11話
「この剣には、勇者様しか触れることが出来ないんだ」
父は右手で、台座の上に浮かぶ剣の刃をなぞったり、柄を掴もうとしたりした。しかしいずれの試みも成功することはなく、父の手のひらはただひたすらに剣をすり抜けるばかりだった。
唖然とするルドルに父は語りかける。
「組合の本部で会ったオルド爺さんにな。話したんだ。ルドルが魔法を使って黒狼の動きを止めた話を」
ルドルの脳裏に、昼間に会った優しい老魔族の姿が浮かんだ。
「爺さんはああ見えて魔法の専門家でな。俺は魔法に詳しくないから、相談したんだ。でも分からないと言われた。少なくとも魔族の魔法ではないそうだ」
魔族の魔法ではない。その言葉に、ルドルは胸がざわめくのを感じた。それなら、自分が発動させたというあの魔法は一体何なのか。
「爺さんが言うには、魔族ではなく、人類の魔法であれば、自分が知らないこともあるかもしれないと。そして、噂の範疇でなら、聞いたことがあるそうだ。ルドルの魔法に似たものを」
そこまで話すと、父は一瞬押し黙った。2人きりの空間に静寂が満ちる。
「勇者様が使っていた魔法だ」
次に口を開いた父のその言葉は、薄暗い部屋の中に、やけに響いて聴こえた。
「ルドルが使った魔法。それがおとぎ話に出てくる勇者様の魔法に似ているって話だ」
勇者の話。それはルドルも幼い頃から、何度も聞かされている。確か勇者のパーティーには魔法使いが居たが、勇者自身も魔法を操っていたはずだ。しかし、ルドルが発動させた魔法に似た魔法の描写は思い当たらない。元々の話が子ども用に簡略化されたのか、あるいは何世代もおとぎ話として語り継がれる間に枝葉の部分が変化していったのか。オルドが接したのは『原典』に近い話なのかもしれなかった。
「勇者様が存在していたのは、今から何百年も前の話だ。今となっては、勇者様の使っていた魔法が、ルドルの魔法と同じだったのか、俺達魔族が確かめるのは難しい」
父は淡々と話し続けた。
「だが、打つ手がないわけじゃない。魔族には魔族なりのやり方がある。それがこれだ」
そう言って、勇者の剣を示す父。
「この場所のこともこの剣のことも、知っているのは魔族の中でもごく一部だ。縁あって俺はそのごく一部だったから、今日ここにお前を連れてきた。ひょっとしたらと思ってな」
父の言葉の真意が分からないほど、ルドルは幼くはなかった。長く語り継がれてきたおとぎ話をどれだけ調べても、過去の勇者と今のルドルの関連性を証明するのは難しい。けれど、今2人の目の前にある剣は、時を超えて、その結びつきを証明してくれる可能性を秘めた一品だ。
「言いたいことは分かるな? さぁ剣に触れてみるんだ」
父に促されたルドルは、思わず躊躇った。
それは決して、得体の知れない剣に怯えたからではない。そうではなくて、ルドルは単純に、結果が出てしまうことを恐れていた。
もし剣に触れられなかったら? 父は失望するだろうか。優しく豪快な父は、そりゃそうだよなと笑い飛ばしてくれるかもしれない。だが心中ではどうか。限られた者にしか知られないこの場所までルドルをわざわざ連れてきた裏には、多少なりとも我が子への期待が混じっていたとしても不思議ではない。
あるいは触れられてしまったら? それはルドルと勇者に何らかの結びつきがあることを意味する。確かにルドルは勇者のように強くなりたいと思っている。けれど同時に、魔族として生まれ育ってきたルドルは、勇者という存在の重みを十分理解していた。すぐにその事実を公にするかはさておき、少なくともルドルのこれからの一生は、普通の魔族のそれとは異なるものになるだろう。
剣の一歩手前で躊躇するルドルを見てその心中を察したのか、父は優しく微笑むと、ルドルに声をかけた。
「結果がどうであれ、お前は俺の息子だ。とびきり自慢のな。そのことに変わりはない」
そう言って、父はルドルの頭を撫でた。
大きくて逞しい。けれど、温かくて優しい。そんな父の手の温もりに勇気をもらったルドルは、一歩前に出て、剣のすぐ前に立った。
ちらりと振り返って見た父が、大きく頷くのを確認してから、ルドルは台座に浮かぶ剣の柄へとゆっくり右手を伸ばした。
その瞬間、ルドルは目の前が真っ白になったように感じた。慌てて手を引っ込めようとするが、手の感覚がない。手だけではない。腕も足も全部だ。
全身の感覚がなくなり、前後不覚となった直後、最後に唯一残っていたルドルの意識は、真っ白な光の中に吸い込まれていった。