第122話 骨の山
数時間後、私は目を覚ました
身体は——まだ痛む。
肋骨が軋み、呼吸が浅い。
だが——少しは休めた。
私は周囲を見回した。
リオンが見張りをしている。エレナとルナ、ケインはまだ眠っている。
ゼノも——起きていた。
彼は壁に寄りかかり、じっと暗闇を見つめていた。
「……ゼノ」
私は声をかけた。
「……起きたか」
ゼノが振り向いた。
彼の顔には、疲労が色濃く浮かんでいる。左腕は包帯で固定され、動かせない状態だった。
「……少し、話がある」
私は言った。
「何だ?」
ゼノが尋ねた。
私は——あの光景を思い出していた。
獣の背後にあった——骨の山。
無数の頭蓋骨、肋骨、砕けた骨。
そして——突き刺さった剣。
「……あの獣の背後、骨の山があっただろう」
私は言った。
「ああ」
ゼノが頷いた。
「あそこに——装備や荷物が残ってるんじゃないか?」
私の言葉に、ゼノは少し考え込んだ。
「……そうだな。獣は人間を食うが、荷物には興味がない」
「治療薬、食料、水——全て尽きている。もし、あそこに残っているなら——」
「取りに行くしかないな」
ゼノが私の言葉を引き継いだ。
リオンも——私たちの会話を聞いていた。
「……確かに、その通りだ」
彼が言った。
「でも——全員で行くのは無理だ。怪我人が多すぎる」
「俺とセリアが行く」
ゼノが言った。
「お前も怪我してるだろう」
リオンが反対した。
「右腕は使える。セリアと二人なら、なんとかなる」
ゼノが答えた。
リオンは——少し迷ったが、やがて頷いた。
「……わかった。でも、無理はするな。危険を感じたら、すぐに戻れ」
「ああ」
私たちは立ち上がった。
身体が——重い。
全身が痛む。
でも——動かないわけにはいかない。
「……行くぞ」
ゼノが松明を手に取った。
私も剣を握り締めた。
そして——私たちは通路を引き返した。
来た道を——戻る。
足音が——静寂の中で響く。
カツン、カツン、という音。
二人分の足音が——微かに揃っている。
……いや、違う。
私は首を振った。
気のせいだ。
通路の反響だ。
私たちは——黙々と歩いた。
誰も——口を開かなかった。
ただ——前を向いて、歩く。
そして——通路が開けた。
あの広間に——戻ってきた。
私は——息を呑んだ。
獣の死体が——まだそこにあった。
巨大な身体が、血溜まりの中に横たわっている。首には深い傷跡が三つ。私たちの剣が作った傷だ。
「……まだ、いたか」
ゼノが呟いた。
「ああ……」
私は答えた。
死体は——微動だにしなかった。
本当に——死んでいる。
私たちは——獣の死体を迂回し、骨の山へ向かった。
そして——そこに辿り着いた時。
私は——再び息を呑んだ。
骨の山は——想像以上に巨大だった。
人間の骨が、山のように積み重なっている。頭蓋骨、肋骨、腕の骨、足の骨。全てが——白く、乾いている。
そして——その周囲には。
荷物が——散乱していた。
破れた鞄、壊れた鎧、折れた松明。
そして——無傷の荷物袋も、いくつか転がっている。
剣も——そこにあった。
骨の山に突き刺さった剣、横たわる剣。全て——無傷だった。血に塗れているが、刃こぼれ一つない。
「……これは」
ゼノが呟いた。
「ああ……宝の山だ」
私は答えた。
だが——同時に、吐き気を覚えた。
これは——全て、死者のものだ。
ここで殺された冒険者たちの——遺品だ。
「……行くぞ」
ゼノが一歩踏み出した。
私も——続いた。
骨を踏む音がした。
ゴリッ、という嫌な音。
私は——足元を見た。
頭蓋骨を踏んでしまった。
空洞な眼窩が——こちらを見ているようだった。
「……すまない」
私は呟いた。
そして——荷物を漁り始めた。
最初の鞄を開ける。
中には——治療薬が三本、乾燥肉、水筒。
「……治療薬、三本ある」
私は呟いた。
「こっちも二本だ」
ゼノが別の鞄を開けながら答えた。
私たちは——次々と荷物を開けていった。
治療薬。
食料。
水。
松明。
ロープ。
使える装備。
全てが——そこにあった。
そして——私は、ある鞄の中に紙切れを見つけた。
古びた紙。
血で汚れている。
だが——文字が読める。
私は——それを手に取った。
『もう、戻れない』
そう——書かれていた。
『300階層を超えたら、転移装置がなくなった』
『食料も水も尽きた』
『仲間が一人、また一人と倒れていく』
『剣が囁く。「もっと深く」と』
『でも——俺はもう、進めない』
『誰か、これを読んだ人へ』
『戻れ。300階層より先には——何もない』
『あるのは——死だけだ』
文章は——そこで途切れていた。
おそらく——書いている途中で、獣に襲われたのだろう。
私は——紙を握り締めた。
手が——震えている。
「……セリア?」
ゼノが声をかけてきた。
「……これを見ろ」
私は紙を渡した。
ゼノが——読んだ。
彼の顔が——強張った。
「……これは」
「ああ。ここで死んだ冒険者が——書いたんだろう」
私は答えた。
「300階層を超えたら、転移装置がない——か」
ゼノが呟いた。
「……俺たちも、同じだな」
「ああ」
私は頷いた。
沈黙が訪れた。
私たちは——同じ状況にいる。
300階層を超え、戻れなくなった。
食料も水も、死者から奪うしかない。
そして——いつか、私たちも死ぬのだろうか。
