第136話 影の歪み
405階層。
私たちは、休息を取っていた。
広めの空間。壁は古びているが、モンスターの気配はない。ここは、比較的安全な場所だった。
松明を壁に立てかける。
その光が、空間全体をぼんやりと照らしている。
揺れる炎。
それは、壁に影を映し出していた。
六つの影。
私たち六人の、影。
私は、壁に背を預けて座っていた。
左腕と右肩の傷が、まだ痛む。
エレナに治療してもらったのに——
完全には、治っていない。
それが、ずっと引っかかっている。
でも——
考えても、答えは出ない。
だから、今は休むことに集中する。
私は、目を閉じた。
暗闇。
それは、いつも通りの——
だが——
目を開けた。
何故だろう。
胸騒ぎがする。
何かが——
何かが、おかしい。
私は、周囲を見渡した。
リオンは、地図を確認している。
ゼノは、剣の手入れをしている。
エレナは、荷物を整理している。
ケインは、通路の方を警戒している。
ルナは、静かに目を閉じている。
全員が——
全員が、いつも通りだ。
何も、おかしいところはない。
なのに——
なのに、違和感がある。
それは、微かなもの。
だが、確かに感じる。
私は——
ふと、壁を見た。
松明の光が、壁に影を映している。
六つの影。
私たちの、影。
それは——
——動いている。
揺れる炎に合わせて、影も揺れている。
それは、当然のことだ。
だが——
何かが、おかしい。
私は、じっと影を見つめた。
リオンの影。
彼は、地図を見ている。
だから、影も——
下を向いているはずだ。
だが——
影が、上を向いている?
——いや。
気のせいか。
炎が揺れているから、影も歪んで見える。
それだけのことだ。
私は、視線を移した。
ゼノの影。
彼は、剣を拭いている。
だから、影も——
手を動かしているはずだ。
だが——
影の手が、止まっている?
——いや。
また、気のせいだ。
炎の揺れのせいで、そう見えるだけだ。
私は、自分の影を見た。
壁に映る、私の影。
それは——
座っている。
私と同じように、座っている。
当然だ。
私が座っているのだから、影も座っている。
私は——
試しに、右手を上げてみた。
影も——
右手を上げる。
当然だ。
私が動けば、影も動く。
それは、当たり前のことだ。
でも——
何かが、引っかかる。
私は、左手を上げてみた。
影も——
左手を上げる。
——遅れて。
ほんの一瞬。
だが、確かに——
遅れて、左手が上がった。
——気のせいか?
いや——
いや、確かに——
私は、再び右手を上げた。
影も、右手を上げる。
今度は、同時。
遅れは、ない。
——やはり、気のせいだったのか。
私は、手を下ろした。
影も、手を下ろす。
普通だ。
何も、おかしいところはない。
でも——
でも、さっきの一瞬——
確かに、遅れた。
ほんの一瞬だが、影の動きが——
遅れた。
——何故?
疑問が、頭の中で渦巻く。
でも——
きっと、炎の揺れのせいだ。
光が揺れれば、影も歪む。
だから、遅れたように見えたんだ。
それだけのことだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
だが——
胸の奥で、何かが囁く。
——違う、と。
——これは、おかしい、と。
私は、再び壁を見た。
六つの影。
それは、静かに揺れている。
松明の炎に合わせて——
——いや。
違う。
炎は、不規則に揺れている。
風が吹けば、大きく揺れる。
風が止めば、小さく揺れる。
だから、影も——
不規則に揺れるはずだ。
なのに——
なのに、六つの影は——
全て、同じリズムで揺れている。
まるで——
まるで、一つの影のように——
完璧に、同期している。
——おかしい。
これは、絶対におかしい。
影は、個別に揺れるはずだ。
それぞれの位置、それぞれの角度で——
光の当たり方が違うのだから——
影の揺れ方も、違うはずだ。
なのに——
なのに、全て同じ。
完璧に、揃っている。
私は——
私は、立ち上がった。
影も、立ち上がる。
そして——
私は、一歩、横に動いた。
影も、動く。
同時に——
いや。
ほんの一瞬——
遅れて?
いや——
同時?
