第101話 夜の静寂
332階層。
階段を下りると、そこは薄暗い空間だった。天井は低く、壁は黒い石でできている。松明の光が、オレンジ色の影を作り出していた。
「……ここで休もう」
リオンが提案した。
「……もう、かなり進んだ」
「……ああ」
みんなが頷いた。
私たちは——空間の隅に座り込んだ。荷物を下ろし、水筒を取り出す。冷たい水が、喉を潤す。祝福の効果で疲労は少ないが、それでも休息は必要だった。
「……結構進んだな」
ケインが呟いた。
「……300階層から、332階層まで」
「……ああ」
ゼノも頷いた。
「……よくやった」
「……まだ、先は長いけどね」
エレナが言った。
「……500階層まで、あと168階層」
「……気が遠くなるな」
リオンが笑った。
みんなも、笑った。
だが——その笑いには、疲労の色が混じっていた。
私は——黙って水を飲んでいた。
168階層。
まだ、それだけ残っている。
そこに——答えがあるのか。
500階層に、全ての真実が。
「……セリア」
エレナが私を見た。
「……どうしたの? ずっと黙ってるけど」
「……いや」
私は首を横に振った。
「……何でもない」
「……疲れてるのか?」
ゼノが尋ねた。
「……少し」
私は答えた。
嘘だった。
祝福の効果で、体は全く疲れていない。
でも——心が、疲れていた。
「……なら、今日はここで寝よう」
リオンが言った。
「……見張りは、交代でやる」
「……分かった」
みんなが頷いた。
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夜。
ダンジョンに、夜はない。
時間の感覚もない。
でも——私たちは、体内時計で「夜」を感じていた。眠る時間だと、体が知っている。
みんなが——眠りについた。
リオン、エレナ、ケイン、ルナ。
四人は、壁に背を預けて座ったまま眠っている。規則正しい寝息が、静寂の中に響いていた。
ゼノが——見張りをしている。
空間の入り口を見つめて、剣を膝に置いている。
私は——眠れなかった。
目を閉じても、眠れない。
頭の中が——騒がしかった。
色々なことが、渦巻いている。
300階層での別れ。
剣に支配された冒険者。
327階層での祝福。
全てが——繋がらない。
バラバラのまま、頭の中を漂っている。
「……セリア」
ゼノが小さく声をかけてきた。
「……眠れないのか」
「……ああ」
私は目を開けた。
ゼノが、こちらを見ていた。
「……俺もだ」
ゼノが笑った。
「……見張りだからな」
「……」
私は——ゼノの隣に座った。
二人で、入り口を見つめる。
静寂。
ただ——仲間たちの寝息だけが、聞こえる。
「……なあ、セリア」
ゼノが口を開いた。
「……何だ」
「……お前、本当に記憶がないのか」
「……全部じゃない」
私は答えた。
「……断片的には、ある」
「……断片的?」
「……ああ」
私は頷いた。
「……でも、思い出そうとすると——霧がかかったみたいに、ぼやける」
「……そうか」
ゼノが呟いた。
「……辛いな、それは」
「……」
私は——何も言わなかった。
辛い、のか。
分からない。
ただ——不安だった。
自分の過去が、分からないということが。
「……なあ」
ゼノが続けた。
「……もし、記憶が全部戻ったら——お前は、どうする」
「……どうする?」
「……ああ」
ゼノが頷いた。
「……もし、300階層で別れた理由が分かったら」
「……もし、500階層で何があったか分かったら」
「……お前は、どうするんだ」
「……」
私は——考えた。
もし、記憶が戻ったら。
もし、全てが分かったら。
どうするのか。
「……分からない」
私は正直に答えた。
「……でも——」
「……真実を、知りたい」
「……そうか」
ゼノが笑った。
「……やっぱり、お前らしいな」
「……」
私は——入り口を見つめた。
暗闇が、広がっている。
この先に——真実がある。
500階層に。
「……ゼノ」
私は口を開いた。
「……何だ」
「……お前は、なぜここまで来たんだ」
「……え?」
ゼノが驚いた顔をした。
「……いや、お前と一緒に潜るって決めたからだろ」
「……そうじゃなくて」
私は言葉を続けた。
「……お前は、もともと200階層まで行った」
「……なぜ、また深層へ来たんだ」
「……」
ゼノが——少し黙った。
そして——遠い目をした。
「……俺には、理由がある」
ゼノが静かに言った。
「……剣の秘密を、知りたかった」
「……剣の秘密?」
「……ああ」
ゼノが頷いた。
「……俺の剣は、よく囁く」
「……『もっと深く』って」
「……最初は、無視してた」
「……でも——200階層を超えたあたりから、囁きが強くなった」
「……耐えられないほど、強くなった」
「……」
私は——黙って聞いていた。
「……だから、俺は地上に戻った」
ゼノが続けた。
「……でも——囁きは、止まらなかった」
「……地上にいても、ずっと囁いてる」
「……『もっと深く』って」
「……だから——」
ゼノが私を見た。
「——答えを見つけたかった」