骨の山に——加わるのだろうか。
「……いや」
ゼノが呟いた。
「俺たちは——違う」
「……何が?」
私は尋ねた。
「俺たちには——目標がある。500階層だ」
ゼノが答えた。
「ここで死んだ奴らは——ただ彷徨っていただけだ。でも、俺たちは違う」
彼の言葉に、私は——少し救われた気がした。
確かに——そうだ。
私たちには、目標がある。
500階層。
そこに——答えがある。
「……そうだな」
私は頷いた。
「行こう。荷物を集めよう」
私たちは——再び荷物を漁り始めた。
治療薬、合計で十五本。
食料、一週間分ほど。
水、同じく一週間分。
松明、十本以上。
ロープ、数本。
そして——金貨と銀貨も、いくつか見つかった。
他にも——いくつかの紙切れを見つけた。
どれも——似たような内容だった。
『助けてくれ』
『もう限界だ』
『剣が止まらない』
『仲間が——剣に支配された』
全て——絶望の言葉だった。
私は——それらを鞄にしまった。
いつか——役に立つかもしれない。
「……セリア」
ゼノが声をかけてきた。
「……何だ」
「お前——また、何か気になることがあるのか?」
彼の問いに、私は——少し戸惑った。
「……どういう意味だ?」
「さっきから、骨ばかり見てる。何か——おかしいと思ってるんじゃないか?」
ゼノは鋭い。
私は——正直に答えた。
「……ああ。少し、おかしいと思った」
「何が?」
「骨が——残っている」
私は言った。
「人は死ぬと剣になる。260階層の『真実の扉』で——そう見た」
「……ああ。俺も覚えてる」
ゼノが頷いた。
「魂が剣に宿り、剣は1階層へ転移する——そうだろう?」
「ああ」
「でも——死体も、剣も、ここに残っている」
私は骨の山と、突き刺さった剣を見た。
「リオンは以前、こう言った。魂が剣に宿り、肉体は残る。剣の転移には時間がかかる——と」
「……それで?」
ゼノが尋ねた。
「でも——これだけの骨がある。おそらく、何ヶ月、何年も前に死んだ人間もいるはずだ」
私は続けた。
「なのに——剣は、まだここにある。転移していない」
ゼノは——少し考え込んだ。
「……確かに、おかしいな」
彼が呟いた。
「もし、転移に時間がかかるとしても——何ヶ月も、何年もかかるはずがない」
「ああ」
私は頷いた。
「何かが——おかしい」
沈黙が訪れた。
二人とも——答えを持っていなかった。
ただ——疑問だけが、残った。
「……まあ、今は考えても仕方ない」
ゼノが言った。
「まずは——荷物を集めよう」
「……そうだな」
私は頷いた。
「……持てるだけ持って、戻ろう」
私は言った。
「ああ」
ゼノが頷いた。
私たちは——荷物を背負った。
重い。
全身が痛む身体に、さらに負担がかかる。
でも——我慢するしかない。
「……行くぞ」
私は言った。
そして——私たちは広間を後にした。
骨の山を——背に。
獣の死体を——背に。
通路を——引き返す。
足音が——響く。
カツン、カツン、という音。
二人分の足音が——また少しだけ揃っている。
でも——私は、もう気にしなかった。
疲労で——そこまで頭が回らなかった。
ただ——前を向いて、歩く。
そして——階段の前に戻ってきた。
「……戻ったぞ」
ゼノが言った。
リオンが——駆け寄ってきた。
「無事か!」
「ああ……なんとか」
私は答えた。
「これを見ろ」
ゼノが荷物を下ろした。
治療薬、食料、水——全てが、そこにあった。
「……すごいな」
リオンが目を見開いた。
「これだけあれば——しばらくは大丈夫だ」
「ああ。早く——傷の手当てをしよう」
私は言った。
エレナが——目を覚ましていた。
「……これ、全部?」
彼女が驚いた声を出した。
「ああ。骨の山の周りに——散乱していた」
ゼノが答えた。
「……そう」
エレナは複雑な表情をした。
おそらく——私と同じことを考えているのだろう。
死者から奪ったという——罪悪感。
でも——彼女は何も言わなかった。
ただ——治療薬を手に取り、傷の手当てを始めた。
リオンに。
ルナに。
ケインに。
ゼノに。
そして——私に。
治療薬が——傷口に染み込む。
痛みが——少しずつ和らいでいく。
「……ありがとう」
私は呟いた。
「気にしないで」
エレナが微笑んだ。
私は——鞄から紙切れを取り出した。
「……これも、見つけた」
私はリオンに渡した。
リオンが——読んだ。
彼の顔が——強張った。
「……これは」
「ああ。ここで死んだ冒険者が書いたんだろう」
私は答えた。
リオンは——黙って紙を見つめていた。
そして——ゆっくりと、紙をたたんだ。
「……俺たちは、同じ道を歩いている」
彼が呟いた。
「でも——俺たちは、違う」
「……何が?」
エレナが尋ねた。
「俺たちには——目標がある。500階層だ」
リオンが答えた。
「そこに——答えがある。だから——俺たちは、生き延びる」
彼の言葉に、皆が頷いた。
私たちは——生き延びた。
物資も——手に入れた。
これで——少しは、先に進める。
でも——心の中では、まだ疑問が残っていた。
なぜ、剣は転移しないのか。
なぜ、死体が残るのか。
……わからない。
でも——いつか、答えが見つかるだろう。
500階層で——きっと。
私は——そう信じていた。




