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逆さ合わせの鏡の向こう

作者: 雪花


 広い、広い図書館。誰も立ち入ることのない、大きな図書館。世界にたったひとつだけ存在する図書館には、ひとりの番人がいた。誰も立ち入れないよう、今日もその門を守っている。


 狭い、狭い部屋。たったひとりだけが入れる部屋。目に痛い光を放つコンピュータが机に置かれている。今日も世界中のネットワーク内の情報をたったひとりで管理している。世界に住む多くの人の平和のため、全ての情報が管理される。管理人は、ただひとり。今日も目の前のコンピュータと向き合っている。


 〜


 毎日コンピュータと向き合う日々。それは酷く退屈で、逃げ出したいとも思う日々。それでも、これは私の仕事だからと、毎日コンピュータと向き合っている。

 この世界は情報で溢れている。かつて多くの争いが起きた。人種、宗教、国家間の問題や価値観の相違によって、世界は滅亡の危機にまで迫られた。世界の立て直しのため、国家は無くなり、世界はひとつになった。言語を統一し、様々な宗教は全て統一して二分割された。現状、宗教はひとつとされ、この世界の人々は宗教を信じる者と信じない者で分かれている。この時、再び争いが起きないよう、どちらも尊重すべきという考えを、幼い頃から刷り込まれるように教えられる。


 科学技術が発達し、世界中の各地に設置されたワープゲートにより、一瞬で星の裏側までの移動が可能になった。犯罪を防ぐ目的のため、人々は常にカルディアと呼ばれるデバイスを着けることが義務付けられている。生まれながらに必ずひとつ持つカルディアは、その人の思考を読むことができる。

 開発当初は人権問題でかなり揉めたそうだが、今は世界中に浸透し、犯罪や自殺などを防ぐために役立っている。そのために、一部の適性者がその仕事を担っている。適性者の基準は秘匿され、適性ありと判断された者は、幼い頃からその未来を決められる。

 私もそのひとり。


「よーし、今日も頑張るぞー!」


 かつては己の未来を呪ったことがあった。それでも、今は私にできることを精一杯やってみようと、毎日明るく生きている。十五歳で世界情報管理者(ディレクシオン)の仕事に就いて早二年。十七歳、日葵。

 いつものように仕事をしようと部屋に入ると、そこにあった鏡が突然光だした。科学の時代である今、この不可思議な現象が何か分からない。


「えっ、えっ? な、何、これ……」


 恐る恐る鏡を覗き込むと、光が消えて、鏡の中に人の姿が映った。白い髪に、赤い瞳の、私と同じくらいの男の子。鏡の中から私を見ているようだった。


「君は、誰だ……どうして鏡の中にいる?」

「えっ、あ、私は……いや、私からしたら、鏡の中にいるのはあなたよ! あなたこそ、誰なの?」


 鏡の中にいる男の子からは、私が鏡の中にいるように見えたらしい。驚いた顔でこちらを見ながら、何かを考えて言葉にした。


「俺はテア、図書館の番人だ。君は?」

「私は日葵、世界情報管理者(ディレクシオン)。図書館って、もしかして本があるの?」

「君……日葵のところにはないのか? それに、ディレクシオンってなんだ?」

「知らないの?」


 世界情報管理者は誰もが知る役職名。仕事内容は知らないけど、役職名としては知っているはず。それに、もう世界中で廃棄されたはずの紙の本があるなんて、一体どうなっているのか。

 それに、図書館の番人とはなんだろう。図書館もずっと昔になくなって、もう世界中どこにもないはずなのに。


「本は全部電子化されているし、図書館もずっと昔に廃止されて、もう世界中どこにもないはずよ」

「デンシ……俺のところは、本しかないよ。いつからかは分からないけど、この図書館の番人になる前の記憶はないし、番人になってからはここから出られないんだ」

「もしかして、電子化を知らないの? コンピュータは?パソコンとか、カルディアは?」

「ごめん、知らないな。図書館にある本の内容は頭に入っているから、多分こっちにはないんだと思う」


 でも、カルディアはこの世界に生きる全ての人が生まれながらに持つ物だ。知らないはずがない。コンピュータ、電子化、テアの言っていることは、私の常識と何もかも違う。どうしてだろう。

 本は昔、戦後の復興で世界が統一された時に全て電子化されて、ネットワーク内に移行された。紙の本は全て廃棄され、今は全てネットワークから閲覧ができるようになっている。図書館は紙の本が廃棄されると同時に自然と無くなった。


