表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

人さらい列車_04

「帰りたい?」

「はい」

「その(とし)で……」


 川辺(かわべ)みそぎが立ち上がる。彼の前まで近寄って、その顔をまっすぐに見つめた。ほまれくんは僕の手を離し、肌に突き刺さるような視線を受け止める。


「毎日、一時過ぎまで寝かせてもらえない生活に?」

「はい」

「吐いた牛乳、暗いクローゼットの天井、()でる手に(たた)く手。友達(ともだち)と遊ぶ時間も持てず、その小柄さと偏頭痛で体育でもお荷物、相談すれば妬まれて、周りの顔色を(うかが)って……死にたい気分、だったのに?」


 ぐ、と彼は言葉に詰まった。今更ながら、自分の無責任さにどくりと心臓が跳ねる。僕は、彼の状況を詳しく聞き出そうとはしなかった。それが彼にとって負担になると思ったから、だけではない。


 自信がなかった。


 彼の境遇を(つまび)らかに知ってなお、生きろと言える自信がなかった。持ってきた彼のバインダーが、手汗で滑りそうになる。想像できていたはずなのに。僕の四年とこの子の四年が、違う絵の具で塗りつぶされていること。


「ごめん、ほまれくん……」


 いつの間にかここにいて。

 帰らなきゃいけなくて。


「何がですか」


 少し怒ったような、彼の硬い声音にたじろぐ。僕を振り返ったその瞳には、確かな「生」のうねりが。いつか濁流さえも、包んで溶かしてしまいそうな。


「今までで一番たくさん、自分で決められたんですよ」


 ふ、とほまれくんは笑った。柔らかくほがらかな微笑が胸の隙間を通り抜ける。この()の年相応な表情を、初めて見られた気がした。


「柳田さん。切符持ってますか」

「はい。……悠人(ゆうと)さん、渡してもらってもいいですか」

「もちろん」


 バインダーを渡す。淡い緑色をした、一枚の紙片。安らぎの色。例えば、もう立っていられなくなった山小屋をゆっくりと飲み込む(つた)の葉。その切符を手に取って、彼は川辺みそぎと向かい合う。


「どれだけ願っても、発行されるのは一人(ひとり)につき一度きりです。それでもあなたは、戻りますか」


 こんな終わり方が許されたのだと知って。そして、その終わり方はもう許されないのだと理解して、それでも。


「はい」

「……そう」


 川辺みそぎは目を閉じて、幸せな人ね、と(つぶや)いた。ほまれくんから切符を受け取り、小さく息をついて顔を上げる。再び彼をまっすぐに見つめて、何かをこらえるような声で告げた。


「さよなら」


 一瞬のことだった。弔いの色が裂ける。彼女の手には、ただ破られた切符だけがあった。ほまれくんの姿はなかった。


「な……」

「これを(わたし)がちぎると、帰ることができるの。もし、客が錯乱でもして自分でちぎったりなんかしたら、そこの本になるわ。だからあなたの」


 彼女はハッとしたように口をつぐんだ。ゴミ箱の前へ移動し、ちぎれた切符をさらにビリビリに破く。捨てられた残骸にしばし視線を落とし、それからぐーっと伸びをした。


「さてと。仕事は終わり。ここからは私情。あとは、職権濫用かしら」


 川辺みそぎはちらと僕を見遣(みや)って、前方車両の方へと向かった。閉まるドアを呆然(ぼうぜん)と眺めながら、絡まった思考のまま彼女の姿を見送る。


 思えば、僕の切符はなかった。そもそも……どうして目が覚めたとき、彼女は僕の部屋(へや)にいたのだろう。


 一番奥のテーブルに駆け寄った。そこに置かれていた薄緑色の紙切れは、やはり切符だった。日時は明後日(あさって)の十時から十二時。記されている名前はどれも知らないものだ。書類には、彼らの名前と基本情報、それから、焦げついたような文字で各々の胸の内が(つづ)られていた。

 その書類の横に、書きかけの手紙が数枚。


 あなたはとても頑張ったと思います。苦しかったですよね。もう終わります。安心して眠ってしまってしまっていいですよ。(ほか)の誰が認めなかったとしても、私は、あなたの思いに寄り添います。


 あなたが何もしなければ、私が皆を許すの。


 だとしたらなおさら……なぜ、あの子への手紙には。


「悪趣味」

「わっ……!」


 振り返ると、いた。手に一枚の切符を持って、いつになく好戦的なまなざしで。


「人の手紙を勝手に盗み見るなんて、悪趣味だと思わない? 寺坂くん」

「川辺、さん……」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