008 全然安全じゃない
とりあえず挙手をする。
「質問よろしいでしょうか、教官」
「はい、サツキさん。なんでしょうか」
「なんで僕は刀を握っているんでしょうか」
こちらに渡って一週間、朝早くから僕は天野さんに呼ばれ、水晶宮の一角にある運動場のような広場にいる。
今日から、「この世界で生き残るための勉強を始めるっす」と言われ、この現状に至る。
ほとんど説明なしだ。一応、この世界の常識を教えてくれるそうだ。
「いい質問っすね。刀を握らないと死ぬからっす。以上、始め!」
何を?
言葉が足りないのを、勢いで誤魔化そうとするタイプだ。
「先生、何言ってるか全っっ然分かりません」
「じゃ、逆に聞くけど、刀持っている相手に素手で戦うっすか?」
「だから、なぜ戦う」
「人は何故争うのかという哲学的なことは分からないっす!」
誰もそんな根源的なことは聞いていない。
「いやいやいや、もっと表層の浅いところの回答が欲しい」
「んー、どこから説明したらいいのか…。要は就職活動っす。仕官するのに必要だからっすよ」
この人は根本的に説明が下手だと思う。感覚で答える派の人だ。
それ以上に、僕に最低限の知識がないのも拍車を掛けているんだろうな。
「この世界の人間は、大まかに二つに分けられます」
「魔力を持っている人と、それ以外っす」
「さっちゃんは持ってる方っす。おめでとうございます」
一人だけの乾いた拍手が響き渡る。
「で、持ってる人の職業がほとんど軍人なんっすよ。だから刀が必要」
「以上!」
以上じゃないんだが。
「教官!一応聞きますが、他の職業はないんでしょうか」
生き死にに関しては別に問題ではない。
僕の命も相手の命もどうでもいい。
勝手に決められるのがね。
「そうですね。この世界にも様々な職業もありますし、あなた方の世界で言う職業選択の自由もあります」
そんな言葉も知っているんだ。ちょっと驚き。
「でも、あなたに限ってはありません。あなたは力がありすぎる。周りが自由でいることを許さないでしょう。ただそれだけです」
急に真顔で言われた。
「望む望まず、あなたはその力の使い方を選ばなければならないのです。何にもなれて、なれない」
「だからあなたは、この世界で最も自由で不自由な人間の一人かもしれませんね」
―――と、言うと
「まっ、とりあえずは力の使い方を学びますか。使う使わないは自由、学んでおいて損はないっすからね」
いつもの笑顔で締めた。
――――――――――――――――――
「いいっすか、この世界では如何に刀に魔力を籠めて斬るかが全てっす」
この世界は物騒だな。
「難しく考えることは何もないんすよ」
そう言って地面に突き立てられた鉄柱を、細身の刀で斬って見せた。
音もなく、バターを斬るように鉄柱は崩れ落ちた。
異世界を実感させてくれる。
「見てください。刃こぼれ一つしてないっしょ」
深夜通販番組の包丁販売みたいに、僕の目の前で刀身を見せた。
「わあ、すごいわー。私も一本欲しい」
サクラ役の主婦みたいな感想を言ってしまった。
「真面目に聞く!」
怒られてしまった。
「もちろん、魔力を籠めないと刀身の方が折れるっす」
「先生!魔力の意味が分かりません」
当たり前だ。元の世界にない概念だ。
どうしろと言うんだ。
「確かに分からないと思います。そこは私は考えました。先生はちゃんと考えてるんっすよ」
「これを覚えないと学校に行けませんからね。とりあえず、まぁ、……ちょっとだけ痛いかもしれないっすが、これで……」
「僕は焦ってないので、とりあえず安全なやつをお願いします。初心者用の指導お願いします」
「大丈夫っす。これは一番簡単で実績もあるやり方っす。あっ、さっちゃんは朝ごはん食べちゃったっすよね」
食べちゃった、の部分が気になる。
「食べた」
「まぁ、大丈夫っすかね。安全は安全っすから」
「さっちゃん、手出して」
僕は、右手を差し出す。
天野さんは、そのまま僕の右手を握り――――
その瞬間、雷に打たれたように、僕の体は痙攣した。
そのまま崩れ落ちるように倒れ、
「うげえええええぇー、うぼっうえええええ」
朝食を全部吐いた。
「な、何したの…うええええええええぇ」
「直接魔力を流し込んで、道を作ったっす」
視界が反転し目が回る。
「ちょおおおおっと苦しいですが、さっちゃんなら行けるっすよ」
どこに。
天野は僕の背中を擦っている。
「たぶん、これで道ができたっすから、魔力が感じられるっすよ」
――――――――――
僕は運動場の木陰で天野さんに、腹の中が落ち着くまでの間、膝枕してもらっている。
ちょっと恥ずかしい。
そう言えば、母親以外は初めてじゃないだろうか。
今日はこれで終わりにしよう。
僕は心の中で、勝手に訓練を終わらせていた。
「天野さん、聞いていいかな」
「何っすか」
「天野さんは何歳なの?」
大した理由はないが聞いてみた。
「女性に歳を聞くもんじゃないっすよ」
天野は手で寝ている僕の目を覆った。
それはかなり歳のいった人の台詞じゃないだろうか。
不思議だ。
普段は見た目どおりの女子高生といった感じだが、ときどき何歳なんだと思わせる言葉…というか雰囲気がある。
膝枕も心地いいし。
「天野さんは、こっちの世界の人?」
天野は答えない。何でそんな質問をしたのだろう。
「そんな賢しいことを考えてると、嫌いになっちゃいますよ」
心地よい風と、目を閉じられたことによる眠気で、いつの間にか僕の意識は彼方へと飛んでいた。
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膝枕とか割と気にしない人