2話
「エッ、エッ……アアァッーアアァッー」
小さな村の1軒家に、新しい命の誕生を伝える泣き声が響いていた。
慌ただしく動き回る助産師達を少し離れた所から見ている男性は、泣き叫ぶ新生児の父親。筋肉質で大きな体躯をオロオロと揺らしながら、心配げに状況を見守るその様子は普通の人間と特に変わりない。しかし、まだ若いにも関わらず真っ白な髪と、特徴的に尖った耳の形が、その男性が人とは異なる存在であることを告げていた。
やがて助産師の1人が、産着にくるまれた赤子を、ベッドの上で大仕事を終えたばかりの母親に手渡した。元気な男の子ですよ、と笑顔で話す助産師に、額に汗をにじませたままにっこりと頷いて応じる母親もまた、年齢に見合わない白髪と、尖った耳を持った人物だった。
ベッドに駆けよって来た父親は、大声で泣き続ける我が子を見て、満面の笑みを浮かべた。
「元気いっぱいだな!」
そんな父親の様子を、可笑しそうに眺めた後、ベッドの上の母親は、腕の中の我が子に優しく語りかける。
「生まれてきてくれてありがとう。あなたの名前は、ルドルよ」
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生まれながらの白髪と特徴的な耳の形を持つ魔族の1人として生まれたルドルは、その後健やかに成長していった。
父、母、子の3人の生活はごくありふれていて尚且つとても穏やかなものだった。ルドルは、優しい母から読み書きや計算、家事全般などを学んだ。一方で優しくもあり時に厳しい父からは、狩りの仕方や農作業のやり方などを学んだ。
よく晴れたこの日も、少年となったルドルは、早朝から畑で父から作物の育て方を学んでいた。
「よし、じゃあ教えたとおりに密集してる苗を間引いていってくれ」
父からの指示に対し、ルドルはというと不満そうな顔で畑の方を眺めた。
「こんなに沢山育てる必要あるの? うちの家族が食べる分だけなら、この辺りだけで充分じゃん」
そう言って、自らの眼前の一区画を指し示すルドル。彼がそう言うのも無理はなかった。ルドル達の目の前に広がる畑は非常に広大なもので、その手入れは非常に手間のかかる作業だったからだ。
「いつも言っているだろう。これは俺達が食べるためだけに育ててるものじゃないんだって」
作業の手を止めないまま、諭すように語る父の言葉は、もう何度もルドルが聞いてきたものだった。
父曰く、この村では基本的に自給自足の生活を行っているが、それは家や家族単位ではなく、村全体を1つの仲間として為されるものであるとのこと。実際に、ルドル達が育てている作物の大半は、ルドル達自身が消費するのではなく、村の他の家々に提供されていた。勿論、その逆もまた然りで、ルドル達に対して他の家々から提供される品も数多くある。
さらに、こうした分業の輪はルドル達が暮らす村の中だけにとどまらず、その外にも広がっていた。父が言うには、魔族が暮らす村はここ以外にもいくつもあり、時にはそれらと交易を行うことで、不足している品を融通し合う等しているらしい。
繰り返し聞かされたことで、ルドルはこのような社会の成り立ちを理屈としては分かっていた。けれど、そうは言っても、自分が食べるわけでもないのに、目の前に広がる途方もない数の作物の世話をしなければならないのは面倒に感じるのだった。
遅々として作業が進まないルドルの様子からそんな心中を察してか、父は短く嘆息すると、ルドルに向き直って語り掛ける。
「いいか。俺達魔族が生きていくうえで最も大切にしなきゃいけないこと。それは助け合いの精神だ。なにせ勇者様に助けてもらわなければ俺達魔族は今頃--」
「あー、はいはい分かった分かった。何度も聞いたよ」
面倒な作業の途中に父からのお説教まで加わってはたまらないと、話を終わらせようとするルドル。
父が言う勇者の話。それはこの村で生まれ育った子どもならば、どんなおとぎ話よりも数多く聞かされてきた話だった。
曰く、数百年前、魔族には魔王という長がいた。世界を我が物にせんと目論む魔王は、魔族を従えて人間達の領土に侵攻し、争いの絶えない日々が続いていた。
しかし、そんな日々は、人間側に現れた勇者一行が魔王を討伐したことで突如終わりを迎える。
長を失い、敗残兵となった魔族達には、人間達から厳しい視線が向けられた。魔族の多くは魔王に仕方なく従っていただけだったが、人間側からしてみればそんな内情は知る由もなく。親兄弟を殺した魔族を根絶やしにせよという声も大きかったらしい。
けれど、そんな風潮は、魔王を倒した勇者の鶴の一声で変わることとなる。
勇者は魔族の残党狩りを許さず、人も魔族も争いなく、協力して平和に暮らすことを望んだのだった。
こうして魔族は滅亡の危機を免れることとなり、長らく争った人間側と積極的に交わることこそあまりないものの、現在のように複数の魔族の村というコミュニティの下で繁栄を築いているのだった。
畑に落ちていた棒切れを振り回しながら、ルドルは言う。
「僕も勇者様みたいに強くなって、こんな畑仕事しなくて済むようになりたいな」
そんなルドルを苦笑いを浮かべながら見つめる父。すると畑の手前から、別の村人が二人に声をかけてきた。
「おーい。まーた獣が出ちまった。手が空いたら討伐に行ってくれんかね」
「分かった。この後すぐ行ってくる」
父の返答を受けて、悪いなぁ助かるよ、と村人は手を振って立ち去る。
「お前も来るかルドル。勇者様みたいになりたいなら、まずは獣くらい一人で狩れるようにならないといかんしな」
「行く!」
目を輝かせて父の元へ駆け寄るルドル。しかし父は一枚上手だった。
「そうか。じゃあ先に言われた仕事を片付けるんだな」
そう言って、父は笑顔で畑の方を指し示すのだった。