002 宇宙より遠い場所
水晶宮は、全長10粁を超す宮殿であり、それ自体が国である。統治形態的には人口一万人を抱える都市国家と言っていいだろう。
10粁を大きいと捉えるか小さいと捉えるかは人様々だが、この世界における中心であることは否定しようがない。政治の中心となっており、文化の発信点であり、大概の事件・謀略の核心となっている。
宮殿内を説明すると、宮殿本来の用途である王の住居の他、その従者の住居、病院、学校、裁判所等々あり、変わりどころで言えば植物園や動物園も備わっている。
もっともそれらの施設の役割や機能も、この宮殿が作られた本来の用途を考えれば付属でしかない。
つまりこの宮殿の本来の姿は、この世に転生してくるであろう異世界からの来訪者を待ち受けるための施設なのだ。面白い話だと思う。
要は、転生者がよく転移する場所に宮殿を築いただけの話である。
この国の歴史書である、「正史」「後宮日記」「六代軍制記」等々には、主人公である鞍馬サツキが水晶宮天星殿雨ノ間にて転生するの一文しか記録されていない。
不思議である。水晶宮には当時でも数千人規模の官吏が働いている。言ってみればその当時の一流の物書きが一堂に集まっているわけだが、後世に自分の文章を残そうと研鑽している最前線の現場にあって、これほどの題材を一文で済ませるわけがないと。
筆者としては、何らかの改竄やら隠蔽があったと睨んでいるわけだが、残っていなければしょうがない。小説の体をとっているので歴史書には縛られないと言い訳をする。
――――――――――――――
鞍馬サツキはポツンと部屋の中央にいる。
ここはどこなんだろう。僕は…、そう、僕である。
直前の記憶を掘り起こせば、僕は死んだのか…。三途の川を渡るイベントはなしか。
いや、あったか?
思い出せない。
即決裁判・即地獄行きの判決が下された可能性もあるが、妙な現実感がある。死ななかったと考えるのが普通だが、絶対に死んでいる確信がある。いや、死んでなきゃ困るくらいの状況だ。
んー……、どうしたものか。
あれだけのことをして生き残っても。
生きる意味のない世界で生きても…ね。
人は生まれたら必ず死ぬ。――というのは数少ない客観的妥当性のある事実ではあるが、いやはやどうしたものか。死んだら生き返ることもある、というのは新しい真理なのか。
手を握ってみる。僕の意思に従い、手が開いたり閉じたりする。
僕の手だ。…というか、よく見たら僕は裸だった。
すっ裸じゃん。
「まいったな…」
本当にまいった。
体に異常も違和感もない。
体に異常はないが異常事態ではある。緊急事態と言ってもいい。
普通、キャラメイク画面でも下着くらいは着けている。装備品がないどころじゃない。『裸一貫』は自分の身体以外の資本を持たない状態のことだが、ここまで徹底した状態のことは言っていない。
気が付いたらいきなり素っ裸な、異世界転生ハードモード的なものなのか。
難易度ハードどころかナイトメアだ。しかも18禁だ。
鏡がないので顔は確認できないが、指先や体付き、あそこの毛の生え方(ほとんど生えてないが)とか、もうそんな事でしか判断できないが、とにかく自分でいいだろう。自分で言うのもなんだが、僕は可愛かったのだから容姿くらいは引き継ぎたいものだ。可愛くてニューゲームだ。
何でこうなったのか。
僕の最後の記憶は……、途切れがちだが、まぁ…覚えている。
結局、どうなったのだろうか。あっちは、すごいことになっていると思う。
ほんと、どうなったんだろう。
…と、やり残したことを考えても仕方がない。あるはずのない続きをやらされているのだ。
まずは現状を把握しなくてはと思ったところ、部屋の隅に椅子に座った女性が片膝立てて寝ているのに気が付いた。
女性はセーラー服の標準的な…からちょっと古風な女子高生といった出立だった。残念、裸族世界に転生した可能性を早々に捨てることになるとは。
異世界?にもセーラー服があるという事実に驚愕しながらも、やや短めのスカートからパンツが見えそうなのが気になる。
誘っているのか。痴女か。
だが、現状では間違いなく僕の方が変態度は高い。
高いどころか、そのものだ。
まぁ、今のところそっちの趣味はないが、自身が露出狂の変態と思われるのは心外ではある。
初っ端から異世界官憲に公然猥褻でしょっ引かれるのも情けないし、どうしたものか。
