表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/34

第23話 60階層



ゼノとの別れから、1週間が経った。


私たちは今、58階層にいる。


「はあ……はあ……」


アシュの息が、荒い。


彼は壁に手をついて、必死に呼吸を整えている。額には汗が滲み、剣を握る手が震えていた。


「……少し休むか」


「いえ……大丈夫です」


アシュは首を横に振った。


「まだ、行けます」


でも、その声には力がなかった。


1週間。


この1週間で、私たちは54階層から58階層まで進んだ。たった4階層。


ペースが、落ちている。


理由は明白だった。


アシュが、限界に近づいている。


「剣が……重いんです」


彼は自分の剣を見つめながら、苦しそうに言った。


「最初は、まだ我慢できました。でも、日に日に重くなる気がして……」


50階層を超えてから、アシュの動きは目に見えて鈍くなった。


剣を振る速度が遅い。避ける動作が遅れる。疲労の回復も遅い。


彼は必死に戦っている。


でも、身体が追いついていない。


「……少しだけ、休め」


私はそう言い、壁に背を預けた。


アシュも、力なく座り込んだ。


通路には、松明の明かりだけが揺れている。


石の壁。湿った空気。遠くから聞こえる、モンスターの咆哮。


58階層。中層の入口。


ここから先は、もっと厳しくなる。


……アシュは、どこまで行けるんだろう。


私は彼の横顔を見た。


疲れ切った顔。でも、その目には諦めの色がない。


まだ、行く気だ。


「……行くぞ」


「はい」


アシュは立ち上がり、剣を握り直した。


私たちは、通路を進んだ。


-----


気配を感じた。


「……来る」


「え?」


アシュが剣を構える。


影が動いた。


3体のリザードマン。Dランクモンスター。身長2メートル近い、人型の爬虫類。鋭い爪と牙を持ち、素早い動きで襲いかかってくる。


「セリアさん、僕が1体やります!」


「……わかった」


私は2体を引き受けることにした。


アシュが一番近いリザードマンに斬りかかる。


リザードマンが爪を振るう。


アシュが剣で受け止める——


「っ……!」


彼の身体が、大きく後ろに押された。


重い。


明らかに、受けきれていない。


リザードマンが追撃してくる。


アシュが必死に避ける。でも、動きが遅い。


爪が彼の腕をかすめた。


「くっ……!」


血が滲む。


私は、自分の敵2体に集中した。


一歩踏み込み、最初のリザードマンの首を斬る。一撃。


返す刀で、二体目の腹を切り裂く。


15秒。


2体が倒れた。


私は、アシュの方を見た。


彼はまだ戦っていた。


剣を振るう。避ける。また振るう。


必死だった。


でも——


遅い。


リザードマンの爪が、何度も彼の身体をかすめている。


傷が増えていく。


1分経過。


2分経過。


3分経過——


「……っ」


私は駆け寄り、リザードマンの背中を斬った。


リザードマンが倒れる。


アシュは、その場に膝をついた。


「はあ……はあ……」


息が、切れている。


傷だらけだった。


「……大丈夫か」


「……すみません」


アシュは俯いた。


「僕……弱くて」


「……」


私は何も言えなかった。


弱い?


