第108話 崩落の予兆
翌朝、私たちは341階層へと降りた。
階段を降りきると——そこは、異様な光景が広がっていた。
341階層は——巨大な地底湖だった。
視界の限り、黒い水面が広がっている。天井は高く、遥か上方に青白い光が漂っていた。その光が水面に反射し、幻想的な雰囲気を作り出している。
だが——水面は静止していなかった。
微かに、波打っている。
何かが、水の中を動いているのだろうか。
「……広いな」
ゼノが呟いた。
「どうやって渡るの?泳ぐの?」
ケインが不安そうに尋ねた。
リオンは周囲を見回した。そして——湖の縁に沿って、細い道があることに気づいた。
「……あそこだ。道がある」
彼が指差した方向を見ると、確かに石造りの細い道が湖の縁を這うように続いていた。幅は二メートルほど。手すりはない。
「あの道を進むしかないわね」
エレナが言った。
私たちは慎重に道へと足を踏み入れた。
足音が石を叩く音に変わる。
道は滑りやすい。湿気が高く、石が濡れているのだ。一歩間違えれば、湖に転落する。
「……気をつけろ。滑りやすい」
リオンが警告した。
私たちは慎重に、一歩一歩進んだ。
湖の水面が、すぐ隣にある。
黒く、深い。
底が見えない。
そして——私は気づいた。
水の中に、何かがいる。
影が動いている。
大きな影だ。
「……何かいるぞ」
私は呟いた。
「え?」
エレナが振り向いた。
「水の中だ。何かが動いている」
私は水面を指差した。
皆が水面を見た。
確かに——大きな影が、水の中をゆっくりと泳いでいた。
「……モンスターか?」
ゼノが剣の柄に手をかけた。
「わからない。でも、こっちに来ないことを祈るしかないわ」
ルナが冷静に言った。
私たちは再び歩き始めた。
だが——影は私たちを追っているようだった。
道に沿って、水の中を並走している。
「……まずいな。気づかれてる」
リオンが呟いた。
「でも、攻撃してこないわ。様子を見ているのかしら」
エレナが言った。
私たちは歩き続けた。
そして——道が途切れた。
いや——正確には、道が崩れていた。
十メートルほどの区間が、完全に崩落している。その先に道は続いているが、そこまで辿り着く手段がない。
「……どうする?」
ケインが尋ねた。
リオンは崩落した区間を観察した。
「……跳べるか?」
「十メートルは無理だろう」
ゼノが首を振った。
「泳ぐしかないのか……?」
エレナが不安そうに水面を見た。
だが——水の中には、さっきの影がいる。
泳げば、間違いなく襲われるだろう。
「……待て。あれを見ろ」
ルナが指差した。
崩落した区間の中央に——石の柱が立っていた。
水面から二メートルほど突き出している。幅は一メートルほど。
「あの柱を足場にすれば、二段階で跳べるかもしれない」
ルナが言った。
「……危険だが、やるしかないな」
リオンが頷いた。
「俺が先に行く。成功したら、順番に来い」
彼がそう言い、助走をつけた。
そして——跳んだ。
リオンの身体が宙を舞う。
彼は柱の上に着地した。バランスを取り、そのまま反対側の道へ跳んだ。
見事に着地する。
「……いけるぞ!」
リオンが叫んだ。
「次は俺だ」
ゼノが助走をつけ、跳んだ。
彼も柱に着地し、反対側へ跳ぶ。
成功だ。
「次、行くわ」
エレナが跳んだ。
彼女も成功した。
「よし、俺も」
ケインが跳ぶ。
成功。
「ルナ、お前が先だ」
私はルナに言った。
彼女は頷き、跳んだ。
成功。
残るは——私だけだった。
私は深呼吸した。
……大丈夫だ。
みんなができたんだ。私にもできる。
私は助走をつけ、跳んだ。
風が頬を撫でる。
柱が近づく。
足が——柱に着いた。
だが——その瞬間。
柱が——揺れた。
「!?」
私はバランスを崩した。
身体が傾く。
湖に落ちる——。
「セリア!」
リオンの声が聞こえた。
だが——私の身体は、勝手に動いた。
傾いた身体を捻り、剣を柱に突き立てる。
剣が石に食い込み、身体が止まった。
私は剣にしがみつき、バランスを取り戻した。
「……危なかった」
息を整え、私は反対側へ跳んだ。
着地——成功。
「セリア!大丈夫か!?」
リオンが駆け寄ってきた。
「……ああ、大丈夫だ」
私は頷いた。
だが——心臓が激しく鳴っていた。
あの瞬間、確かに柱が揺れた。
何かが——柱を揺らしたのか?
それとも、元々不安定だったのか?
わからない。
「……先に進もう」
リオンが言い、私たちは再び歩き始めた。
だが——その時、私は気づいた。
水の中の影が——消えていた。
さっきまで、確かにいたはずなのに。
……どこへ行ったんだ?
私は不安を覚えたが、口には出さなかった。
道はまだ続いている。
私たちは湖の縁を進んだ。
そして——突然。
水面が——爆発した。
ドォォォン!
巨大な水柱が立ち上る。
そして——その中から、モンスターが姿を現した。
それは——巨大な蛇だった。
全長は二十メートル以上。全身が黒い鱗で覆われている。目は赤く光り、口からは毒液が滴り落ちていた。
「リヴァイアサン……!」
ルナが叫んだ。
「まずい!こんなところで戦えるか!?」
ゼノが剣を構えた。
リヴァイアサンが——襲いかかってきた。
巨大な頭部が、私たちに向かって突進してくる。
「散れ!」
リオンが叫び、私たちは左右に跳んだ。
リヴァイアサンの頭部が、さっきまで私たちがいた場所を通過した。
だが——その衝撃で、道が揺れた。
石が崩れ始める。
「道が崩れるぞ!」
ケインが叫んだ。
「早く逃げろ!」
リオンが指示を出し、私たちは走り始めた。
背後でリヴァイアサンが再び水面に潜る音がした。
そして——また飛び出してくる。
今度は横から。
「危ない!」
エレナが叫び、私たちは伏せた。
リヴァイアサンの身体が、私たちの頭上を通過する。
だが——道に激突し、石が砕けた。
道が——崩れ始めた。
「くそ!」
ゼノが悪態をついた。
私たちは走り続けた。
だが——道の崩落が追いついてくる。
背後から、ゴゴゴゴという音が迫ってくる。
「もっと速く!」
リオンが叫んだ。
私は全力で走った。
息が切れる。
足が重い。
でも——止まれない。
そして——前方に、階段が見えた。
342階層への階段だ。
「あそこだ!」
ケインが叫んだ。
私たちは階段へ向かって全力疾走した。
リヴァイアサンが再び飛び出してくる。
だが——私たちは階段に辿り着いた。
「降りろ!」
リオンが叫び、私たちは階段を駆け下りた。
背後でリヴァイアサンの咆哮が響く。
そして——道が完全に崩落する音がした。
私たちは階段の途中で立ち止まり、息を整えた。
「……助かったか」
ゼノが肩で息をしながら言った。
「ええ……でも、危なかったわ」
エレナが答えた。
私は振り返った。
階段の上は——崩落で塞がれていた。
もう戻れない。
「……進むしかないな」
リオンが呟いた。
私たちは頷き、階段を降り続けた。
342階層——そこは、どんな場所が待っているのだろうか。
私は心の中で、そう呟いた。




