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「お前、私が気持ち悪くないのか?」
「全然。だって、雪ちゃんは雪ちゃんやもん。言ったやろ、これからもずっと一緒やって。
喧嘩しても、また仲直りしたらええだけのことやん」
雪乃は呆気にとられた表情をしていたが、やがて床にしゃがみ込んで息をついた。
「…………そういうとこなんだよな……………」
朱理が聞き返そうとしたとき、ぴくりと敏男の瞼が動いた。
二人は同時に気づき、食い入るように彼の顔を見つめる。
やがて、うっすらと、数ミリほどの薄さで目が開き、眼球が動いた。
「伯父さん……!!」
朱理は喉の詰まった声で言った。
「か、看護師さん呼ばな」
ナースコールに手をかけたとき、目を見開いたまま絶句していた雪乃が、強く押し止めた。
「いや、いい」
「え?」
雪乃は敏男の耳元まで顔を近づけると、ゆっくりと言った。
「親父。あんたの娘の雪乃だよ。聞こえるか?」
敏男の反応はほぼなかったが、黒目がかすかに動いたように見えた。
「いいか、よく聞け。死にゆくあんたに最期のはなむけだ。
私は誰とも結婚しないし、あんたの会社も、遺産も継がない。子どもも残さない。
――あんたがこの世に存在したっていう証拠は、一つ残らず消し去ってやるよ」
むごい台詞だったが、雪乃の口調は不思議なほど優しかった。
敏男の唇が間断なく震え、隙間から空気がひゅーひゅーと漏れている。
ピッ……ピッ……と音を立てていた心電図モニターの音が、少しずつ間遠になっていく。
「伯父さん?」
朱理は身を乗り出した。少しでも、何か言葉を聞き取れたらと期待して。
敏男は必死で唇を動かそうとしてか、口の端がわなないていたが、とうとう何も言わずに目を閉じた。
雪乃は敏男の手をとって握りしめる。その瞳に涙の気配はない。
「伯父さん……?」
やがて臨終を告げる平坦な電子音が病室に響いても、雪乃と朱理はずっと、敏男の顔を見つめ続けていた。
【終わり】