わからない。
でも——
何かが、おかしい。
私は、仲間たちの影を見た。
リオンの影。
ゼノの影。
エレナの影。
ケインの影。
ルナの影。
そして、私の影。
六つの影が——
壁に映っている。
それは——
それは、揺れている。
同じリズムで。
完璧に、同期して。
まるで——
まるで、一つの存在が——
六つに分かれているかのように——
「セリア?」
エレナの声に、私は我に返った。
「……何だ」
「ずっと、壁を見てるけど……何か、あるの?」
「……いや」
私は、首を振った。
「何でもない」
「そう……?」
エレナは、不思議そうな顔をする。
だが、それ以上は聞かなかった。
私は——
私は、再び座った。
壁から、視線を逸らす。
影を、見ないようにする。
でも——
頭の中で、あの光景が繰り返される。
六つの影。
完璧に同期した、揺れ。
——何故?
何故、そんなことが起こる?
物理法則に、反している。
ありえないことだ。
なのに——
なのに、確かに見た。
——疲れているのか?
幻覚を、見ているのか?
それとも——
本当に、何かがおかしいのか?
わからない。
わからないまま——
時間だけが、過ぎていく。
「休憩を終わるぞ」
リオンが、立ち上がった。
「次の階層へ進む」
「了解」
全員が、頷く。
私も——
頷いた。
だが——
視線の端で、壁を見た。
影が——
全員の影が——
同時に、立ち上がった。
完璧に、揃って。
ほんの一瞬の、遅れもなく。
——やはり、おかしい。
私は、心の中で呟いた。
でも——
口には出せない。
出せば——
出せば、何かが崩れてしまう気がする。
だから——
黙っている。
ただ、違和感を抱えたまま——
前へ、進む。
私たちは、空間を出た。
通路を歩く。
松明の光が、壁を照らす。
影が、できる。
六つの影が——
壁に、映る。
私は——
私は、その影を見ないようにした。
見れば——
見れば、また気づいてしまう。
何かが、おかしいと。
だから——
見ない。
前だけを、見る。
でも——
視線の端で、影が揺れているのが見える。
六つの影。
それは——
完璧に、同期している。
まるで、一つの影が——
六つに分かれているかのように——
——いや。
考えるな。
進め。
ただ、進め。
私は、自分に言い聞かせた。
でも——
心の奥で、恐怖が広がっていく。
何かが——
何かが、決定的におかしい。
でも、それが何なのか——
まだ、わからない。
わからないまま——
進み続ける。
階段を見つけた。
下り階段。
「降りるぞ」
リオンが、先頭に立つ。
私たちは、階段を降り始めた。
一段、また一段。
足音が、響く。
カツン、カツン、カツン——
やはり、揃いすぎている。
そして——
壁に、影が映る。
階段を降りる、六つの影。
それは——
完璧に、同期している。
一段降りるごとに——
影も、同時に動く。
ほんの一瞬の、ズレもなく——
私は——
私は、目を閉じた。
見たくない。
この影を、見たくない。
でも——
閉じた瞼の裏で——
あの光景が、焼き付いている。
六つの影。
完璧に同期した、動き。
それは——
それは、何を意味している?
わからない。
でも——
恐ろしい。
何か、とてつもなく恐ろしいことが——
起きている気がする。
階段を降りきった。
目の前に、広間がある。
壁に、数字が刻まれている。
410。
「410階層だ」
ケインが、確認する。
「順調だな」
ゼノが、言う。
私は——
私は、ただ黙っていた。
胸の奥で、冷たいものが広がっている。
恐怖。
それは、じわじわと、心を侵食していく。
影の、異常。
それは——
それは、何を意味している?
まだ、わからない。
でも——
やがて、わかる日が来る。
その時——
その時、私は——
全てを知る。
この違和感の、正体を。
そして——
恐ろしい真実を。
「セリア、大丈夫?」
エレナが、心配そうに問う。
「……平気だ」
「そう……でも、顔色が悪いわ。少し休む?」
「……いや」
私は、首を振った。
「進もう」
「わかったわ……でも、無理しないでね」
「……ああ」
私は、短く答えた。
そして——
前を向く。
410階層。
あと、90階層。
そこに——
そこに、真実がある。
影の、異常の意味も——
きっと、そこで——
わかる。
私は、そう信じることにした。
信じるしか——
なかったから。
私たちは、410階層の探索を始めた。
だが——
頭の中で、あの光景が繰り返される。
六つの影。
完璧に同期した、動き。
それは——
それは、ありえないことだ。
なのに——
確かに、見た。
だから——
恐ろしい。
何が起きているのか——
まだ、わからない。
でも——
やがて——
やがて、全てがわかる。
その時——
私は、耐えられるのだろうか。
真実を、受け入れられるのだろうか。
わからない。
でも——
進むしかない。
それだけが——
それだけが、確かなことだから。




