第130話 血の代償
385階層。
私たちは、薄暗い通路を進んでいた。
壁には苔が生え、床は湿っている。空気が重い。息苦しいほどに、湿気が肺に纏わりつく。
そして——
気配があった。
「……止まれ」
リオンが、手を上げる。
全員が、即座に立ち止まった。剣を構える。呼吸を殺す。
静寂の中、何かが動く音が聞こえる。
ガサリ、ガサリ——
複数の足音。
そして——
「来るぞ!」
リオンの叫びと同時に、闇から飛び出してきた。
モンスター。
四足歩行の、獣のような姿。だが、獣ではない。体表は硬い鱗に覆われ、口には鋭い牙が並ぶ。目は赤く光り、殺意に満ちている。
三体。
「散開!」
リオンの指示に、全員が動く。
私は、右へ。
瞬間、モンスターの一体が、私へと跳びかかってきた。
速い。
だが——
私の身体は、それより速く動いた。
剣を横に薙ぐ。虚無の剣が、空気を切り裂く。
ザシュッ——
鈍い音。
モンスターの前脚が、切断される。
血が、噴き出した。
黒い血。それは、床に飛び散り、壁を汚す。
モンスターが、悲鳴を上げる。
だが、止まらない。
残った三本の脚で、再び襲いかかってくる。
——しつこい。
私は、低く身体を沈める。モンスターの牙が、私の頭上を通過する。
そのまま、剣を突き上げた。
グサリ——
モンスターの下顎から、脳天へと、剣が貫く。
抵抗が、手に伝わる。
硬い骨を、剣が砕く感触。
そして——
モンスターが、動きを止めた。
私は、剣を引き抜く。
ズルリ、と嫌な音がして、黒い血が溢れ出る。
モンスターは、倒れた。
死体が、床に転がる。
私は、周囲を見た。
リオンが、大剣でモンスターの首を叩き斬っている。
ゼノが、もう一体を押さえ込んでいる。
ケインとルナが、それを援護している。
エレナは、後方で待機している。
「止めだ!」
ゼノの声と共に、大剣が振り下ろされる。
ズガンッ——
重い音。
モンスターの頭部が、潰れる。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
そして、静寂。
戦闘は、終わった。
「……全員、無事か?」
リオンが、周囲を確認する。
「ああ」
「問題ない」
「大丈夫」
全員が、頷く。
私も、頷いた。
「……ああ」
だが——
左腕に、痛みがあった。
見ると、袖が裂けている。そこから、血が滲んでいる。
モンスターの牙が、掠めたのだろう。
「セリア、怪我してる!」
エレナが、駆け寄ってくる。
「……大したことない」
「ダメよ、見せて」
エレナは、私の腕を取る。
そして、傷を確認する。
「……浅いけど、手当てしないと」
彼女は、荷物から治療薬を取り出した。
それを、傷口に塗る。
ヒリヒリとした痛み。
だが、すぐに引いていく。
「これで大丈夫。でも、無理しないでね」
「……ああ」
私は、頷いた。
エレナは、微笑む。
その笑顔が——
何故か、また胸に引っかかる。
治療してもらった。
なのに——
傷が、完全には消えていない。
薄く、痕が残っている。
——おかしい。
治療薬を使えば、傷は治るはずだ。
なのに、痕が残っている。
でも——
きっと、治療薬の効果が弱かったんだろう。
深層では、治療薬の効き目も落ちる。
そういうこともある。
私は、そう自分に言い聞かせた。
「物資を回収するぞ」
リオンが、モンスターの死体に近づく。
私たちも、それに続く。
死体を調べる。
だが——
モンスターからは、何も出てこない。
「……ダメか」
ゼノが、舌打ちする。
「仕方ない。次を探そう」
リオンが、立ち上がる。
私たちは、通路を進み続けた。
そして——
また、死体を見つけた。
人間の、死体。
まだ新しい。恐らく、数日前に死んだのだろう。
「……物資を回収する」
リオンが、静かに言う。
私は、その死体に近づいた。
荷物を漁る。
——罪悪感。
それは、いつも胸に重くのしかかる。
死者から、物を奪う。
それは、やってはいけないことだ。
人として、許されないことだ。
でも——
生き延びるためには、必要なことだ。
私は、荷物の中から治療薬を取り出した。
三本。
食料も、少しある。
水筒も、ある。
「……ありがたい」
リオンが、それらを受け取る。
