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第22層 ベテラン冒険者ゼノ



50階層に到達してから、3日が経った。


私たちは今、54階層にいる。


「セリアさん……すみません」


アシュが息を切らしながら、申し訳なさそうに言った。


「また、足を引っ張ってしまって……」


「……気にするな」


私は短く答えた。


でも、心の中では理解していた。アシュは苦しんでいる。


50階層を超えてから、彼の動きが明らかに鈍くなった。


「剣が……重いんです」


彼はそう言った。


「前よりも、ずっと重い。振るのに力がいるし、身体も動きにくい」


それは、私も感じていた。


50階層を超えた瞬間、何かが変わった。空気が重い。身体が重い。剣が重い。


でも、私はまだ戦える。


アシュは——違う。


彼の実力では、この重さは致命的だ。剣に導かれて戦っている分、身体への負担が大きいのかもしれない。


「……少し休め」


「でも……」


「……休め」


私はそう言い、壁に背を預けた。


54階層。中層の入口。Dランクモンスターがうろつく領域。


さっきも、トロール2体と戦った。私が1体、アシュが1体。


私は10秒で倒した。


アシュは——3分かかった。


彼は必死だった。剣を振るたびに、息が上がる。汗が滴る。


それでも、何とか倒した。


成長している。確実に、強くなっている。


でも、このペースでは——


「……セリアさん」


アシュが不安そうに言った。


「僕、もしかして……セリアさんの足を引っ張ってますか?」


「……」


私は何も言えなかった。


引っ張っているかと聞かれれば——正直に言えば、そうだ。


でも、それを言うわけにはいかない。


「……大丈夫だ」


私はそう答えた。


「お前は、成長している」


「本当に……ですか?」


「……ああ」


アシュは少し安心したような顔をした。でも、その目にはまだ不安が残っている。


私は視線を前に戻した。


暗い通路。松明の明かりが、石壁を照らしている。


この先に、何があるのか。


100階層。200階層。300階層——


そして、500階層。


……私は、どこまで行けるんだ。


-----


「誰かいる」


通路の先に、人影が見えた。


「え?」


アシュが緊張した表情で剣を構える。


でも、私は——


「……ゼノ」


その名前を、呟いていた。


「あの……3日前の方ですよね?」


アシュが確認するように言った。


「……ああ」


間違いない。あの傷だらけの顔。右目の上の深い傷。


3日前、49階層で会った男。


ゼノ。300階層到達者。


「また会ったな」


ゼノは低い声で言った。


「珍しいな。まさか、こんなに早く再会するとは」


彼は私たちに近づいてきた。その目が、値踏みするように私を見つめている。


「お前たち、54階層まで来たのか」


「……ああ」


「3日で、4階層進んだわけか」


ゼノは腕を組んだ。


「まあ、悪くないペースだ。特にそっちの少年、50階層を超えてからも頑張ってるな」


アシュは驚いたような顔をした。


「え……僕のこと、覚えててくださったんですか?」


「まあな」


ゼノは少しだけ表情を和らげた。


「Fランクで50階層を超えるのは、簡単じゃない。お前、才能あるかもしれん」


「あ、ありがとうございます!」


アシュは嬉しそうに頭を下げた。


でも、ゼノの視線はすぐに私に戻った。


「……あなたは、なぜここに」


私は尋ねた。


3日前、ゼノは地上に戻ると言っていた。なぜまた、ここにいる?