いや、違う。


アシュは弱くない。Fランクで58階層まで来たのは、むしろ異常だ。


でも——


この先は、もっと厳しい。


彼の身体が、もう限界に近づいている。


「……進むぞ」


「はい……」


アシュは立ち上がった。


でも、その足取りは重かった。


-----


59階層に入った瞬間、空気が変わった。


重い。


明らかに、58階層よりも重い。


「……っ」


アシュが膝をついた。


「セリアさん……すみません、少しだけ……」


「……休め」


私は壁に背を預けた。


アシュは、その場に座り込んだ。


「剣が……重いです」


彼は震える手で、剣を見つめていた。


「もう……振れないくらい、重い」


「……」


「身体も、動かない。息も、苦しい」


アシュの声が、震えていた。


「僕……もう、無理かもしれません」


その言葉に、私の胸が締め付けられた。


無理。


その言葉を、彼が口にする日が来るとは思っていた。


でも、実際に聞くと——


「……」


私は、何と言えばいいのかわからなかった。


「セリアさんの、足を引っ張ってばかりで……」


アシュは俯いた。


「ごめんなさい」


「……謝るな」


私は短く言った。


「お前は、Fランクでここまで来た」


「……でも」


「……十分、強い」


アシュは顔を上げた。


その目には、涙が浮かんでいた。


「……本当に、ですか?」


「……ああ」


私は頷いた。


「普通の冒険者は、50階層で引き返す。お前は、それを超えた」


「……」


「十分だ」


アシュは、しばらく黙っていた。


やがて、彼は深く息を吐いた。


「……せめて」


彼は立ち上がった。


「せめて、60階層まで」


「……」


「そこまで、行かせてください」


その目には、決意があった。


諦めない。


まだ、諦めない。


「……わかった」


私も立ち上がった。


「行くぞ」


「はい!」


私たちは、通路を進んだ。


-----


だが、その決意はすぐに試された。


通路の先に、影が見えた。


5体。


トロールだ。


「……まずい」


アシュが呟いた。


「5体……」


「……下がってろ」


「でも……!」


「……下がれ」


私は剣を抜き、前に出た。


アシュは、悔しそうな顔で後ろに下がった。


5体のトロール。


それぞれ身長3メートルを超える巨体。棍棒を持ち、咆哮を上げながら突進してくる。


私の身体は、動いた。


一歩踏み込み、最初のトロールの足を斬る。巨体が崩れる。首を切り落とす。


二体目が横から殴りかかってくる。


避けて、胴を切り裂く。


三体目、四体目、五体目が同時に飛びかかってくる。


身体が重い。


でも、止まらない。


剣を振るう。一体の喉を突き刺す。返す刃で、もう一体の頭を叩き割る。


最後の一体が棍棒を振り下ろしてくる。


横に跳び、足を斬る。


倒れた巨体の首を、切り落とす。


40秒。


すべて終わる。


「はあ……はあ……」


息が上がる。


身体が重い。疲労を感じる。


でも、倒せた。


「……セリアさん」


アシュが近づいてくる。


その顔には——絶望があった。


「……すごい、です」


彼は震える声で言った。


「僕なんて……何もできない」


「……」


「足を引っ張ってるだけです」


アシュは拳を握った。


「僕……」


彼の目から、涙がこぼれた。


「僕……もう、ダメです」


その言葉が、静かに響いた。


-----


私は、何も言わなかった。


ただ、黙って彼を見ていた。


アシュは涙を拭い、深く息を吐いた。


「……でも」


彼は顔を上げた。


「60階層まで。せめて、そこまで行かせてください」


「……ああ」


私は頷いた。


「行こう」


私たちは、59階層の残りを進んだ。


アシュは、もう戦わなかった。


私が、すべてのモンスターを倒した。


彼は、ただついてくるだけだった。


-----


そして——


60階層に到達した。


大きな石のアーチ。そこに刻まれた文字——「60」。


「……着きました」


アシュが呟いた。


「60階層……」


私たちは、アーチをくぐった。


その先には——


広い石造りの広間があった。


天井には松明が等間隔に並び、揺れる炎が広間を照らしている。壁には、地上へ続く階段。


帰還ポイント。


「……ここが」


アシュは広間を見回した。


「帰還ポイント……」


彼は、ゆっくりと広間の中央へ歩いた。


そして、膝をついた。


「……ここまで、です」


アシュは静かに言った。


「僕は……ここまでです」


「……」


「セリアさん。一緒に来られなくて、ごめんなさい」


彼は俯いた。


「僕は……弱すぎました」


私は、彼の前にしゃがみ込んだ。


「……お前は、弱くない」


「でも……」


「……Fランクで、60階層」


私は短く言った。


「異常だ」


アシュは顔を上げた。


「普通の冒険者は、30階層で満足する。お前は、その倍だ」


「……」


「十分、強い」


アシュの目に、また涙が浮かんだ。


でも今度は、違う涙だった。


「……ありがとう、ございます」


彼は笑った。


泣きながら、笑った。


「セリアさんと、一緒に来られて……本当に、良かったです」


「……」


「僕、また来ます」


アシュは立ち上がった。


「もっと強くなって。もっと剣を鍛えて」


彼は自分の剣を見つめた。


「いつか、セリアさんと一緒に、深層へ行けるように」


「……待ってる」


私はそう答えた。


アシュは、ポケットから転移石を取り出した。


青白く光る石。地上に戻る前に、ギルドで買っておいた石だ。


でも、彼は砕く前に、少し躊躇った様子で尋ねた。


「……セリアさんは、どうするんですか?」


「……進む」


「いえ、そうじゃなくて……」


彼は言葉を選びながら続けた。


「セリアさんのギルドカードには、500階層到達の記録がありますよね」


「……ああ」


「なら、もっと深い階層から再開できるんじゃないですか? なぜ、いつも低い階層から……」


ああ、そういうことか。


私は少し考え、答えた。


「……できない」


「え?」


「スキップ機能は、記憶が必要らしい」


「記憶……?」


「本人が覚えていなければ、カードの記録だけでは認証されない」


アシュは驚いた表情になった。


「じゃあ、セリアさんが覚えているのは……」


「……60階層まで」


私は短く答えた。


「ここに来た。だから、身体が覚えている。次はここから再開できる」


「そんな……」


アシュは言葉を失った。


500階層到達の記録があっても、記憶がなければスキップできない。


私は、覚えた階層まで、1階層ずつ進むしかない。


「……でも、記憶が戻れば、スキップできる範囲も広がる」


私は続けた。


「心配するな」


「……はい」


アシュは複雑な表情で頷いた。


「無理はしないでください」


「……ああ」


彼は、転移石を手に持った。


「……それじゃあ」


「……ああ」


アシュが、転移石を砕いた。


光が広がる。


彼の姿が、光に包まれていく。


「また、来ます!」


その声を最後に、彼の姿が消えた。


-----


私は、一人広間に立っていた。


静寂。


松明の明かりだけが、揺れている。


……また、一人だ。


12階層で出会ったアシュ。


一緒に旅をしてきた。


でも、ここで別れた。


私は、剣を握った。


空虚の剣。


何も言わない剣。


「……行くか」


呟きながら、私は61階層へと続く通路へ歩き出した。


孤独が、また始まる。


でも——


構わない。


私には、やることがある。


記憶を取り戻すこと。


真実を知ること。


そして——


500階層で何があったのか、確かめること。


私は、暗闇の中へと歩き続けた。


一人で。


剣だけを頼りに——


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