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泥棒のようにこそこそホテルの受付に行くと、やはりというべきか、既に精算とチェックアウトはすんでいた。
普段なら駅まで歩くのだが、とりあえずエントランス前に停まっていたタクシーに飛び乗る。
「ええーっと、とりあえず西区のほうまで行ってもらえますか」
「西区のどこまで?」
「靭本町あたりで降ろしてもらえたらありがたいんですが」
「はい、分かりました」
車がホテルのロータリーを曲がろうとしたところで、朱理は短く叫んだ。
「雪ちゃん!」
間違えようがない。雪乃だ。
オリエンタルな雰囲気と西洋的な顔立ちを併せ持ち、一度見たら目が離せないような、とんでもない美人。
Tシャツにデニムのショートパンツ、すらりと伸びた長い脚、涼しげな切れ長の瞳を長い睫毛が縁どっている。
聞こえたはずもないだろうに、雪乃ははっきりと朱理を見た。
大きく腕を振り、大声で何事か言いながら近づいてくる。
「すいません、止めてください」
朱理は言い、タクシーは路肩に停車した。
ドアが開くと、雪乃はしなやかに体を滑り込ませてくる。
「雪ちゃん、何でここに」
パン!!!と破裂音がして、鋭い痛みが弾けた。
頬を叩かれたということに気づくまで一秒足らずの間、朱理は息をするのも忘れて呆然としていた。
「……ふざけんなよ、朱理」
低い声で言うと、ワンピースの胸倉を掴んで引っ張られた。
「何やってんだよ、お前!!ふざけんな!!」
あまりの剣幕に、物も言えず硬直する。
運転手が何か声をかけたが、朱理には聞き取れなかった。
「出してくれ」
代わりにドスの利いた声で雪乃が指示し、車は滑るように走り出した。
社内には重くしめやかな、お通夜のような空気が漂っている。
雪乃は腕を組み、険しい顔で前方を睨みつけている。
怒りなどという生半可なものではない。激怒だ。
空気中に火花が散っているのが見えそうなぐらいだった。
(何で……)
あまりにも怖すぎて、朱理は身を縮めているしかなかった。
なぜ、雪乃はこんなにも怒っているのだろう。なぜ、こんなに早く居場所が分かったのだろう。
「まさかお前が、これほど馬鹿とは思わなかった。簡単にお持ち帰りされやがって」
「違っ」
「されてんだろうが」
人さし指で額を小突かれ、朱理は不服を唱えた。
「違うって。千石さんは多分、私が具合悪くなったから、部屋で休ませてくれはったんよ」
「どうせ何も覚えてないくせに」
ずばりと指摘されて、朱理はうつむいた。
(そりゃ、そうやけど……)
どうやって部屋に入ったのかも、どうやってバスローブに着がえたのかも覚えていない。
部屋に入った後、千石貴文がどこにいて、何をしたのかも。




