第117話 血塗られた通路
罠を回避しながら、私たちは慎重に通路を進んだ。
床の石板を一つ一つ確認する。沈む石板があれば、それを避けて進む。時間はかかったが——命には代えられない。
「……長いな、この通路」
ゼノが呟いた。
確かに——果てしなく続いているように見える。
暗闇の中を、ただひたすら歩く。
松明の光が、僅かに周囲を照らすだけだった。
そして——通路の先に、何かが見えた。
「……あれは」
リオンが立ち止まった。
私も目を凝らした。
それは——死体だった。
いや——死体が複数ある。
五体、いや——それ以上。
通路の先に、無数の死体が転がっていた。
「……また、か」
ケインが顔をしかめた。
私たちは死体に近づいた。
そして——息を呑んだ。
それは——惨劇だった。
死体は全て、無残に引き裂かれていた。腕が千切れ、足が折れ、胴体が真っ二つになっているものもある。血が床一面に広がり、内臓が飛び散っていた。壁にも天井にも、血飛沫が幾重にも重なっている。
臭い。
腐敗臭と血の臭いが混ざり合い、鼻を突く。胃の中のものが込み上げてきそうになる。
「……うっ」
エレナが口を押さえた。
「……何があったんだ」
ゼノが呟いた。
リオンは死体を観察した。
「……傷の形から見て、モンスターにやられたんだろう」
「……でも、こんなに?」
ケインが不安そうに言った。
確かに——あまりにも多い。
十体以上はあるだろう。
全員が——同じように引き裂かれている。
まるで——何かに嬲り殺されたかのように。
「……大型のモンスターか、あるいは複数のモンスターだ」
リオンが答えた。
私は死体をよく見た。
鎧は破壊され、剣は——それぞれの死体の横に転がっていた。
一本ずつ。
無傷の剣。
血に塗れているが、刃こぼれ一つない。
戦ったのだろう。
必死に——戦ったのだろう。
でも——敵わなかった。
全員が——殺された。
「……荷物を漁るか」
ゼノが重い声で言った。
誰も——すぐには動かなかった。
でも——やるしかない。
私は——最も近い死体に近づいた。
血溜まりに膝をついた。
冷たく、粘ついた感触が膝に伝わる。血が染み込んでくる。
荷物袋を開ける。
中には——治療薬が一本、少しの食料。
「……治療薬、一本」
私は呟いた。
他の仲間たちも、次々と死体を漁っていく。
誰も——口を開かない。
ただ——黙々と、死者の荷物を奪っていく。
治療薬、合計で五本。
食料、一日分ほど。
水、少し。
それだけだった。
武器は——使えない。
剣は一人一本。
他人の剣を使うことはできない。
血に塗れた剣が、それぞれの死体の横に転がっているだけだった。
そして——私は、またあの違和感を覚えた。
死体が——そこにある。
引き裂かれた死体が。
そして——剣もそこにある。
それぞれの死体の横に、一本ずつ。
無傷の剣。
……おかしい。
人は死ぬと剣になるはずだ。
260階層の「真実の扉」で見た映像。
人が死に、その身体が光に包まれ、剣へと変わっていく様子。
魂が剣に宿り、剣は1階層の幼児のもとへ転移する。
それが——真実のはずだ。
なのに——死体も剣も、そこに残っている。
リオンは以前、こう説明した。
魂が剣に宿り、肉体は残る。
剣の転移には時間がかかる。
だから——死体も剣も、ここに残っている。
……本当に、それだけなのだろうか。
私は——死体をもう一度見た。
引き裂かれた身体。
飛び散った内臓。
乾いた血と、まだ生々しい血が混ざり合っている。
そして——剣。
横たわる剣は、ただの金属の塊にしか見えない。
光も、温もりも、何もない。
でも——傷一つない。
主人は死んだのに——剣は無傷だ。
……これに、魂が宿るのか?
いつ——転移するのか?
この死体たちは——いつ死んだのか?
数時間前?
数日前?
それとも——もっと前?
わからない。
でも——剣は、まだここにある。
転移していない。
……なぜ?
