第102話 333階層
332階層での休息を終えた私たちは、翌朝、333階層への階段を降りた。
石段を踏む音が、規則正しく響く。ゼノの足音、リオンの足音、エレナの足音、ケインの足音、ルナの足音。そして私の足音。六人分の足音が、まるで一つの旋律を奏でるように重なり合っていた。
……いつもより、少しだけ揃いすぎている気がする。
そんな些細な違和感を覚えたが、すぐに頭を振った。疲れているのだろう。昨夜の会話で、少し考えすぎたのかもしれない。
階段を降りきると、視界が開けた。
333階層は、広大な洞窟だった。天井は高く、遠くまで見渡せる。壁は湿っていて、水滴が滴り落ちる音が微かに聞こえる。空気は冷たく、肺の奥まで染み込むような冷気が漂っていた。
床は平らで、歩きやすい。だが、所々に小さな水溜まりがあり、その表面に天井の光景が映り込んでいる。青白い光が、水面を通して揺らめいていた。
「広いな」
ゼノが呟いた。彼は周囲を見回し、警戒の色を浮かべている。
「ええ。でも、モンスターの気配は薄いわ」
エレナが言った。彼女は目を細め、静かに空気を読んでいる。
「だからこそ、油断できないんだよな」
ケインが軽い口調で言ったが、その手は剣の柄にかかっている。
ルナは無言で、周囲を観察していた。彼女の目は、何かを探しているようだった。
リオンは私の隣に立ち、前方を見据えている。
「……慎重に行こう」
彼がそう言い、私たちは歩き始めた。
足音が、洞窟の中で反響する。水溜まりを踏むと、微かな波紋が広がった。天井から滴り落ちる水滴の音が、静寂の中でやけに大きく聞こえる。
私は剣を握り締めた。空虚の剣は、相変わらず何も語らない。ただ、冷たい感触だけが手のひらに伝わってくる。
……この階層は、静かすぎる。
333階層に入ってから、もう十分以上歩いているが、モンスターの姿が一つも見えない。気配すら感じない。まるで、私たちだけがこの世界に存在しているかのようだった。
「……おかしいな」
ゼノが低い声で呟いた。
「何か、いるはずなんだが……」
「ええ。でも、何も感じないわ」
エレナが同意した。
私も同じことを考えていた。300階層を超えてから、モンスターの数は確かに減っている。だが、全くいないというのは異常だ。何かが待ち構えているのか、それとも——。
「……待て」
リオンが手を上げ、私たちは立ち止まった。
彼は前方を指差した。そこには、大きな影があった。
私は目を凝らした。影は動かない。だが、確かにそこに何かがいる。
「……モンスターか?」
ケインが囁いた。
「わからない。だが、警戒しろ」
リオンがそう言い、私たちはゆっくりと近づいていった。
影の正体が、次第に明らかになる。
それは——巨大な石像だった。
人型をしている。高さは三メートルほど。全身が灰色の石で覆われていて、両手には大きな剣を握っている。顔には目鼻が刻まれているが、表情は読み取れない。ただ、前方を見据えているだけだった。
「……ゴーレムか?」
ゼノが呟いた。
「いや、動いていない。ただの像だ」
リオンが言った。
私たちは石像の周りを回り込んだ。だが、石像は微動だにしなかった。本当に、ただの飾りのようだった。
「……先に進もう」
リオンが言い、私たちは石像を後にした。
だが、私は振り返った。石像は、相変わらず前方を見据えていた。その視線の先には、何もない。ただ、暗闇が広がっているだけだった。
……何のために、こんなものがあるのだろう。
そんな疑問を抱きながら、私は前を向いた。
そして、また歩き始めた。
足音が響く。水滴が落ちる。冷気が肌を撫でる。
静寂が、私たちを包み込んでいた。
さらに十分ほど歩いたとき、ついにモンスターが現れた。
それは——骸骨の戦士だった。
全身が骨で構成されている。目には赤い光が灯り、右手には錆びた剣を握っている。鎧は朽ち果てていて、所々に穴が開いていた。だが、その動きは俊敏だった。
骸骨の戦士は、私たちを見るなり襲いかかってきた。
「来るぞ!」
リオンが叫び、私たちは迎え撃った。
ゼノが前に出る。彼の大剣が、骸骨の剣を受け止めた。金属が激突する音が、洞窟に響き渡る。
「ケイン、右から!」
リオンが指示を出し、ケインが骸骨の側面に回り込んだ。彼の剣が、骸骨の腕を切り裂く。骨が砕ける音がした。
だが、骸骨は止まらなかった。左手でゼノの顔を殴りつけようとする。
「させないわ!」
エレナが割って入り、骸骨の左腕を剣で弾いた。
ルナは後方から、骸骨の足元を狙った。彼女の剣が、骸骨の膝を砕く。骸骨がバランスを崩した。
「今だ、セリア!」
リオンが叫んだ。
私は駆け出した。身体が勝手に動く。剣を振り上げ、骸骨の首に向けて振り下ろす。
刃が骨を断ち切った。
骸骨の頭部が宙を舞い、地面に転がった。赤い光が消える。身体が崩れ落ち、骨だけが床に散らばった。
「……終わったか」
ゼノが息を吐いた。
「ええ。でも、まだいるかもしれないわ」
エレナが周囲を警戒しながら言った。
私は剣を下ろし、周囲を見回した。だが、他のモンスターの気配は感じない。今のところは、一体だけのようだった。
「……先に進もう」
リオンが言い、私たちは再び歩き始めた。
だが、私は少しだけ違和感を覚えていた。
……今の戦闘、少しおかしくなかったか?
リオンの指示が出る前に、ケインが動いた。いや、正確には——私が動く前に、リオンが「今だ」と言った。
まるで、私が動くことを知っていたかのように。
……いや、違う。彼は私の動きを見たから、そう言ったのだ。それだけのことだ。
私は頭を振った。考えすぎだ。戦闘中に、そんな些細なことを気にしている場合ではない。
私たちは333階層を進み続けた。途中、何度か骸骨の戦士と遭遇したが、全て撃破した。戦闘は順調だった。誰も怪我をしていない。
だが、私の中の違和感は消えなかった。
それは、とても小さなものだった。気づかないほどに。
だが——確かに、そこにあった。
334階層への階段が見えたとき、私は少しだけ安堵した。
「……今日はここまでにしよう」
リオンが言った。
「そうだな。もう日が暮れる頃だろう」
ゼノが同意した。
私たちは332階層へ戻り、そこで夜を過ごすことにした。
夜。
焚き火の周りに座り、私たちは静かに食事をしていた。
炎が揺れる。影が踊る。誰も口を開かない。
ただ、炎の音だけが響いていた。
私は火を見つめながら、今日のことを考えていた。
333階層。骸骨の戦士。そして——違和感。
……何が、おかしかったのだろう。
戦闘は順調だった。誰も怪我をしていない。仲間たちの動きも、いつも通りだった。
でも——何かが、違った。
「……セリア」
ゼノが声をかけてきた。
「……何だ」
「お前、さっきから黙ってるが、何か考え事か?」
「……いや、何でもない」
私はそう答えた。
ゼノは私を見つめていたが、やがて視線を逸らした。
「そうか。まあ、無理するなよ」
「……ああ」
会話が途切れた。
再び、静寂が訪れる。
炎が、揺れていた。
私は火を見つめながら、心の奥底で呟いた。
……何かが、おかしい。
でも、それが何なのか——まだ、わからない。
ただ、この違和感だけが——確かに、私の中に残り続けていた。




