第129話 共鳴
380階層。
私たちは、巨大な空洞に立っていた。
天井は見えない。壁は遥か彼方。まるで、地下に作られた巨大な洞窟のような空間。だが、自然の造形ではない。壁は規則正しく削られ、床は平らに整えられている。人工物だ。
誰が、何のために、こんな空間を作ったのか。
その答えは、わからない。
「……広いな」
ゼノが、呟く。
その声が、空間全体に響き渡る。反響が、何度も何度も繰り返される。まるで、声が生き物のように、空間を駆け巡っている。
「気をつけろ。モンスターが潜んでいる可能性がある」
リオンが、警戒を促す。
私たちは、剣を構えたまま、慎重に進んだ。
足音が響く。
カツン、カツン、カツン——
六人分の足音が、完璧に揃っている。
——いや。
これは、反響のせいだ。
この空間は、音がよく響く。だから、足音が重なって聞こえる。それだけのことだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
だが、違和感は消えない。
それは、微かな歪み。まるで、何かが少しだけズレているような——
「セリア」
エレナが、私の隣に並ぶ。
「……何だ」
「さっきから、ずっと考え込んでるわね」
「……気のせいだ」
「そう? でも、何か気になることがあるなら、言ってね。一人で抱え込まないで」
彼女は、優しく微笑む。
その笑顔が、また胸に引っかかる。
何故だろう。
エレナは、いつも通りだ。優しくて、穏やかで、仲間思い。何も変わっていない。
なのに——
なのに、何かが違う気がする。
「……ああ」
私は、短く答えた。
それ以上、言葉が出てこない。
私たちは、空洞の中央へと進んだ。
そこには、巨大な石柱が立っていた。
高さは十メートル以上。太さも、数人が手を繋いで囲めるほど。表面には、細かい文字が刻まれている。
「……何か、書いてあるな」
ケインが、石柱に近づく。
「読めるか?」
リオンが問う。
「いや……古代文字だ。解読は難しい」
ケインは、首を振る。
私も、石柱の文字を見た。
確かに、見たことのない文字だ。だが——
何故だろう。
この文字が、何となく懐かしい気がする。
まるで、昔、どこかで見たような——
——いや。
そんなはずはない。
私の記憶は、過去二年分が欠けている。だが、それ以前の記憶に、この文字はない。
なのに、何故——
「セリア、どうした?」
リオンが、私を見る。
「……何でもない」
私は、視線を逸らした。
考えても、答えは出ない。
「石柱の奥に、通路がある」
ルナが、指差す。
確かに、石柱の向こう側に、通路の入口が見える。
「行くぞ」
リオンの指示に、全員が頷く。
私たちは、石柱を迂回して、通路へと向かった。
その時——
「……!」
突然、石柱が光った。
淡い青白い光。それは、石柱全体を包み込む。刻まれた文字が、一つ一つ輝き始める。
「何だ、これ!?」
ゼノが、後ずさる。
光が、強くなる。
そして——
音が、響いた。
低い、振動するような音。
それは、石柱から発せられている。まるで、石柱が呼吸をしているような——
「……セリア」
リオンが、私の名を呼ぶ。
だが、私は答えられなかった。
頭の中で、何かが響いている。
——声?
いや、声ではない。
もっと、根源的な何か。
それは、言葉ではなく、感覚として、私の中に流れ込んでくる。
——深く。
——進め。
——真実は、底にある。
——いや、頂に。
——上か、下か。
——それは、同じこと。
「……っ」
私は、頭を押さえた。
声が、止まらない。
いや、声ではない。これは——
「セリア! しっかりしろ!」
リオンが、私の肩を掴む。
その瞬間、声が止んだ。
石柱の光も、消える。
静寂が、戻ってくる。
「……大丈夫か?」
リオンが、心配そうに問う。
「……ああ」
私は、頷いた。
「少し……めまいがした」
「そうか……無理するな」
リオンは、私の肩から手を離す。
私は、石柱を見た。
もう、光っていない。ただの、古い石柱だ。
だが——
さっきの、あれは何だったのか。
頭の中に響いた、あの感覚は——
「セリア、本当に大丈夫?」
エレナが、不安そうに問う。
「……平気だ」
私は、首を振った。
「進もう」
「わかった」
リオンが頷く。
私たちは、通路へと足を踏み入れた。
石柱を背にして、前へ。
だが、頭の中で、あの感覚が残っている。
——上か、下か。
——それは、同じこと。
何を意味しているのか。
わからない。
でも——
何故か、その言葉が、胸の奥に引っかかっている。
通路は、長く続いていた。
壁に、時折、松明が設置されている。だが、火は灯っていない。私たちの持つ松明だけが、闇を照らしている。
足音が、響く。
カツン、カツン、カツン——
やはり、揃いすぎている。
六人分の足音が、まるで一つの音のように——
「……」
私は、立ち止まった。
「どうした?」
リオンが問う。
「……いや」
私は、首を振る。
でも——
やはり、おかしい。
この足音。
揃いすぎている。
反響のせいだと、何度も自分に言い聞かせた。
でも——
本当に、そうなのか?
「セリア?」
エレナが、心配そうに私を見る。
「……何でもない」
私は、歩き始めた。
考えるな。
進め。
それだけを、考えろ。
通路の先に、扉があった。
石造りの、重厚な扉。
「開けるぞ」
リオンが、扉に手をかける。
ゆっくりと、扉が開く。
その向こうには——
階段があった。
下り階段。
「よし、降りよう」
リオンが、先頭に立つ。
私たちは、階段を降り始めた。
一段、また一段。
今度は、感覚が正常だ。下っている。確かに、下っている。
だが——
どれほど降りても、階段が終わらない。
延々と、続いている。
「……長いな」
ゼノが、呟く。
「ああ……」
ケインが、同意する。
私も、同じことを感じていた。
長すぎる。
一階層分にしては、明らかに長い。
だが、それでも、私たちは降り続けた。
どれほど時間が経ったのか、わからない。
ただ、延々と、石段を降り続ける。
そして——
ようやく、階段が終わった。
目の前に、広間がある。
壁に、数字が刻まれている。
385。
「385階層……」
ケインが、呟く。
「380階層から……五階層?」
ゼノが、戸惑いを隠さない。
そうだ。
私たちは、五階層も進んでいた。
一つの階段で、五階層。
普通なら、ありえない。
だが——
このダンジョンでは、何が起きても不思議ではない。
「……進もう」
私は、短く言った。
リオンが頷く。
私たちは、385階層の探索を始めた。
だが、頭の中で、疑問が渦巻き続ける。
上ったのに、下った。
長い階段で、五階層。
石柱の、あの声。
——上か、下か。
——それは、同じこと。
全てが、少しずつ狂っている。
まるで——
まるで、私たちは——
——どこへ向かっているのか。
もう、わからない。
でも——
進むしかない。
それだけが、確かだから。
私は、仲間たちの背中を見た。
リオン、ゼノ、エレナ、ケイン、ルナ。
信頼できる仲間たち。
彼らがいる限り、私は進める。
——そうだ。
一人じゃない。
私には、仲間がいる。
だから——
大丈夫だ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
胸の奥で、冷たいものが広がっているのを感じながら。
それでも——
進むしかない。
深く。
深く。
暗闇の底へ。
——いや、頂へ?
もう、わからない。
でも——
真実は、きっと——
そこにある。