「……なぜ、剣は囁くのか」
「……なぜ、深層へ誘うのか」
「……その答えを」
「……そうか」
私は頷いた。
「……俺も、お前と同じだ」
ゼノが笑った。
「……真実を、知りたい」
「……だから、ここまで来た」
「……」
私は——ゼノを見つめた。
彼の目には——決意が宿っていた。
真実を知るという、決意。
「……セリア」
ゼノが言った。
「……もし——真実が、残酷だったら」
「……お前は、耐えられるか」
「……」
私は——考えた。
真実が、残酷だったら。
耐えられるか。
「……分からない」
私は答えた。
「……でも——」
「……知らないよりは、いい」
「……そうか」
ゼノが笑った。
「……なら、一緒に行こう」
「……真実まで」
「……ああ」
私も頷いた。
静寂。
二人で、入り口を見つめる。
時間が、ゆっくりと流れていく。
「……なあ、セリア」
ゼノがまた口を開いた。
「……何だ」
「……お前の剣——空虚の剣」
「……あれ、本当に何も宿ってないのか」
「……」
私は——自分の剣を見下ろした。
空虚の剣。
327階層で、光った。
でも——それ以外は、何も反応しない。
「……分からない」
私は答えた。
「……でも——囁きは、ない」
「……そうか」
ゼノが呟いた。
「……羨ましいな」
「……囁きがないって」
「……」
私は——何も言わなかった。
羨ましい。
そうかもしれない。
でも——囁きがないということは、同時に——孤独だということだ。
他の人たちは、剣と対話している。
前の持ち主の声を聞いている。
でも、私は——何も聞こえない。
ただの、沈黙。
「……セリア」
ゼノが私の肩を叩いた。
「……大丈夫だ」
「……お前には、俺たちがいる」
「……」
私は——ゼノを見た。
彼は——笑っていた。
温かい、笑顔。
でも——。
その瞬間、私は気づいた。
ゼノの笑顔が——一瞬、固まった。
まるで——絵画のように。
「……」
私は目を細めた。
気のせいだろうか。
「……どうした?」
ゼノが不思議そうに私を見た。
「……いや」
私は首を横に振った。
「……何でもない」
「……そうか」
ゼノが前を向いた。
私は——また入り口を見つめた。
だが——心の中では、違和感が残っていた。
今の——。
今の、ゼノの笑顔。
何かが——おかしかった。
でも、それが何なのか、分からない。
「……ありがとう」
私は小さく言った。
「……礼はいらない」
ゼノが笑った。
「……仲間だからな」
静寂。
だが——それは、心地よい静寂ではなかった。
何かが——引っかかる。
ゼノの笑顔。
その固まった瞬間。
まるで——時が止まったような。
「……」
私は——考えるのをやめた。
疲れている。
頭が、おかしくなっている。
だから、変なことを考える。
ゼノは——ここにいる。
確かに、ここに。
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どれくらい経ったのか。
時間の感覚が、ない。
でも——体内時計が、朝だと告げていた。
「……起きるか」
ゼノが立ち上がった。
「……みんな、起きろ」
仲間たちが——目を覚ました。
リオン、エレナ、ケイン、ルナ。
みんな、ゆっくりと起き上がる。
「……おはよう」
エレナが微笑んだ。
「……おはよう」
私も答えた。
だが——その瞬間。
私は——また気づいた。
エレナの微笑みが——一瞬、固まった。
ゼノと同じように。
まるで——作り物のように。
「……」
私は目をこすった。
気のせいだ。
そうに決まっている。
「……よく眠れたか?」
リオンが尋ねた。
「……ああ」
みんなが頷いた。
私は——黙っていた。
眠れなかった。
そして——今、おかしなものを見た。
でも——それは、言えなかった。
「……では、行こう」
リオンが言った。
「……次の階層へ」
私たちは——荷物を背負い、剣を腰に下げた。
そして——階段を下り始めた。
333階層へ。
そして——その先へ。
私は——剣を握りしめた。
空虚の剣。
昨夜、ゼノと話したこと。
真実を知りたい。
その気持ちは——変わらない。
どんなに残酷でも。
どんなに辛くても。
私は——真実を知りたい。
500階層で、待っている真実を。
でも——。
心の奥底で、違和感が募っていた。
ゼノの笑顔。
エレナの微笑み。
一瞬、固まった表情。
何かが——おかしい。
何かが——違う。
でも、それが何なのか——。
まだ、分からない。
私は——その違和感を、心の奥に押し込んだ。
考えないようにした。
今は——ただ、前へ進むだけだ。
深層へ。
真実へ。
仲間と共に。
だが——足音を聞きながら、私はふと思った。
六人分の足音。
規則正しい、リズム。
あまりにも——揃いすぎている。
「……」
私は——首を横に振った。
考えすぎだ。
疲れているんだ。
みんなは——ここにいる。
確かに、ここに。
私は——そう自分に言い聞かせた。
階段を下り続ける。
一歩、また一歩。
深層へ。
真実へ。
そして——いつか、全てが分かる日まで。




