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小日向英輔が朱理の実家を訪れたのは、翌日のことだった。
一人暮らしの朱理は、月に何度か実家に帰るのだが、今日はちょうど薬局のバイトが終わったばかりだったのでお腹をすかせていた。
「お母さん、ご飯はー?」
「おかえり。お客様やで」
玄関先で出迎えた母は、朱理の耳元で小声で呟いた。
「小日向さん、三時ぐらいから待ってはるねん。お母さん気ぃ使って気ぃ使って大変やったわ~」
「ええーっ!」
チェックのスリッパに履きかえると、小走りでリビングのドアを開ける。
ソファーに腰かけていた初老の紳士が立ち上がり、恭しく頭を下げた。
「お帰りなさいませ、朱理お嬢様」
「ぎゃっ!そんなそんな、やめてくださいっ」
朱理は慌てて手を振った。
敏男や雪乃はともかく、ド庶民の自分が、こんなVIP待遇をされるいわれはない。
「お待たせしてしまってすみませんでした」
と言いながら見ると、母が目配せして部屋から出ていくところだった。
まだ父は帰ってきていないため、二人きりの空間になる。
「とんでもございません。朱理お嬢様、このたびは誠に申し訳ございませんでした。わたくしの不手際で、別の方が帝国ホテルにいらしたと聞き及びました」
「じゃあ、あのとき小日向さんはいらっしゃらなかった……?」
「はい。あいにく社長に来客がありまして、その方の送迎を行っておりました」
「そうですか……。それが雪ちゃ、雪乃さんも来られなくって」
「はい、そのように伺っております。全てはわたくしの不徳の致すところ。どのような罰も受ける所存でございます」
小日向が床にひざまずこうとしたので、朱理は「いやいやいやいや!」と声を上げた。
「全然いいんです、全然。ただ、伯父さんに申し訳なくって。雪乃さんのお見合い相手に会って、どんな人か確かめるつもりやったんですけど、できなかったので」
「社長もそれは大層残念がっておいででした。しかし朱理お嬢様には、くれぐれもよろしくお伝えせよとのことで」
言いながら、小日向は胸ポケットから優雅な仕草で小箱を取り出した。
見るからに高級そうな、布張りの箱だ。
目をぱちぱちさせていると、手を取って箱を握らされる。
「こちらは心ばかりの謝礼です。どうかお受け取りくださいませ」
開けると、目がくらみそうな大粒のダイヤのネックレスが入っていた。
間違いなく、何百万もする代物だ。
「いやいやいやいや、受け取れません、こんなん」
朱理は震えあがって断ったが、小日向は頑として受け入れようとしない。
「社長は明日をも知れぬお命です。力になってくださった朱理お嬢様に、せめてもの御礼がしたいとおっしゃっておられました」
「せやけど私、何もしてませんもん」
ご飯をご馳走になり、雪乃と電話し、謎のライオンキングと会っただけだ。
こんな高級品をもらう理由がない。
小日向は哀しげな微笑を浮かべている。
美しい白髪の頭、皺の刻まれた理知的な表情、上品な立ち振る舞い。
まるで往年の映画俳優を思わせる雰囲気がある。
「……何で雪ちゃんは、そんなにお見合いを嫌がるんでしょう。お父さんが大変なことになってはるのに」
(そんなに仲悪いなんて、知らんかった)
昔、家に遊びに行ったときは、普通の親子関係だったと思う。
朱理の知らない間に何かあったのだろうか。
「朱理お嬢様。一つご提案がございます」
静かな声が言い、朱理は顔を上げた。