「アビスからの依頼でな」


ゼノは面倒そうに答えた。


「定期的に中層の状態を確認しろと言われてる。モンスターの数、種類、異常の有無……まあ、雑用だ」


アビス——深淵管理機構。ダンジョンに関わるすべてを管理する組織。


ベテラン冒険者は、そういう仕事も受けるらしい。


「深層まで行くついでに、中層も見てる」


ゼノはそう言い、私の顔をじっと見つめた。


「……お前、本当に500階層行ったのか?」


また、その質問。


「……」


私は答えなかった。


答えられない。証明できないから。


でも、ゼノの目つきが変わった。


「いや……もしかしたら」


彼は何かに気づいたような表情をした。


「お前の動き、見せてみろ」


「……は?」


「戦ってみろ。モンスターが来たら、お前が倒せ」


ゼノはそう言い、通路の奥を指差した。


「ちょうどいい。気配がする」


言われた瞬間、私も感じた。


4体。Dランクモンスター。


オーガだ。


「セリアさん……」


アシュが緊張している。


「……下がってろ」


私は剣を抜き、前に出た。


影が動く。


4体のオーガが、咆哮を上げながら突進してくる。


身長2メートル以上。筋肉の塊。片手に大きな棍棒を持っている。


普通の冒険者なら、4体同時は死を意味する。


でも——


私の身体は、動いた。


一歩踏み込み、最初のオーガの足を斬る。巨体が崩れる。首を切り落とす。


二体目が横から殴りかかってくる。


避ける——いや、避けきれない。


身体が重い。


棍棒が肩をかすめた。


「っ……!」


痛みが走る。


でも、止まらない。


剣を横薙ぎに振るい、二体目の胴を切り裂く。


三体目、四体目が同時に飛びかかってくる。


……まずい。


身体が、追いつかない。


でも——


考えるより先に、剣が動いた。


三体目の喉を突き刺し、返す刃で四体目の頭を叩き割る。


25秒。


すべて終わる。


「はあ……はあ……」


息が、上がっている。


肩が痛い。かすり傷だが、確実にダメージを受けた。


「……」


ゼノは、黙って私を見ていた。


その目には——驚きがあった。


「……おかしい」


ゼノは低く呟いた。


「お前の動き、まるで深層の戦い方だ」


「……深層?」


「ああ」


ゼノは腕を組んだ。


「無駄がない。一撃で確実に仕留める。防御より攻撃を優先する。回避を最小限にして、反撃を最大化する」


彼は私の目をまっすぐ見つめた。


「それは、深層でしか通用しない戦い方だ」


「……」


「浅層の冒険者は、防御を重視する。避けて、受けて、それから攻撃する。お前は逆だ。攻撃して、攻撃して、攻撃し続ける」


ゼノは言葉を切った。


「それは、深層に行った者の動きだ」


私は、何も言えなかった。


自分でも、わからない。


なぜ、そんな動きができるのか。


身体が、勝手に動く。


「……お前、記憶があるのか?」


ゼノが尋ねた。


「……ない」


私は正直に答えた。


「記憶は、ない」


「記憶がない?」


ゼノは眉をひそめた。


「じゃあ、なぜそんな動きができる?」


「……わからない」


私は剣を鞘に収めた。


「身体が、覚えている」


「……身体が?」


ゼノは黙り込んだ。


しばらくの沈黙。


やがて、彼は深いため息をついた。


「……そうか」


彼は遠くを見るような目をした。


「お前、本当に500階層行ったのかもな」


「……」


「記憶を失っても、身体が覚えている。それだけの経験を積んだってことだ」


ゼノは私の肩を見た。かすり傷から、少し血が滲んでいる。


「でも、お前はまだ完全じゃない。50階層の重さに適応しきれてない」


「……」


「それでも、そこまで戦える」


ゼノは腕を組んだ。


「……化け物だな」


その言葉は、褒め言葉ではなかった。


むしろ、恐れに近い。


「……セリアさん」


アシュが心配そうに近づいてくる。


「傷、大丈夫ですか?」


「……大丈夫だ」


私は頷いた。


かすり傷程度。問題ない。


ゼノは、しばらく私を見つめていた。


やがて、彼は口を開いた。


「……少し、話をしよう」


「……」


「お前たちに、聞かせておきたいことがある」


ゼノはそう言い、壁に背を預けた。


私たちも、彼に向かい合う形で座った。


松明の明かりが、ゼノの傷だらけの顔を照らしている。


「……俺は、5年前に300階層に到達した」


突然の告白だった。


アシュが息を呑む。


私は、黙って聞いていた。


「そこで……仲間を失った」


ゼノの声は、重かった。


「4人で行った。俺だけが、帰ってきた」


「……」


「深層は、人を変える」


彼は遠くを見つめた。


「100階層を超えると、世界が変わる。空気が重くなり、重力が強くなり、時間の流れが歪む」


私は、自分の身体を思い出した。


50階層でさえ、これだけ変わった。100階層では——


「200階層を超えると、自分が変わる」