「鏡は自分を映し出すと同時に、異界へ繋がる物ともされている……」

「どういうこと?」

「多分、俺とヒマリは別の世界にいるんだ。昔から、鏡は異界──別の世界に繋がるとも言われている。だから多分、何かの拍子に俺とヒマリの世界が繋がってしまったんだ」


 別の世界にいるから、常識が違う。私の世界には本がなくて、テアの世界には……多分機械がない。なら、どうやって生活しているんだろう。原始時代のような生活かとも思ったけど、テアの服はある程度の裁縫技術の上で作られているように見える。

 私はたった数分でテアとテアの世界に興味津々だった。未来を決められて、敷かれたレールの上を歩いてきた。趣味もなくて、仕事しかしてこなかった。仕事で世界中の情報を管理するから、世界中のほとんどのことを知っていた。そんな私にとって、テアは全く未知の世界として、興味を持つに足るものだった。


「ねぇテア、今そっちは何時?」

「八時だよ」

「八時ね、じゃあ、毎日八時にここでお話ししてみない? また繋がるかは分からないけど、試してみても良いと思うの!」

「良いね。また繋がるかどうかは置いておいて、俺もここだと退屈だったし、話し相手が欲しかった。じゃあ、また明日の八時にここで会おう」


 テアは鏡から離れていき、私の目の前の鏡は再び自分の姿を映す。触れてみるが、やはりただの鏡だった。長く真っ黒な髪と、青い瞳。まるでテアと正反対な私。キラキラと光を反射する、あの綺麗な白い髪が目に焼き付いて残っている。また明日、八時に会えると良いな。



 朝日で目が覚めて、いつも通りの日常が始まった。全自動で作られた食事を取り、いつも通り仕事を始めた。カルディアから読み取られた思考データは一時的に保存され、時間が経つと削除される。思考データから犯罪や自殺を予防するため、常に情報を収集している。

 私の仕事は、AIが反応した思考データを調べて、犯罪や自殺の予防をすること。反応した思考のほとんどは、犯罪にも自殺にも関係ないものが多い。感情の起伏が激しい場合も反応して、映画やドラマ、小説なんかの物語を読んだときや、告白、失恋などの感情にも反応する。

 犯罪に繋がりそうなら、対処のため警察に連絡するが、ほとんど通報したことはない。毎日つまらないデータを見続けている。


「そろそろお昼食べなきゃ……まだ十二時。テアとの約束までまだ八時間もある……」


 早くテアと話したくてウズウズしている。仕事は退屈だ。外から聞こえる話し声が羨ましく感じる。昔から決められていた今の仕事。そのために必要なこと以外教えてもらえず、お父さんとお母さんとも引き離されて育った。学校も行ったことがない。これからも、決められ縛られて過ごすしかないのかな。

 そう考えると少し怖くなってくる。何が適性と判断されたんだろう。どうして私が選ばれたんだろう。いつか外に出て、自由に過ごしてみたい。友達が欲しい。学校に通ってみたい。でも、この仕事は世界を守るために必要なものだから、私は……


「外に出たい、それが我儘なんて……酷いなぁ」


 八時になり、私は鏡の前に立つ。狭い部屋だ、椅子に座っても良いけど、なんだかソワソワしてしまって、大人しく座っていられなかった。八時、ふわりと昨日とは違う優しい光。鏡には私ではなく、テアの姿が映っていた。テアはふわりと浮いていて、私を見て笑っていた。


「テア、浮いてるの……?」

「そうだよ。昨日思ったけど、やっぱりヒマリの世界は魔法がないんだね」

「テアは魔法が使えるの!?」

「使えるよ」


 テアは鏡の前にある箱に座った。私も椅子を持ってきて向き合う。科学がない代わりに、テアの世界には魔法があるんだ。本物の魔法使いだ。凄い!


「ねぇテア、魔法を見せて! 他にも何か使えるの?」

「色々できるよ、ほら」


 テアの手には、光る球が浮いていた。他にも、水や火を出したり、風を吹かせたり、魔法は本当になんでもできた。テアの魔法なら、私の願いも叶えてもらえるかな?


