33話
「ル、ルドル..……」
つい先程まで笑顔だったのが嘘のように、リーアは恐怖と困惑がごちゃ混ぜになったような苦悶の表情を浮かべている。
そして、そのままルドルにもたれかかるようにして、リーアは意識を失った。
「リーア! リーア!!!」
ぐったりとするリーアに、必死に呼びかけるルドル。胸に刺さった槍を何とかすべきだろうか。そう考えたルドルがリーアの胸に目をやった瞬間、驚くべきことが起きた。
彼女の胸を貫く黒い槍が、パッと弾けるように黒い粉となって消えたのだ。
困惑するルドルだったが、直後にハッとしたように慌ててリーアの傷口を確認する。患部から槍が抜けてしまった以上、傷口から大量に出血してしまう可能性に思い至ったからだ。
しかし、そんなルドルの考えに反して、黒い槍が貫通した跡からは、ただの一滴も出血は見られなかった。その代わりに、リーアの胸の傷口には、黒いモヤがかかっていた。
確かに刺されたはずなのに出血がない。それに、飛んできたはずの槍は黒い粉となって消えた。普通であれば訳の分からない状況だが、先刻槍が弾けた後に舞う黒い粉を見たルドルは、とある昔の記憶を思い出していた。
ルドルはギュッとリーアを抱きしめたまま、顔を上げ、黒い槍が飛んで来たであろう前方を見る。
「おまえは……!」
そこには、ルドルが思い出していた記憶に登場する人物――幼い頃にルドルとリーアを襲った、あの女が立っていた。
かつて襲われて以降、今日まで女が再び2人の前に現れることはなかった。そしてこれはルドルが成長してから知ったことだったが、父は相当執念深く女を追っていたらしい。父は警戒のために毎晩のように見回りに出るのは勿論、市場や他の村での情報収集も欠かさなかった。しかし、父が女の手がかりや目撃情報に接することは、ついになかった。
そんな風に、ここ数年間、再度遭遇するどころか痕跡すら掴めなかった女だったが、ルドルは目の前の女があの時の女と同一人物であると直感した。幼い頃のぼんやりとした記憶の中にあって、しかし強烈なインパクトを残した、全身真っ黒な服装に長い黒髪、そして仮面に覆われた顔が、ハッキリとそう告げていたからだ。
ルドルと女が睨み合う最中、ウンディーネは意識を失ったリーアをルドルの両手からそっと引き離し、道端に運んだ。そして無言でルドルを見つめた後、リーアの傷口の黒いモヤに吸い込まれるようにして、消えた。
ウンディーネが吸い込まれた直後、傷口の黒いモヤは微かに青く光出した。
そんな様子を横目で確認しながら、ルドルは静かに剣を構える。
「(まだリーアの魔力も感じるし、ウンディーネも刺されてすぐに消滅はしなかった。だからまだリーアは死んでいないはずだ。でも今リーアを背負って逃げ出したところで、確実に追いつかれるだろう)」
何よりルドルは、傷口の黒いモヤに吸い込まれる直前の、何かを訴えるようなウンディーネの目が気になっていた。
「(傷口の青い光……。きっと今、怪我の方はウンディーネがなんとかしてくれてるはずだ。だから俺は、その間にあいつの方をなんとかしないと)」
思考をまとめたルドルは、短く息を吐くと、決意を固めた。
「必ず助ける」
ルドルのその言葉の意味までは、遠く離れた女には届かなかったことだろう。しかし、こちらを睨んだままのルドルが何かを呟いたことには気がついたようで、女はそれに応じるように語り出した。
「ごめんなさいね。私は貴方の方を狙ったのに、まさか邪魔者が割り込むとは思わなくて」
ルドルが女の声を聞くのは初めてだった。前回の襲撃の時には、最期まで一言も発さなかった女だったが、今日は饒舌だった。
「確かあの時も邪魔してくれたわよね、その子。本当に邪魔臭い。ま、今日刺してしまったのは事故ではあるのだけれど、そうね。このまま死んでくれたら、これまでのことも許してあげるわ」
「(さっきからこいつは一体何を言ってるんだ……。昔は突然俺達を殺そうとしてきて、今日また急に襲ってきたと思ったら、邪魔だの死んだら許してやるだのと……!?)」
長年稽古を受けてきた父から、いついかなる状況でも冷静でいるように教え込まれていたルドルは、必死に怒りを抑え込もうとした。けれど、自分たちの命を軽んじ、リーアを侮辱するその女の言葉と態度に、ルドルはほとんど我慢の限界寸前だった。その表情には抑えがたい怒りが滲み、剣を持つ手にはギリリと音が聞こえそうなほどの力が入る。
「……絶対に許さない」
「? さっきからぼそぼそ何か言ってるみたいだけど。こちらに聞こえるように喋ってもらえるかしら?」
馬鹿にして呆れるようなその女の言動に、ルドルが応じることはなかった。代わりに、ルドルは無言のままとてつもない勢いで、女に斬りかかった。
一瞬で間合いを詰めたルドルは、女に向かって両手で剣を振り下ろした。