ゼノは続けた。


「考え方が変わる。優先順位が変わる。大切だったものが、どうでもよくなる」


「……それは」


アシュが震える声で言った。


「……どういうことですか?」


「わからん」


ゼノは首を横に振った。


「ただ、そうなる。深層に行った者は、みんなそうなる」


彼は自分の剣を見つめた。


「俺の仲間も、そうだった」


「……」


「最初は、普通だった。笑って、喋って、励まし合っていた」


ゼノの声が、少しずつ震え始めた。


「でも、200階層を超えたあたりから……変わり始めた」


「……」


「笑わなくなった。喋らなくなった。ただ、剣を握って、前を見ていた」


私は、自分の剣を見た。


空虚の剣。何も宿っていない剣。


「……そして」


ゼノは言葉を切った。


「300階層を超えたら——もう、戻れなくなる」


「戻れなくなる……?」


アシュが尋ねた。


「ああ」


ゼノは頷いた。


「300階層を超えた仲間は……もう、人間じゃなかった」


「……!」


アシュが息を呑む。


「人間じゃない、って……」


「言葉では説明できん」


ゼノは苦しそうに言った。


「ただ……目が、違った。何も映っていなかった。まるで、魂が抜けたように」


「……」


「そして、さらに深く行こうとした」


ゼノの声が、震えた。


「俺は、止めた。でも……聞かなかった」


「……それで」


私は尋ねた。


「……どうなった」


「死んだ」


ゼノは短く言った。


「310階層で、全員死んだ」


沈黙が落ちた。


アシュは顔を青ざめさせている。


私は——


「……なぜ、あなたは生き残った」


思わず、尋ねていた。


ゼノは、私を見た。


「俺が……臆病だったからだ」


彼は自嘲するように笑った。


「仲間が深く行こうとした時、俺は引き返した。一人で、地上に戻った」


「……」


「仲間を見捨てた」


ゼノは拳を握った。


「俺は、仲間を見捨てて、逃げた」


「……そんな」


アシュが言いかけたが、ゼノは首を横に振った。


「いいんだ。事実だから」


彼は深く息を吐いた。


「それから5年。俺は二度と300階層を超えていない」


「……」


「超えられない。あそこには、何かがある。人を変える、何かが」


ゼノは剣の柄に手を置いた。


「俺は……怖いんだ」


私は、ゼノの目を見つめた。


その目には——恐怖があった。


深層への、恐怖。


そして、自分が変わることへの、恐怖。


「……お前は」


ゼノは私に言った。


「変わる前に、戻ってこい」


「……」


「深層は、人を飲み込む。記憶を奪い、心を奪い、最後には——」


彼は言葉を切った。


「……命を奪う」


私は、何も言えなかった。


でも、心の中では思っていた。


……私は、すでに記憶を奪われている。


心も、もしかしたら。


なら、私に残っているものは——


「……行くしかない」


私は呟いた。


「……は?」


「私には、記憶がない」


私はゼノを見つめた。


「だから、行くしかない。答えを探すために」


「……お前」


ゼノは呆れたように首を振った。


「本当に、化け物だな」


彼はそう言い、立ち上がった。


「まあ、好きにしろ。止める気はない」


そして、歩き出す。


でも、数歩進んだところで——


「もし、お前が本当に500階層に行ったなら——」


ゼノは振り返らずに言った。


「……二度目は、行くな」


その言葉に、私の身体が凍りついた。


「……なぜ」


「わからん」


ゼノは答えた。


「ただ、そんな気がする」


彼は少しだけ振り返った。


「深層に……二度目はない」


その言葉を残し、ゼノは暗闇の中に消えていった。


-----


私は、その場に立ち尽くしていた。


「セリアさん……?」


アシュが心配そうに声をかけてくる。


「……大丈夫だ」


私は首を振った。


でも、心の中では混乱していた。


二度目は、行くな。


その言葉が、頭の中で繰り返される。


……なぜ。


なぜ、二度目は行ってはいけない。


そして——


私は、本当に二度目なのか?


500階層に行ったという記録。


でも、記憶がない。


もし、本当に行ったのなら——


「……何があったんだ」


呟く。


500階層で。


何が、あったんだ。


「セリアさん、もう少し休憩しましょう」


「……ああ」


私は壁に背を預けた。


肩の傷が、少しずつ痛んでくる。


50階層を超えてから、傷の治りも遅い気がする。


……これが、中層か。


ここから先は、もっと厳しくなる。


でも、行くしかない。


答えを求めて。


真実を知るために。


そして——


ゼノの言葉の意味を、理解するために。


私は、前を向いた。


暗闇の中へ。


深層へ——


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