茶巾寿司とエクレア 5
茶色いレンガを埋め込む細やかな商店街の緩い坂を下りきる所に、古いブリキ看板の豆腐屋の十字路がありそこを左へ曲がる。LEDのガス灯から電信柱の街灯へ変わる夜の住宅街を大体10分ほど歩くと我が家だ。
過ぎれば懐かしいとも言えはするが、もう二度とごめん被りたい苦労を経て、まるでこれまで待機していたかのように子供が生まれ、谷底の荒野にはなかった貯えもできていた。しかも先の見通しがついていた私たち夫婦は中古の物件を買うことにした。
引っ越した当初は駅まで自転車通いだったのだが、久しく外に恋人ができると、まだメール全盛期だったので行き帰りにメールを打つ為、徒歩に変えた。もちろん「健康第一」ということで・・・・・・。
ある日の朝、季節は秋が深まろうとしていたときだ。私は白い杖を持つ男にぶつかってしまったことがある。コツコツ地面を叩く細かな音を地球の裏側くらい遠くで聞いていたような気がしてはいたのだが、自在に勃起してしまうほど年若く乙女化した絵文字を惜しげもなく使い、口臭を忘れて稚拙な長いキスを繰り返すような朝の会話を打っていた私は折り畳み携帯を地面へ落とし画面が割れた。白杖の男は深緑色のサングラスを掛ける髭面を真っ赤にした。憤りだったのか、あるいは言葉にしてはならないと決めている恥ずかしさだったのかを無言で堪えていた。私は小さく舌を鳴らすと割れた携帯を拾いそのまま立ち去ったのだ。その出来事は全く象徴的な気がする。あの衝突から私は人に対する思いやりや自責の念を徐々に失くし始めたのだろう。下げ止りのないまま「つまみ食い」だけが人生を彩る、つまらない大人に向け本腰を入れて歩き出したのだ。ちょうど息子が小学校に入った年のことだ。
毎日歩く通りだったが、あるいは毎年この界隈で春を迎えているはずなのに、今夜初めて気が付いた桜の木が何本もあった。そのうちの一本は今では殆ど見かけない木造平屋建ての、小ざっぱりした土の庭に立っていた。苔や雨やで時の経過を示す変色したコンクリートブロック塀が腰丈であり、その上には黒いプラスチック製の格子フェンスが敷地を囲んだ。ふと足を止め、欠けた箇所のある黒い格子の隙間から中を覗いてみた。植わっているのは桜と、今はまだ花をつけていないこんもりするアジサイが緑色の柔らかなひと塊として左奥にあるだけだった。
八枚の雨戸が閉まる母家の縁側に沿って白いロードバイクと買い物かごが前にあり後ろには幼児用の椅子を備えた電動自転車が並んでいるので、おそらく私たちより幾らか年若い三人家族なのだろう。
踵を揃える一組のサンダルが置かれた、縁側の真ん中辺りから十個前後の平たい飛び石が余計なカーブを描いて連なり、途中には平行した二本の物干し竿が掛けられていた。夜の竿にはどんな洗濯物も干されていなかった。
平たい石の行き着く先は、こちらの壁の近くで背を向ける小さな祠だった。鳥の巣箱を少し大きくした程度の黄ばんだそれは石というかゴツゴツした黒い岩の上に祀られていた。
そのすぐ傍に立つ幹の細い若い桜。高さ3mほどの上空から放射する、いくつもの枝はどこも騒がしいくらいの満開で、鋭角な五枚つづりの細かい花びらは鏡の中の世界で季節を待っていたような雰囲気だ。花の色の濃さや、気象庁の開花宣言もまだ聞いていなかったのでソメイヨシノとは違う品種なのだろう、としか分からない。私は若木にしばらく見入った。抜かりなく湿った土と一見空き家のような祠の上と平たい石の上に夜の住宅街ならではの薄い枝影が落ちていた。
物音のしない静かな母家はもう寝入ったのだろうか? あの縁側でたとえば三毛猫を加えて寝そべり、自宅での細やかで幸福な夜桜はもう終わったのだろうか?
私はふと春を想った。そわそわするどこか柔らかな風を感じることはなく、またそんな風へ移行する前夜段階の肌寒を感じることもない。ようするに大気中の始まりと土の中の終わりが重なる匂いを今の私は嗅ぐことが出来ないらしい。それを鑑み、花粉症と無縁の私はきっとここ何年もの間、春に対して不感症だったに違いない。四季の中で最も金色に近い春雷が夜の空を一撃で叩き割ったとしても、私は巡ってきた季節そのものをスルーしていた節がある・・・・・・。