路だった。
通路が、複雑に入り組んでいる。右へ、左へ、また右へ。分岐が無数にある。
普通なら、迷う。
でも——
「……ここも、通った」
身体が、覚えている。
足が、勝手に動く。迷わず、正解の道を選ぶ。記憶はないのに、身体は知っている。
それが——不思議だった。
2年前、確かに私はここを通った。何度も、何度も。だから、身体が覚えている。
遠くから——
羽ばたきの音。
バサッ、バサッ……
重い音。
空気を叩く音。
現れたのは——レッサードラゴンだった。
2体。
小型のドラゴン。体長3メートル。赤い鱗。翼が生えている。
口から——炎が溢れている。
ゴォォ……
熱気が、伝わってくる。
2体が、同時に炎を吐いた。
ゴォォォォッ——
炎の奔流。
私は、壁に身を隠した。
炎が、通路を埋め尽くす。
熱波が、肌を焼く。ジリジリと、髪が焦げる匂い。
炎が止む。
煙が立ち上る。
私は、すぐに動いた。
1体目へ——
剣を振るう。
翼を狙う。
ザシュ——
翼が、裂ける。
レッサードラゴンが悲鳴を上げる。
ギャアアッ——
飛べなくなる。地面に落ちる。
私は、その首を斬った。
ザシュゥ——
1体、撃破。
2体目が、怒りで吠える。
ガァァァ——
そして——突進してきた。
爪が光る。
鋭い爪。
私は、避けた。
横に跳ぶ。
重力1.5倍で、着地が遅れる。
でも——間に合う。
レッサードラゴンが通り過ぎる瞬間——
剣を突き立てた。
心臓を狙って。
ザクッ——
深々と。
ズブッ——
レッサードラゴンの動きが止まる。
力が抜ける。
崩れ落ちる。
ドシャァ……
2体、撃破。
「……はぁ、はぁ……」
息が、上がる。
呼吸が荒い。心臓が激しく打っている。
腕に火傷。
炎の熱で、皮膚が赤くなっている。ヒリヒリと痛む。
ポーチから、治療薬を取り出す。
また一本。
飲む。
ゴクゴク……
火傷が、癒えていく。
疲労が——溜まってきた。
連戦が、身体を蝕んでいる。
でも——進むしかない。
奥に、階段が見えた。
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105階層。
階段を下りる。
長い階段だった。100段ほど。一段、また一段。足音が、下方へ吸い込まれていく。
下るほどに——
空気が、変わる。
静寂が、深まる。
水滴の音も、聞こえない。
ただ——静寂。
そして——
階段の終わり。
105階層。
私は——息を呑んだ。
「……何だ、ここは」
呟いた声が、広い空間に響く。
ここは——広間だった。
通路ではなく、広間。
円形の空間。直径30メートル。天井は20メートル。開放感がある。でも——不気味だった。
壁一面に、古代文字。
複雑な模様と文字が絡み合って、壁を覆い尽くしている。そして——それらが、光っていた。
淡い光。
苔ではない。文字自体が、光を放っている。
青白い光。脈動するように、明滅している。まるで呼吸しているように。
そして——
中央に——
台座があった。
巨大な石の台座。
高さ3メートル。幅2メートル。上には、何もない。ただの台座。
でも——
表面に、古代文字が刻まれている。無数の文字。複雑に絡み合った文字。
私は、台座へ近づいた。
足音が、広間に響く。
カツン……カツン……
反響する。
台座に手を伸ばす。
触れる。
冷たい。
石の感触。ザラザラしている。
でも——何も起こらない。
「……これは、何のためのものだ」
呟く。
答えは、ない。
ただ、台座が——そこにあるだけ。
私は、台座に背を預けた。
座り込む。
「……少し、休もう」
呼吸を整える。
一つ、吸って。
一つ、吐いて。
心拍が、ゆっくりと落ち着いていく。
周囲を見渡す。
壁の古代文字が、光を放っている。青白い光が、脈動している。
「……この文字は、何を意味している」
呟く。
答えは、ない。
でも——何かを伝えようとしている気がする。警告か。指示か。それとも——契約か。
ポーチから、治療薬を取り出す。
残りを確認する。
17本。
最初は20本あった。もう3本使った。
「……このペースでは」
不安が、胸に引っかかる。
「……120階層まで、持つだろうか」
答えは、わからない。
でも——進むしかない。
記憶を取り戻すために。
真実を知るために。
仲間に——答えるために。
静寂が、私を包む。
水滴の音も、ない。
ただ——静寂。
不気味なほどの、静寂。
数分、休む。
身体が、少し楽になった。
立ち上がろうとした、その時——
台座が——震えた。
「……っ?」
私は、すぐに立ち上がった。
台座から離れる。
剣を抜く。
シャキン——
でも——
震えは、止まった。
静寂が、戻る。
「……何だった?」
台座を見る。
変化は、ない。
古代文字も、変わらない。
光の脈動も、同じ。
でも——確かに震えた。
一瞬だけ。
小さく。
「……気のせいか」
それとも——
「……この台座は、何かの装置か」
答えは、ない。
ただ、台座が——そこにある。
沈黙している。
私は、広間の奥を見た。
そこに——階段が見える。
106階層への、階段。
「……行くか」
呟いて、台座を最後にもう一度見る。
古代文字が、淡く光っている。
青白い光。脈動する光。
「……いずれ、わかるだろう」
背を向ける。
階段へ向かう。
足音が、広間に響く。
カツン、カツン……
反響する音。
階段を下り始める。
一段、また一段。
105階層から——
106階層へ。
さらに深く。
「……まだ、先がある」
呟く。
「……進むぞ」
足音が、下方へ吸い込まれていく。
暗闇の中へ。
また——
戦いが、待っている。
でも——
私は、止まらない。
前へ。
深層へ。
真実へ——。
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