「ねぇテア、私……友達が欲しいの。魔法で、友達ができるようになったり……しないかな?」

「俺はもう、ヒマリと友達だと思ってるよ」

「……本当? 私、テアと友達でいいの!?」

「良いに決まってる」


 私はテアと友達になった。その日から、毎日八時にテアと鏡越しに話していた。テアは本物の魔法使いだった。私が外に出たいと言えば、次の日には外に出られるようになっていた。学校に行きたいと言うと、来年から学校に通えるようになった。頼んだことはないけれど、テアは私のやりたいことをなんでも叶えてくれた。

 私は外に出て、友達ができた。でも、一番の友達はテアだった。私の世界はテアのおかげで幸せになった。仕事ばかりでつまらなかったのに、テアのおかげで外の世界に出ることができた。


 そんなある日、コンピュータから警報音が鳴り響いた。調べてみれば、政府の一部の人間が、戦争を起こそうとしていた。武器の密造、戦力を集めていた。いつ戦争が起こってもおかしくない。でも、私はどうすれば良いの?

 政府は警察より高い権限を持っているし、私なんて政府を相手にできる程力がない。ただの代えの効く人間だもの。私はこの世界を守るために、この仕事をしているんじゃないの? そのために、ずっと我慢してきたはずなのに。


(そうだ、テアなら……テアに相談すれば!)


 夜八時、私は鏡越しにテアに泣きついた。


「テア、お願い。戦争を止めて欲しいの!」

「……落ち着いて、ヒマリ。大丈夫、俺は魔法使いだよ、なんとかしてみせる」


 テアはどこか寂しそうな顔をしながら、私にそう言った。その次の日、戦争を起こそうとしていた政府の一部は、警察に無事捕まった。テアの、魔法のおかげだった。それから数日、テアは鏡の前に現れなかった。


 テアと出会ってそろそろ一年。私は仕事を別の人に引き継いで、学校に通えることになった。自由が手に入った。それを、テアと喜びたかった。けど、あの日からテアは一度も鏡の前に現れていない。

 私の一番の友達で、私が一番好きな人。毎日八時、私は鏡の前で待っている。きっと、テアは来てくれる。今日こそ、今日こそと、諦めずに待ち続けた。


 そのまま、テアが鏡の前に現れることはなかった。


 明日はこの部屋から出て、家族の元へ帰らないといけない。この鏡は持って行けない。もう、テアとは会えない。私は八時になると、また鏡の前で待っていた。せめて最後くらい、テアに合わせて欲しい。

 その願いが届いたのか、鏡は淡い光を放った。鏡に映るのは、テアだった。笑っていた。


「ヒマリ……お別れだ」

「えっ……」

「ありがとう、俺の友達。俺が初めて好きになった、初めて会った、ただ一人の人」


 テアの言っていることが、分からなかった。けど、鏡に映るテアの後ろの景色が、前と違っていた。太陽が出ていて、明るい。壁はなくて、外に出ているみたいだった。鏡が少し斜めっていた。

 今は夜なのに、テアは朝だった。テアの後ろには、何もなかった。


「どうして……いやよ、私……テアとまたっ!」

「鏡は自分を映し出すと同時に、異界に繋がる物ともされている……」

「それ、テアが最初に言ってた……」

「これには、続きがあるんだよ。鏡は自分を映し出すと同時に、異界に繋がる物ともされている。そして……」


『鏡の向こうは全てが逆の世界』


「さぁ、ヒマリ。お別れだ。別の世界の、もう一人の俺自身。魔法が解ける時間だ」


 テアがそう言うと、鏡は割れて、二度と……何も映さなかった。

 


 過去の記憶がない。いつの間にか、この図書館に閉じ込められていた。外に出ようとすると、何か不思議な力に阻まれる。体が上手く動かなくなって、それでも無理矢理歩いてみれば、図書館と外との境界で透明な壁が阻まれた。どんなに頑張っても、俺は外に出られないのだと、早々に悟った。

 図書館から見える景色は荒野だった。図書館の一番高い場所から見ても、外には何もなかった。ただ、ギリギリ見える遠い場所に、壊れた建物が見えた。人は、いなかった。俺は、自分以外の人間を見たことがない。


 図書館にある本の内容は読んでもいないのに勝手に頭の中に入れられた。俺は本を読むまでもなく、内容を知ってしまった。

 この図書館は危険な本が多いから、誰も立ち入らないように番人がいる。俺はその番人。どうしてなったのか、いつから番人なのか、何も覚えていない。けれどそれは、俺が番人を続ける限り永遠に孤独だということを示していた。


 友達が欲しかった。誰かに会いたかった。外に出たかった。だから、魔法に頼った。鏡は自分を映す物。外に出られて、友達ができて、自由に生きられる自分を映してくれと、鏡に魔法を掛けた。けれど、映し出されたのは、自分とは全く違う女の子だった。


