表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/30

第12層:Fランクモンスター



 朝日が街を照らし始める頃、私はアビスの依頼受付ホールにいた。


 広い空間。天井が高く、石造りの柱が並んでいる。冒険者たちで賑わっている。武装した男たち、軽装の女たち。皆、掲示板の前に集まり、依頼を選んでいる。


 私も掲示板の前に立った。


 羊皮紙が壁一面に貼られている。依頼の内容が書かれている。


「ゴブリン20体討伐:報酬5銀貨」

「コボルドの皮10枚採取:報酬8銀貨」

「1階層護衛依頼:時給50銅貨」

「スライム討伐:1体10銅貨」


 ……Fランク依頼。


 初心者向けの依頼ばかりだ。低層のモンスター。ゴブリン、コボルド、スライム。


 私の周りにいる冒険者たちは、真剣な顔で依頼を選んでいる。彼らにとっては、これが生活だ。命がけの仕事だ。


 だが、私には——。


「……必要ない」


 小さく呟いて、掲示板から離れた。


 冒険者たちの視線を感じる。冷たい。疑いに満ちている。


 私は気にせず、受付窓口へ向かった。


 若い女性が座っている。茶色の髪、緊張した表情。私を見て、少し身を引いた。


「セリア、さん……おはようございます」


「素材を売りたい」


 私は腰の袋から、昨日の戦利品を取り出した。


 ゴブリンの牙。白く尖った牙が、布に包まれている。16本。


 コボルドの皮。硬く、鱗のような質感。17枚。


 スライムの核。透明な球体。12個。


 そして、ホブゴブリンの角。湾曲し、鋭い。2本。


 受付嬢は一つ一つを確認し、記録していく。


「ゴブリンの牙、16本……1銀貨と60銅貨。コボルドの皮、17枚……8銀貨と50銅貨。スライムの核、12個……3銀貨と60銅貨。ホブゴブリンの角、2本……4銀貨」


 彼女は計算機を使い、合計を出す。


「合計で……18銀貨と70銅貨になります」


 彼女は銀貨を数え、私に渡す。18銀貨と、小さな銅貨の袋。


「端数は切り上げさせていただきました」


 彼女は小さく微笑んだ。


「……」


 私は受け取り、懐にしまう。


 受付嬢は、ためらうように口を開いた。


「あの……依頼は、受けないんですか?」


「……必要ない」


「でも、依頼なら同じ素材でも報酬が1.5倍になりますし……信頼度も上がって、もっと良い依頼が回ってきますよ」


「構わない」


「それに——」


「いらない」


 私は短く答えた。


 受付嬢は、困惑した表情で黙り込んだ。


 ……依頼は、邪魔だ。


 指定されたモンスター。指定された階層。期限。制約。


 私には、そんなものは必要ない。


 深層に行きたいだけだ。


 それ以外は、どうでもいい。


 受付嬢に礼を言い、ホールを出た。


 外に出ると、冒険者たちの会話が聞こえてきた。


「あれが500階層の詐欺師か」


「初日で2階層だろ? 遅すぎる」


「本物なら10階層は行けるはずよ」


「ギルドカードが壊れてるだけじゃないの?」


 私は無視して歩き続けた。


 広場を横切る。


 そこで、見覚えのある男たちと出くわした。


 ダリウス。大剣を背負った男。彼の仲間たち、3人。


「よお、詐欺師」


 ダリウスが声をかけてきた。


「まだ街にいたのか。もう諦めたかと思ったぜ」


 仲間たちが笑っている。


 私は立ち止まり、彼を見た。


「どうした? 反論しないのか?」


 ダリウスが一歩近づく。


「まあ、いいさ。せいぜい頑張れよ。**Fランクモンスター**相手にな」


 彼らは嘲笑しながら去っていった。


 私は、その場に立ち尽くした。


「……Fランク」


 その言葉が、耳の奥に残る。


 Fランクモンスター。


 ゴブリン。コボルド。スライム。


 初心者向けの、最も弱いモンスター。


 ……弱い?


 本当に、弱いのか?