それに——もう一つ。
剣が——無傷すぎる。
これだけ激しく戦ったはずなのに。
あの巨大なモンスターと——必死に戦ったはずなのに。
なぜ——剣に傷一つないのか。
私は——わからなくなっていた。
「……セリア、行くぞ」
リオンが声をかけてきた。
「……ああ」
私は立ち上がった。
膝に血がべっとりと付いている。ズボンが血で濡れ、重くなっている。
気持ち悪い。
でも——拭う余裕もなかった。
私たちは——死体を後にした。
通路を進む。
血の臭いが——ずっと鼻について離れない。服に染み込んだ血の臭いが、歩くたびに鼻を刺激する。
誰も——口を開かなかった。
ただ——黙々と、前を向いて歩く。
足音だけが響く。
カツン、カツン、という規則正しい音。
六人の足音が——また少しだけ揃っている。
でも——私は、それに気づく余裕もなかった。
頭の中には——さっきの光景が焼き付いていた。
引き裂かれた死体。
転がる剣。
無傷の剣。
そして——あの違和感。
何かが——おかしい。
でも——それが何なのか。
まだ——わからない。
そして——通路が開けた。
そこは——広い空間だった。
円形の空間。直径は二十メートルほど。
天井は高く、壁には無数の傷跡があった。
爪痕、剣の跡、焦げた跡、血飛沫。
ここで——激しい戦いがあったのだろう。
いや——戦いではない。
一方的な殺戮が。
「……何だ、ここは」
ケインが周囲を見回した。
「闘技場……みたいね」
ルナが言った。
確かに——闘技場のような雰囲気があった。
だが——それは観客のいない、死の闘技場だった。
そして——空間の中央に、何かがいた。
それは——巨大な獣だった。
全長は五メートル以上。
四本足で、全身が黒い毛で覆われている。
頭部は狼のようだが——遥かに大きい。
目は赤く光り、口からは涎が垂れていた。
そして——その口には、人間の腕が咥えられていた。
生々しい、肉の塊。
まだ——血が滴っている。
「……っ」
エレナが息を呑んだ。
獣は——私たちに気づいた。
赤い目が、こちらを見据える。
そして——咥えていた腕を吐き出した。
ベチャ、という音と共に。
腕が——床に転がる。
獣が——低く唸った。
グルルル……という音が、空間に響く。
まるで——獲物を見つけた、とでも言うように。
「……ヘルハウンドか?」
ゼノが呟いた。
「いや——もっと大きい。おそらく——ヘルハウンドの上位種だ」
リオンが答えた。
「……アルファヘルハウンド、か」
ルナが呟いた。
獣が——動いた。
ゆっくりと、私たちに近づいてくる。
足音が——床を叩く。
ドスン、ドスン、という重い音。
「……陣形を組め」
リオンが指示を出した。
私たちは陣形を整えた。
リオンと私が前衛。
エレナとルナが中衛。
ゼノとケインが後衛。
獣が——さらに近づいてくる。
そして——その時。
獣の背後に——何かが見えた。
骨だ。
人間の骨が、山のように積まれている。
頭蓋骨、肋骨、腕の骨、足の骨。
そして——剣。
無数の剣が、骨の山に突き刺さっている。
どの剣も——傷一つない。
血に塗れているが、刃は完璧だった。
全て——死者の剣だ。
「……あれは」
ケインが呟いた。
「……この獣が、殺したんだ」
リオンが答えた。
さっきの通路の死体も——この獣の仕業だろう。
そして——骨の山にいる全ての冒険者も。
どれだけの人間が——この獣に殺されたのだろう。
百人?
二百人?
……わからない。
でも——おそらく、数え切れないほどだ。
獣が——襲いかかってきた。
「来るぞ!」
リオンが叫んだ。
巨大な身体が——突進してくる。
「散れ!」
私たちは左右に跳んだ。
獣が——私たちがいた場所を駆け抜ける。
そして——壁に激突した。
ドォン!
激しい衝撃音が響く。
壁に——亀裂が走った。
「……なんて、力だ……」
ゼノが呻いた。
獣が——振り向いた。
赤い目が——私たちを睨む。
まるで——次の獲物を選ぶかのように。
そして——再び襲いかかってきた。
今度は——私に向かって。
「くっ……!」
私は剣を構えた。
獣の爪が——迫る。
私は剣で受け止めた。
ガキィィン!
激しい衝撃が腕に伝わる。
力が——強すぎる。
私は吹き飛ばされた。
身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「セリア!」
リオンが叫んだ。
私は地面を転がり、なんとか体勢を立て直した。
腕が——痺れている。
肩が軋む。
「……強い」
私は呟いた。
獣が——再び私に向かってくる。
「させるか!」
リオンが割って入った。
彼の大剣が、獣の横腹を斬りつける。
だが——刃が弾かれた。
「硬い……!」
リオンが舌打ちした。
獣が尻尾を振り回し、リオンを吹き飛ばした。
「うわっ!」
リオンが壁に叩きつけられた。
鈍い音が響く。
「リオン!」
エレナが叫んだ。
獣が——今度はエレナに向かった。
「危ない!」
ルナが叫び、エレナを突き飛ばした。
獣の爪が——ルナの肩を掠めた。
「くっ……!」
ルナが血を流しながら後退した。
赤い血が、服を染めていく。
「ルナ!」
ケインが駆け寄った。
私は——立ち上がった。
このままでは——全滅する。
何か——方法があるはずだ。
私は獣を観察した。
巨大な身体。
黒い毛。
赤い目。
鋭い爪。
……弱点は?
どこだ?
身体が——答えを探している。
記憶にないのに、身体は知っているはずだ。
そして——気づいた。
首だ。
獣の首——そこだけが、毛が薄い。
皮膚が見えている。
そこが——弱点だ。
「……首を狙え!」
私は叫んだ。
「首だ!そこが弱点だ!」
リオンが立ち上がった。
血を拭い、剣を構え直す。
「……わかった!」
彼が頷いた。
私たちは——再び獣と向き合った。
戦いは——まだ終わっていなかった。




