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病院についたところ、風間敏男は集中治療室に入っているとのことで、廊下には朱理の母が立っていた。
「お母さん」
朱理が駆け寄ると、気丈な面持ちをしていた母の顔が歪み、その場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。
朱理は母を抱きしめ、背中を何度もさすった。
泣きたい気分だった。
「ご容態は」
翼に尋ねられ、朱理の母は顔を上げた。
誰?と朱理に目顔で問いかける。
「あの、松村先生のところの弁護士さんで、久瀬先生。ここまで連れてきてくれはってん」
「ああ……朱理がいつもお世話になっております。このたびは、ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえ、とんでもありません。それで、風間社長は」
朱理の母は顔を曇らせた。
「一時間ぐらい前に意識を失って、そこからは危篤状態で……いつ『その時』が来てもおかしくないと、先生はおっしゃってました」
「そうですか……」
朱理の母はごくりと唾を飲み、「すみません、少し失礼します」と足早にトイレへ向かった。
きっと、思いきり泣きたいのだろう。
朱理も後を追おうとしたが、翼の腕に引き止められた。
見上げると、翼は首をゆっくり左右に振って、目で制した。
「やめておけ」というように。
(お母さん……)
たった一人の血を分けた兄が、この世を去ろうとしているのだ。
その悲しみは察するに余りあるものだった。
(私にできることはある?)
朱理はガラス越しに伯父の姿を見つめた。
いくつものチューブに繋がれて、呼吸はしているものの、生気の感じられない半透明な体。
まるで魂が抜けかけていて、器だけが人間界に取り残されたようだ。
足音がして、小日向が隣に立った。血の気が引いて青ざめた顔をしている。
彼にとっても敏男は友人であり、長年仕えてきた存在でもあるのだから、心の痛手は相当なものだろう。
(初めて見た……小日向さんが、こんな顔するの)
廊下を離れ、携帯電話使用可能エリアでスマホを取り出すと、電話をかける。
もちろん相手は雪乃だ。
虚しい呼び出し音を聞きながら、出ないと分かっていても、百万回でも一億回でもかけるつもりだった。
ラインも送った。一通ではなく、十も二十も。
【雪ちゃん。伯父さんが危篤です】
【すぐに帰ってきて】
【会わないと 絶対後悔するよ】
【今ならまだ間に合うから】
【伯父さんも私も待ってるから】
【お願い 帰ってきて】
祈るように――届かない祈りだと分かっていても、メッセージを送り続ける。
それぐらいしか、できることはない気がした。
時間の感覚が麻痺してしまったらしく、次に翼に声をかけられて、びっくりした。
「一旦帰って寝ぇ。送ったるから」
病院はとっくに診療時間を終えていて、辺りは真っ暗だった。
いつの間に、こんなに時間が経っていたのだろう。
「伯父さんは」
「意識は戻ってない」
手短に事実を告げるその声が、不思議と心に沁みた。
弁護士という職業柄、翼はこういうときの振る舞い方を知っているように見えた。
不用意な優しさこそが人を傷つけることも。
「朱理」
「お母さん」
「久瀬さんが送ってくれはるて。お母さんも一回家帰るから、一緒に来てくれる?」
「うん」
朱理はスマホを見た。返信も着信もない。
(雪ちゃん……)
残された時間は一秒ずつ、容赦なく削り取られていく。