「えっ、えっ? な、何、これ……」


 黒い髪に、青い瞳の女の子。まるで正反対の、初めて見る人。驚く女の子を見て、鏡の中に人がいるようにも見えた。


「君は、誰だ……どうして鏡の中にいる?」

「えっ、あ、私は……いや、私からしたら、鏡の中にいるのはあなたよ! あなたこそ、誰なの?」


 女の子の言葉に、どこかの鏡と繋がってしまったのだと思った。そこまで得意ではない魔法が失敗したんだ。けれど、初めて会った人に少し興奮していた。明るい子だった、友達になれるんじゃないか。そう思うと、なんだか嬉しかった。

 彼女はヒマリと名乗った。不思議な響きの名前だと思ったけど、どこか暖かく感じる名前だとも思った。ヒマリの言葉は、どれも知らない物ばかりだった。


 ディレクシオン、コンピュータ、カルディア


 そして、ヒマリの住む世界には、本がないと言っていた。世界中で本がデンシカ? されて紙の本はどこにもないそうだ。そこで俺は気が付いた。俺とヒマリの世界は、別の世界だ。

 てっきりこの世界のどこかに繋がったものだと思っていた。けれど、ヒマリは世界中に本がなくて、世界中の人々がカルディアを持っていると言った。何のことか、俺にはさっぱり分からなかった。カルディアが何か知らない、俺は持っていない。この世界には本がある。ふと、何かの本の内容が引っ掛かった。


『鏡は自分を映し出すと同時に、異界へ繋がる物ともされている……』


 鏡は自分を映す道具。そして、異なる世界に繋がる扉のような役割もある。だから、俺は鏡に魔法を掛けた。幸せな自分を映し出して欲しかったから。そうして、ヒマリの鏡と繋がった。

 ヒマリは、別の世界の俺自身だ。正反対の髪と瞳に目が行きがちだが、よく見れば同じ顔をしていた。細かな違いは、性別の違いだと片付けられる程度だった。


 魔法は、成功していた。


 ヒマリは毎日八時に、鏡の前で会おうと言った。俺は毎日八時に鏡に魔法を掛けた。毎朝起きるのが億劫だった俺は、朝が楽しみになった。

 ヒマリの世界には魔法がなくて、俺の世界にはカガクがなかった。ヒマリとの話は、知らないことばかりで楽しかった。ヒマリも、俺の話を楽しそうに聞いていた。ある日、ヒマリは初めて俺に願い事をした。


「ねぇテア、私……友達が欲しいの。魔法で、友達ができるようになったり……しないかな?」

「俺はもう、ヒマリと友達だと思ってるよ」

「……本当? 私、テアと友達でいいの!?」

「良いに決まってる」


 ヒマリは、俺のただは一人の友達になった。ヒマリの言葉には、希望があった。未来を諦めてしまった俺と、未来に希望を抱くヒマリ。外に出られない俺と、外に出ないヒマリ。仕事を放棄して逃げ出してしまいたいと思っている俺と、仕事を頑張り続けるヒマリ。何もかも違った。

 ヒマリはいつも、外に出たい、自由になりたい、学校に行きたいと言っていた。俺は、叶えてあげたいと思った。過去を失った俺と、未来を決められたヒマリ。何もかも諦めてしまって、何もかも放り出してしまいたくて、希望もない俺より、真面目で、明るくて、いつも前向きに希望を抱くヒマリの方が、自由に相応しい。


『鏡は自分を映し出すと同時に、異界へ繋がる物ともされている。そして……鏡の向こうは全てが逆の世界』


 本当は、外に出てみたかった。自由になりたかった。けれど今は、それ以上にヒマリを自由にしたい。ヒマリの願いを叶えたい。


「俺に任せて。ヒマリの願い、俺が魔法で叶えるから」


 ヒマリの世界は、この世界とは何もかもが真逆の世界。なら、俺が今のヒマリと同じ環境になれば、ヒマリの願いは叶う。自己犠牲なんて烏滸がましい。そうも思ったが、それでも、これは俺のためだから。ヒマリは俺が、初めて会った人。初めての友達で、初めて好きになった人。

 例え真逆の世界にいる自分自身だとしても、この感情は本物だから。俺の中で、勝手に自分が好きになれたような気分にもなれた。俺は諦めてしまったから、せめて……別の世界の自分くらい、幸せになっても良いはずだ。