 私は、ダンジョンへ向かった。


 入口の石造りのアーチをくぐる。


 冷たい空気が肌に触れる。


 1階層、2階層を通過する。


 迷わない。身体が道を知っている。


 分岐点も、罠も、すべて避けられる。


 まるで、何百回もこの道を歩いたかのように。


 3階層への螺旋階段。


 降りていく。


 空気が、変わった。


 重い。湿っている。そして——。


 霧。


 白い霧が、通路を覆っている。


 視界が悪い。5メートル先が見えない。松明の明かりも、霧に吸われて届かない。


 だが。


 私の足は、止まらなかった。


 前に進む。


 霧の中。


 音が聞こえる。


 ガサガサと、何かが這いずる音。複数。10以上。


 ゴブリンの群れだ。


 霧の中から、赤い目が浮かび上がる。15体。


 彼らは私を見つけ、咆哮を上げた。


 襲いかかってくる。


 私は剣を抜いた。


 一歩、踏み込む。


 右から飛びかかってくる気配。


 剣を振る。


 手応え。血が飛ぶ。


 左から棍棒が振り下ろされる。


 身体が勝手にかわす。


 反撃。剣を返す。喉を斬る。


 背後から気配。


 振り返らず、後ろに剣を突き出す。


 貫通する感触。


 次。


 また次。


 霧の中。視界がない。


 だが、気配がわかる。


 敵の位置。動き。全てが見える。


 いや、見えているわけじゃない。


 身体が、知っている。


 剣が、勝手に動く。


 頭で考えるより先に、身体が反応する。


 2分。


 15体のゴブリンが、床に倒れていた。


 私は、息も切れていない。


 心臓は静かに鼓動している。


 剣を拭い、鞘に収める。


 ……異常だ。


 霧の中。視界がない状態で、15体を一人で倒した。


 普通じゃない。


 だが、それ以上に——。


 何も感じなかった。


 恐怖も、緊張も、興奮も。


 ただ、作業のように倒した。


 まるで、石ころを避けるように。


 前に進む。


 通路を抜けると、コボルドの群れと遭遇した。10体。


 犬のような頭部。赤く光る目。


 彼らは私に飛びかかってきた。


 私は剣を抜き、斬った。


 瞬殺。


 1分もかからなかった。


 さらに進む。


 大部屋の手前で、またゴブリンの群れ。8体。


 同じように、倒した。


 そして——階段の前。


 3体のホブゴブリンが立ちはだかった。


 ゴブリンより大きい。筋肉質。知能も高い。


 Eランクモンスター。


 初めて見る相手のはずだった。


 だが。


 身体は知っていた。


 どう動けばいいか。どこを斬ればいいか。


 剣が走る。


 最初の一体の喉を斬る。二体目の腹を貫く。三体目の頭を斬り落とす。


 終わった。


 ……Eランク。


 少しだけ、手応えがあった。


 Fランクよりは、硬い。速い。


 だが、それだけだ。


 脅威ではない。


 私は階段の前に立ち、振り返った。


 ゴブリン23体。コボルド10体。ホブゴブリン3体。


 今日だけで、これだけ倒した。


「……Fランク」


 私は呟いた。


 Fランクモンスター。


 初心者向けの、最も弱いモンスター。


 だが、私にとっては——。


「何も感じない」


 敵として、認識していない。


 脅威として、感じていない。


 身体が、彼らを「障害物」として処理している。


 訓練用の的のように。


 いや、的以下だ。


 石ころを避けるような感覚。


「……私は」


 私は剣を見た。


 漆黒の刀身。


「どこまで、行ったんだ」


 500階層。


 そこには、何がいたんだ。


 Fランクモンスターが、こんなにも弱く感じるほどの——。


「何と、戦ったんだ……」


 答えは、ない。


 ただ、身体だけが知っている。


 私は来た道を戻った。


 地上に出る。


 夕暮れ時だった。


 アビスへ向かう。


 受付で素材を提出する。


 受付嬢は、記録を見て目を丸くした。


「今日は……ゴブリン23体、コボルド10体、ホブゴブリン3体ですね」


 彼女は信じられないという表情で、私を見た。


「一日で、これだけ……」


 彼女は計算を始める。


「合計で……22銀貨になります」


 私は受け取り、受付を離れた。


 ホールの出口近くで、ミラが声をかけてきた。


「セリアさん! 無事でしたか?」


「……ああ」


「3階層まで行けたんですね!」


 彼女は私の記録を見たようだ。


「順調ですね。身体は、大丈夫ですか?」


「問題ない」


「よかった……無理はしないでくださいね」


「……」


 私は小さく頷いた。


 宿に戻る。


 宿の主人に、2泊分の宿代20銅貨を払う。


 銀貨1枚を渡すと、主人は驚いた。


「釣りは80銅貨だが……」


「いい」


 私はそのまま部屋へ向かった。


 簡素な部屋。硬いベッド。


 疲れはない。


 だが、横になった。


 目を閉じる。


 眠りに落ちる。


 そして——。


 夢を見た。


 霧の中。


 だが、3階層ではない。


 もっと深い。もっと暗い。


 空気が重く、息苦しい。


 私は剣を握っている。


 仲間の声が聞こえる。


「セリア! 後ろだ!」


 男性の声。若い。力強い。


 私は振り返る。


 そこに——。


 **巨大な影**。


 輪郭だけが見える。詳細は闇に溶けている。


 だが、その存在感。


 圧倒的だった。


 全身が震える。


 剣を握る手が、冷たい。


 恐怖。


 これは——。


 影が動いた。


 咆哮。


 世界が揺れる。


 私は——。


 目が覚めた。


 汗びっしょりだった。


 心臓が激しく鼓動している。


 呼吸が荒い。


 部屋の天井を見つめる。


 暗闇。窓の外は、まだ夜だ。


「……Fランクじゃない」


 私は呟いた。


 あれは、Fランクじゃない。


 Eランクでも、Dランクでも、ない。


「深層には……」


 私は身体を起こした。


「何が、いるんだ」


 記憶の奥に、何かがいる。


 それは、Fランクモンスターとは比べ物にならない。


 圧倒的な存在。


 恐怖を感じさせる相手。


「……」


 窓の外を見る。


 夜明け前の、暗い空。


 星が、いくつか見える。


 私は、あれと戦ったのか。


 あの影と。


 そして——勝ったのか。


 それとも。


 答えは、わからない。


 ただ、確かなことが一つある。


 私は、500階層まで行った。


 そこで、何かと出会った。


 それは、Fランクモンスターとは、違う。


「……辿り着かなければ」


 私は小さく呟いた。


「思い出さなければ」


 深層へ。


 500階層へ。


 もう一度。


 必ず——。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