第128話 歪み
378階層。
私たちは、慎重に探索を続けていた。
この階層は、奇妙なほどに静かだった。モンスターの気配がない。ただ、石造りの通路が延々と続いている。壁に刻まれた古い文様。剥がれかけた装飾。そして、時折現れる、朽ちた骨。
「……死体が多い」
ケインが、通路の隅を指差す。
そこには、白骨化した遺体があった。鎧は錆び、剣はその傍らに転がっている。どれほど前に死んだのか、わからない。ただ、この階層で力尽きたことだけは、確かだった。
「物資を回収するか?」
ゼノが問う。
「……ああ」
私は頷いた。
残酷だが、生き延びるためには必要なことだ。300階層を越えてから、転移装置は一度も出現していない。地上に戻る手段はない。ならば、死者から物資を奪うしかない。
エレナが、遺体に近づく。彼女は、丁寧に荷物を調べ始めた。
「治療薬が三本。食料が少し。水筒もある」
「……ありがたい」
リオンが、それらを受け取る。
私は、遺体の傍らにある剣を見た。
細身の剣。刃は錆びていない。剣は折れない。それが、この世界の絶対法則。だが、持ち主が死ねば、剣はただの物となる。
——いや。
違う。
人は死ぬと、剣になる。
260階層の「真実の扉」で、私はその事実を知った。人の魂は、剣に宿る。そして、1階層の幼児へと転移する。延々と繰り返される、連鎖。
だが——
300階層を越えてから、剣は転移しない。死体が残る。その矛盾を、リオンは「深層では転移に時間がかかる」と説明した。私は、一応納得した。
だが、本当にそうなのか?
疑問が、頭の隅にある。
でも、考えても答えは出ない。だから、保留にしている。今は、進むことだけを考える。
「セリア、行くぞ」
リオンの声に、私は顔を上げた。
「……ああ」
私たちは、再び歩き始めた。
通路は長い。曲がり角が多い。まるで迷路のように、複雑に入り組んでいる。
そして——
「……?」
違和感。
それは、微かなものだった。
足音。
私たちの足音が、揃いすぎている。
六人で歩いているはずなのに、まるで一つの音のように聞こえる。反響のせいだろうか? この通路は、音がよく響く。だから、足音が重なって聞こえるのかもしれない。
……そうだ。
きっと、そうだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
「セリア」
エレナが、私の隣に並ぶ。
「大丈夫? 疲れてない?」
「……平気だ」
「そう……でも、無理しないでね」
彼女は、優しく微笑んだ。
その笑顔が、何故か胸に引っかかる。
——何故?
わからない。
エレナは、いつも通りだ。優しく、穏やかで、仲間思い。何もおかしいところはない。
なのに。
なのに、何かが——
「前方、階段だ」
ルナの声が、私の思考を遮った。
通路の先に、階段がある。
下り階段。
ようやく、下への道が見つかった。
「よし、降りるぞ」
リオンが、先頭に立つ。
私たちは、階段を降り始めた。
一段、また一段。
今度は、感覚が正常だ。下っている。確かに、下っている。足の感覚も、視覚も、全てが一致している。
さっきの奇妙な階段とは、違う。
安堵が、胸に広がる。
——だが。
階段を降りきった先で、私は固まった。
「……何だ、これ」
ゼノが、呆然と呟く。
目の前の壁に、数字が刻まれている。
379。
「379階層……」
ケインが、確認するように言う。
378階層から、379階層へ。
一階層だけ、進んだ。
普通なら、それで正しい。
だが——
「……おかしい」
私は、呟いた。
「何がだ?」
リオンが問う。
「……階段の長さ」
私は、振り返った。
今降りてきた階段。それは、明らかに長かった。数十段、いや、もっとあった。一階層分にしては、長すぎる。
「確かに……長かったな」
ケインが、同意する。
「でも、結果は一階層だけだ」
ゼノが、壁の数字を見つめる。
「……そういうこともある」
リオンが、落ち着いた声で言う。
「深層では、階段の長さが一定じゃない。距離と階層が、必ずしも比例しない」
「……そうか」
私は、頷いた。
確かに、そういうこともあるのかもしれない。このダンジョンは、常識が通用しない。ならば、階段の長さが狂っていても、不思議ではない。
——でも。
でも、何か引っかかる。
さっきの「上ったのに下った」階段といい、今の「長すぎる階段」といい。
何かが、おかしい。
だが、それが何なのか、わからない。
「セリア、進もう」
リオンが、私の肩に手を置く。
「……ああ」
私は、前を向いた。
考えても、答えは出ない。ならば、進むしかない。
379階層の探索を開始する。
ここも、静かだった。モンスターの気配がない。ただ、冷たい風が通路を吹き抜けている。
私たちは、慎重に進んだ。
そして——
「……また、死体だ」
エレナが、立ち止まる。
通路の脇に、新しい遺体があった。まだ白骨化していない。恐らく、数日前に死んだのだろう。
「物資を……」
リオンが言いかけて、止まった。
その遺体の手には、剣が握られている。
だが——
「……剣が、ない?」
ゼノが、首を傾げる。
いや、違う。
剣は、ある。
ただ——
「……透けている」
私は、呟いた。
剣が、透けている。まるで、存在が薄れていくように。半透明になって、消えかけている。
「これは……」
ケインが、その剣に触れようとして——
剣が、完全に消えた。
跡形もなく。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
「……何だ、今の」
ゼノが、後ずさる。
私は、その場に立ち尽くした。
剣が、消えた。
剣は折れない。それが、絶対法則のはずだ。
なのに、消えた。
——いや。
これは、転移したのか?
300階層を越えてから、剣は転移しないと思っていた。だが、実際には転移している。ただ、時間がかかっているだけ。
そうだ。
きっと、そうだ。
リオンが言っていた。深層では、転移に時間がかかる、と。
だから、今のは転移だ。消えたのではなく、1階層へと転移したんだ。
私は、そう自分に言い聞かせた。
だが——
胸の奥で、何かが囁く。
違う、と。
それは、転移ではない、と。
何か、もっと根本的に、何かが——
「セリア」
リオンの声。
「……何だ」
「大丈夫か? 顔色が悪い」
「……平気だ」
私は、首を振った。
「少し、疲れただけだ」
「そうか……無理するなよ」
「……ああ」
私たちは、再び歩き始めた。
だが、頭の中で、疑問が渦巻き続ける。
上ったのに、下った。
長い階段なのに、一階層だけ。
剣が、消えた。
全てが、少しずつ狂っている。
まるで——
まるで、世界の法則が、歪み始めているような。
「……」
私は、自分の手を見た。
この手で、剣を握る。戦う。進む。
それだけが、確かなことだ。
他の全てが狂っていても、これだけは変わらない。
——そうだ。
進むしかない。
500階層へ。
真実へ。
そこに、全ての答えがある。
きっと。
「セリア、次の部屋だ」
リオンの声に、私は顔を上げた。
「……ああ」
私は、仲間たちと共に、部屋へと足を踏み入れた。
そこには——
また、死体があった。
そして、その傍らには、消えかけた剣が、微かに光を放っていた。
まるで、存在を主張するように。
でも、やがて——
その光は、消えた。
静かに。
何も残さず。
私は、ただ黙って、それを見つめていた。
胸の奥で、冷たいものが広がっていく。
——何かが、おかしい。
でも、何が?
わからない。
わからないまま、私たちは進み続ける。
深く。
深く。
暗闇の底へ。
——いや。
本当は、どこへ?
もう、わからない。
でも——
進むしかない。
それだけが、確かだから。