 外に繋がる窓や扉を全て閉ざした。次の日、ヒマリは外に出られるようになったと、嬉しそうに話していた。いつか学校に通ってみたいと言うヒマリに、叶えてあげると言った。元々学校なんて行っていない俺は、図書館から出ずに学ぶことをやめた。次の日、ヒマリは来年から学校に通えるようになったと話していた。とても楽しそうだった。

 俺の世界は、ヒマリ一人だけで良い。だから、ヒマリの世界では沢山の友達に囲まれていて欲しい。この世界への諦めが強くなると同時に、ヒマリの世界への憧れや希望が強くなる。どうせ、争いが絶えない滅びかけの世界だ。希望なんてない。


 昔は知らぬ間に増えていた本が、全く増えなくなった。最後に書かれた本の内容は、世界規模の戦争が起こったという、誰かの日記だった。今も続いているのか、それとも世界が先に滅んでしまったのかは、俺には分からない。

 そんなある日。俺はいつも通り八時に鏡に魔法をかける。その日は、ヒマリが泣きそうな顔をしていた。


「テア、お願い。戦争を止めて欲しいの!」


 ヒマリの世界で、戦争が起ころうとしていた。その瞬間、図書館に一冊の本が入った。ずっと新しい本なんて作られていなかったのに。

 この世界が平和に向かおうとしている。戦争が終わろうとしている。けれど、新しい本の内容が頭の中に流れ込んできて、すぐに落胆した。生き残っている人が少な過ぎて、これ以上戦争ができないから、もうほとんどの人が生きていないから、戦争が終わるのだ。

 人がいなくならないと戦争が終わらないこの世界に、希望なんて持てるだろうか。ヒマリの世界を犠牲にしてまで、この世界は平和になるべきか。俺の答えは、否だった。


「……落ち着いて、ヒマリ。大丈夫、俺は魔法使いだよ、なんとかしてみせる」


 どうせ、もう生き残った人もほとんどいない。いつ滅びてもおかしくない世界。俺は好きになれなかったこの世界。ヒマリのためなら、ヒマリの世界こそ、幸せになるべきものなんだ。ヒマリはきっと、自分の世界が好きだから。


 どんどん逆になっていく。元々逆でなかったものまで、時間が経つにつれ、逆さまになっていく。いずれ命ですら逆さまになってしまいそうだ。

 なら、先に俺がなんとかしよう。この世界はもういらない。この世界を滅ぼして、ヒマリの世界を生かす。最後に逝くのは、俺自身。


 図書館を壊して、世界を壊した。世界中を飛び回って、最後に残った人々を全員滅ぼした。長い、長い時間を独りで過ごした。こんな世界、なくたって困らない。俺の生まれた世界、俺が育ったはずの世界、俺の……大嫌いな世界。


 クタクタになって、もう動けないと思った。このまま逝くのも良いかと思った。けれど、最期。もう一度……もう一度だけ、ヒマリに会いたい。俺は図書館の瓦礫の下に埋もれた鏡を見つけて、瓦礫に立てかけた。少し斜めっているけど、大丈夫。俺は、鏡に魔法をかけた。そこには、ヒマリがいた。あぁ、ちゃんと……お別れを言わないと。


「ヒマリ……お別れだ」

「えっ……」

「ありがとう、俺の友達。俺が初めて好きになった、初めて会った、ただ一人の人」


 きっと、このまま鏡を繋げていれば、記憶も感情も逆さまになってしまう。どちらかが忘れて、どちらかが嫌いになる。だから、その前に全て持っていく。これが、俺の最後の魔法だ。


 

「どうして……いやよ、私……テアとまたっ!」

「鏡は自分を映し出すと同時に、異界に繋がる物ともされている……」

「それ、テアが最初に言ってた……」

「これには、続きがあるんだよ。鏡は自分を映し出すと同時に、異界に繋がる物ともされている。そして……」


『鏡の向こうは全てが逆の世界』


「さぁ、ヒマリ。お別れだ。別の世界の、もう一人の俺自身。魔法が解ける時間だ」


 さようなら、ヒマリ。大丈夫、きっとこれからもっと幸せなことで溢れている。君の未来は希望で溢れている。だから……だからどうか、泣かないで。

 俺は、鏡を割った。もう二度と、この鏡は繋がらない。


「さようなら、ヒマリ」


 鏡だった物に背を預け、血が流れるのも気にせず、俺は静かに眠りについた。長く、長い、永遠の眠り。

 

 

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