私は、死体の顔を見た。
若い男だった。
目は、虚ろに開いている。
何を見ていたのか。
何を思って、死んだのか。
わからない。
私は、その目を閉じてやった。
せめて、それくらいは——
「セリア、行くぞ」
リオンの声に、私は立ち上がった。
「……ああ」
私たちは、再び歩き始めた。
死体を、背にして。
罪悪感を、胸に抱えたまま。
通路は、延々と続いていた。
そして——
また、モンスターに遭遇した。
今度は、二体。
人型のモンスター。手には、槍を持っている。
「構えろ!」
リオンの指示に、全員が剣を構える。
モンスターが、槍を構える。
そして——
襲いかかってきた。
私は、一体を受け持つ。
槍が、突き出される。
速い。
だが——
私の身体は、それを予測していた。
横に跳ぶ。槍が、空を切る。
そのまま、踏み込む。
距離を詰める。
モンスターが、槍を引き戻そうとする。
だが、遅い。
私の剣が、その腹を斬り裂いた。
ザシュッ——
黒い血が、噴き出す。
モンスターが、悲鳴を上げる。
だが、まだ生きている。
槍を、振り回す。
私は、後ろに跳ぶ。
槍が、私の目の前を通過する。
——隙。
私は、再び踏み込んだ。
剣を、横に薙ぐ。
モンスターの首が、飛ぶ。
ゴロリ、と音を立てて、床に転がる。
身体が、崩れ落ちる。
血が、床に広がる。
私は、周囲を確認した。
もう一体のモンスターは、リオンたちが倒していた。
「……終わったか」
リオンが、剣を納める。
全員が、無事だった。
「良い連携だった」
ケインが、言う。
「ああ、完璧だ」
ゼノが、同意する。
私は——
違和感を、感じた。
戦闘中、仲間たちの動きが——
何か、おかしかった。
まるで、私の動きに合わせているような——
いや、トレースしているような——
——気のせいか。
私は、首を振った。
きっと、疲れているんだ。
そう思うことにする。
「セリア、大丈夫か?」
エレナが、心配そうに問う。
「……平気だ」
「そう……でも、無理しないでね」
「……ああ」
私たちは、さらに進んだ。
戦闘を繰り返しながら。
死体を漁りながら。
罪悪感を抱えながら。
——そして。
数時間後、私たちは390階層に到達した。
壁に刻まれた数字。
390。
「五階層、進んだな」
リオンが、確認する。
「ああ……順調だ」
ケインが、頷く。
私は、自分の腕を見た。
さっきの傷。
まだ、薄く痕が残っている。
治療薬を使ったのに——
でも、きっと、これくらいは普通だ。
深層では、傷の治りも遅い。
そういうものだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
だが、胸の奥で——
何かが、囁いている。
——おかしい、と。
——何かが、決定的におかしい、と。
「セリア、休憩しよう」
リオンが、提案する。
「……ああ」
私は、頷いた。
私たちは、390階層の隅で休息を取った。
荷物を下ろす。
水を飲む。
食料を口にする。
——生きている。
まだ、生きている。
それだけが、確かなことだ。
だが——
本当に、これでいいのか。
死者から物を奪い。
血を浴びながら。
延々と、暗闇を進み続ける。
これが——
これが、正しいのか。
わからない。
でも——
進むしかない。
500階層へ。
真実へ。
そこに、全ての答えがある。
きっと。
「セリア」
エレナが、私の隣に座る。
「……何だ」
「ずっと、考え込んでるわね」
「……そうか」
「何か、気になることがあるの?」
「……いや」
私は、首を振った。
「何でもない」
「そう……」
エレナは、微笑む。
その笑顔が——
また、胸に引っかかる。
何故だろう。
何が、おかしいのか。
わからない。
でも——
何かが、確実に狂い始めている。
そんな気がする。
「休憩が終わったら、また進もう」
リオンが、立ち上がる。
「……ああ」
私も、立ち上がった。
剣を握る。
この手で。
この剣で。
進むしかない。
たとえ、全てが狂っていても——
私は、前を向いた。
仲間たちと共に。
深く。
深く。
暗闇の底へ。
血と骨の道を。
罪悪感を抱えながら。
それでも——
進み続ける。
それが、私たちに残された、唯一の道だから。