―――と悩んでいると、目の前の少女が目を開けていることに気が付いた。
「安心してくれ。僕は裸だが変態ではない。よろしいでしょうか」
「あら、まぁ。よろしっす。」
よろしいみたいだ。
「・・・・・」
少女は無言でじっと見てくる。
「あら、やだ。あなた男の子なのね」
男であることを隠してもしょうがない。素っ裸で隠しようがないのだ。
確かに背も低いし、女の子みたいな容姿だから仕方ない。……かもしれないが、一応ちゃんと付いている。
「見てのとおり男です」
どうだと言わんばかりである。前に突き出さんばかりの勢いだ。
「あら、可愛らしい」
あっちの感想は可愛らしいである。
少女が何か考えてる。
「あのー、すみません。寝過ごしたみたいで、今さっきこちらに来た人っすよね?」
っすよね。と、僕に確認されても困る。僕が聞きたいのだ。
こちらがどこを指しているのか、来たのか、運ばれたのか分からないが、僕は今ここにいるとしか認識できない。
意識する自分の存在だけはかろうじて信じられる。我思う故に我ありだ。
「あー、すみませんっす。女性が来ると勝手に思っていたので」
なるほど女性が来ると思っていたわけね。
「いえいえ、なーんだ、はっはっはっはっは!」
お互い笑いあう。
……もう笑うしかない。
まぁ、少し和んだところで
「とりあえず何か着る物を貰えますか」
「服はあるっすよ!」
と言った後から、あっ…と思い出したのか。
申し訳なさそうに、少女はそばに置いてあった包みを渡してくれた。
包みの中はセーラー服だった。
こちらの世界では男でもセーラー服を着る習慣があるのか、…と思い、少女の方を向いた。
あっ、目を逸らした。絶対、女性物だよ。
まぁ、問題ないんだけどね。
「大丈夫ですよ。僕、そういう趣味の男ですから」
「そうなの?」
「そうですよ。自分で言うのもなんですが、すっごく似合いますよ。むしろ、知ってて用意したんじゃないかと思うくらいです」
少女は少し考え込んで、
「そういうことなのか…」
少女は意味ありげに考え込んでいるが、僕にとってはそんなことはどうでもいい。とにかく隠したいのだ。
セーラー服に袖を通してみる。
ちょっと大きいのか、袖からやっと手が出る。
この春中学生になりましたのような初々しさだ。
まぁ、僕が小さいだけかもしれないが。
「ね。ばっちりでしょ」
「すみません、聞いていいっすか。女性じゃなくて、……男性っすよね?」
さっき見たでしょ、あれを。
昨今流行りの心は男性とかじゃなくて、とにかく男性である。
少女はまじまじと僕を見つめる。
どころか、胸を触ったり、股間に手を伸ばしてきた。
「すっごい似合うっすよ。これやばいっすよ」
鼻息が荒い。
もうなんか色んなところを、べたべた触りだしてきた。
「これは明日からの着替えが楽しみっすね」
「さいすーん。さいすーーーん」
この娘、急にテンション上げてきたな。
「もう、何かもったいないんで、これからずっと女装でいいっすよね」
「まぁ、構わないですけど、しいて言えばスカートより半ズボンがいいです」
「そうですか……、似合っているのに」
「僕の中の妥協点です」
世間体がね。こっちはどうか知らないが、あっちでは苦労することが多かったからね。
さて、当初?の目的である服を手に入れたので、話を聞くことにしますか。
「で、これはどういう状況なのかな。それと、この服を用意した理由を聞かせてもらってよろしいですか」
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一説によれば、鞍馬サツキは非常に容姿端麗で女性の様な顔立ちだったという。
これが、一部史家の間で囁かれる『鞍馬サツキは女性であった』という説の論拠の一つとなっている。そもそも名前からして女性っぽい。この説を補強する証拠として、現存する図画や文書を精査したところ、当時流行した女性用戦闘衣であるセーラー服、下を短丈下衣という出立で戦場を闊歩していた鞍馬サツキの姿が確認されていることを挙げている。
一見女性と見紛う容姿と、女性っぽい名前、どちらとも受けとれる服装を好んで着用していたことが歴史家を混乱させているのだ。
当時の女装に対する偏見と、性別に対する混乱、国策としての英雄像等々、少なからず転生直後の記録に影響しているのではないだろうか。…と筆者は想像する。
鞍馬サツキ