52
「小日向さんは逮捕されたけど、千石さんを殺して、ケイちゃんの恨みを晴らせた。そして伯父さんは、もう死んでしまう。勝ち逃げってやつですね」
事業で成功し、妻と子どもを得て、一代で富を築き上げ、やりたいことはできるうちにやって死ぬと言っていた男。
でも、ちっとも幸せそうに見えないのは、どうしてだろう。
それとも死ぬ間際は、誰しもこんなふうなのだろうか。
「でも、もし伯父さんが、私と雪ちゃんを仲違いさせるために千石さんを利用したんやとしたら、それだけは失敗です。
だって私も雪ちゃんも、千石さんを取り合ったりせぇへんかった。恋敵にはならんかった。
確かに喧嘩はしたけど、雪ちゃんは戻ってきました。私たちは、これからもずっと一緒です」
朱理は右手に雪乃の手を握り、左手で敏男の手をとった。
二人の思いをつなぐように。
「……違うよ、朱理」
雪乃は低い声で言い、首を振った。
「お前は誤解してる。千石は餌だけど、それは久瀬翼をおびき寄せるためのものだ。
……お前と久瀬を引き合わせるために、千石は利用されたんだよ」
思いがけないところで翼の名前が出てきて、朱理は首を傾げた。
「私と久瀬さんを……?」
「お前、久瀬に惚れてるだろ」
「は?ないない、マジでやめて」
秒で否定すると、雪乃はかすかに笑った。
「ま、今はそうだろうけどな。でも、心のどこかで惹かれるものもあるはずだ」
朱理は胸に手を当てて、気持ちのありかを探ってみた。
(んー……ライオンキングを好きな気持ちあるかな?確かに、思ってたよりはいい人やったし、喋りやすいけど)
何せ翼の言動は、ときめきとか、ドキドキとはほど遠いものである。
「人は共通の敵を倒したり、一緒にトラブルを乗り越えると絆が生まれる。久瀬は必ずお前を助けるだろうと、親父は確信していた。だから『K』の名前で小日向蛍の情報を久瀬に送り、千石との見合いに巻き込んだ。そして小日向を使って車を突っ込ませたりして、久瀬がお前を守るよう仕向けた」
「えっ、じゃあ千石さんの調査を久瀬さんに依頼したのって、伯父さんやったってこと?あのトラックは小日向さんが運転してたん?」
「そうだよ。完全なる自作自演だ」
「やりすぎやろ……。そんな回りくどいことして、何になるん?百歩譲って、トラブルで絆が生まれて、私が久瀬さんのことを好きになったとしても、それで雪ちゃんと仲違いにはならんと思うけど」
翼の言った、『雪乃と朱理の間を引き裂く』という意味が、いまいちよく分からない。
首をひねっていた朱理は、はっとして身を乗り出した。
「もしかして雪ちゃん、久瀬さんのこと好きなん?!」
それは病室のシリアスな雰囲気とはかけ離れた、あまりにも牧歌的な質問だった。
修学旅行や休み時間に行われるような、そんなありふれた他愛のない会話。
「私が好きなのはお前だよ」
雪乃が投じた一石は、心の水面に美しい波紋を描いた。
言葉の響きが余韻を残し、朱理はまばたきするだけで、声を出すことができずにいた。
(雪ちゃん……?)
雪乃の横顔は凛としている。
潔いショートカットの髪に、くっきりとした目鼻立ちで、相変わらずの美人だ。
滲み出る品のよさは疑いようがない。どんな悪態をついていても、どんなに粗野に振る舞っても。
嘘をついているようには見えない。
だからといって、安易に受け入れることはできなかった。
もし不用意な発言をすれば、雪乃の心は壊れる。
そんな、薄氷の上に立たされているような心地だった。




